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あなたは外国人の友達がいますか?この質問はけっこう大事

私はタイと台湾の暮らしでいろんな人と出会ってきた。
その経験から今大切にしている問いについて今日は書いていく。

その問いは「外国人の友達がいるか?過去にいたことがあるか」

これは例えば、タイにいて日本人とで出会った際も同様。
タイでタイ人または外国人に出会った時にも同様。

この問いをすることで、私にとって非常に重要なその人のバックボーンを知ることができる。

大事なのは言語力の有無ではない。
その人が母国じゃない人と関わったという事実。そして今現在も継続した関係があるかどうかも非常に気になるポイント。

例えば、日本語を話してくれる外国人はありがたいが、実際に日本人の友達がいるのか又はただアニメなどでのみ取得し話せているのかでは全然違う。

例えば、日本人にタイで出会ったとしても実際にタイ人とは深く関わりがない人や外国人と関わりがないという人は、ただの日本人。

それが悪いわけではなくここって私にとっては大事だな、と年々感じている部分ということに最近気づいた。

振り返ると私自身が友達になれた人物は、そういうバックボーンがある人ばかりだからだ。
経験値が違いすぎると、疲れてしまうし話しても話しても「すごーい」で終わってしまうあの感覚がとても虚しい。

チェンマイではじめて友達になったブリダは、外国人観光客を相手にする仕事をしていたので外国人に慣れている。
当時私と出会った頃に、すでにバネッサというたしかフランス人の友達がいた。

チェンマイで出会った日本人 Tさん。
彼女は当時外国人とお付き合いされていた、その関係で他の外国人との関わりも多かった。

台湾の離島で出会った台湾人ていちゃん。
彼女は、大学が外国人が多い専攻の授業でいろんな国の友達がいた。

バンコクで出会った 日本人Sさん。
彼は以前タイ人女性とお付き合いされていて、タイが好きでここに定期的に長期滞在している。

私の中での信頼する友達をパッとあげると、やはり外国人との付き合いがベースにある。

これがなぜ重要なのか?

まず、外国人としての滞在や暮らしでの苦労を知っていてくれるからだ。
いちいち細かいことから説明せずとも、過去にいろんな外国人のケースを把握しているから、そのリストから当てはめて考えてから私に質問をしてくれる。もしくは、なんなく受け止めてくれる。

そして、上記のような人物は決して特別な扱いをしてくれないところも嬉しいポイント。

特別な扱いをしてくれない?

これは変な表現に感じるかもしれないが、この表現が一番しっくりくる。

私たちのような外国人している身分は、もう特別扱いは疲れるからやめてくれと思っている。たぶん、大半がそうだと思う。

もちろん、おまけ付けといたよとかの特別サービスはありがたくちょうだいする。

そういうことではなく「この国にようこそー」とか、「日本人なの?日本ってーこうなの?ああなの?」

これがもうウンザリを通り越している。

外国人慣れしている人や外国人の友人をもつ彼らは、こういうこちらの意外なストレスなどもすでに知っていたりすることがある。

なので、初歩からただのその辺の人間扱いをしてくれる。
そういう配慮ができる人が多いというのがここ数年でのデータだ。

チェンマイの良いと感じる点も思い出すと、ノマドやフリーランスが多い街で外国人の移住者もごろごろいる。
なので、フリーランスの仕事の仕方やリズムなどももはや何も興味を示さないでくれる。これも非常にラクだった。

生き方、暮らし方、働き方、これらは互いに興味をもつのは当然だから質問されるのは嫌いではない。

ただ、この質問のクオリティが人によって全然異なる。

「ああ、ここから説明しなきゃいけないのか」

こんな風に思ってしまう自分が過去にはけっこういて、人と出会うのがだるくなった時期があったりもした。

今はこの苦しい経験を経て、私が判断すればいいという段階に到達した。
この問いを相手に投げかけて、返答でまず相手を判断させていただく。

「外国人の友達はいますか?」

NOだった場合でも、賢い方や相手の気持ちを推し量るのが上手な人は、うまく付き合っていけることもあるだろう。

大半は純粋に全部聞きたい、聞きたいとなってしまうので、早めにさよならして無駄なストレスを感じないで済むようにしている。

何年もわからずに苦労していた、新しい出会いになぜか感じる違和感。
この答えまでたどり着けて、本当によかったと思っている。

これからも、
ひとつひとつ暮らしの知恵をつけて成長していこうと思う。

2024.12.22 concoji