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「小学校~それは小さな社会~」から考える、同調圧力を弱めるためには?ブラック教育文化からホワイト教育にするには?
「小学校~それは小さな社会~」では、「ブラック教育文化」で硬直化した閉塞的な学校の現実が映し出されていた。
このブラック教育文化がこのまま続くと、学校は不登校でますます生徒は減り続け、メンタルダウンや就職敬遠でますます教師も減り続けることだろう。もはや、学級崩壊ならぬ「学校崩壊」である。
この「ブラック教育文化」をホワイトにしてくために、どうすればいいのでか?
最後に、抜本的な改革案を2つ挙げてみる。
①生活指導を減らす
1つ目は、生活指導を減らすこと。
生活指導は、従来から生徒を管理するという裏の目的があったこともあり、令和の時代には明らかにやりすぎている。
生徒だけでなく、先生にとっても負担であり、その多くが合理的な理由のないものであることをすでに別のnote記事で書いた。
けっきょく、それでも生徒たちに何とかやらせるために、先生たちは同調圧力、モラルハラスメント、スケープゴートという不適切な手段を使わざるをえない現実が映画では映し出されていた。
ただ、よくよく考えると、そうでもしなければできないことは、もはや最初からしない方がいいのは明らかである。
例えば、給食当番や掃除当番などエッセンシャルな役割や、生徒たちが喜ぶ修学旅行などの行事は残す。
一方で、運動会や音楽会などの行事を縮小化し、入学式、卒業式、始業式、終業式などの儀式を簡素化または廃止する。
そもそも、世界的に見て、日本ほどこのような儀式を仰々しくやっている国は他にあまりない。
何度も座ったり立ったりして礼をさせられるのは、信仰心(同調圧力)を高めることを目的とした宗教儀式と同じである。だからこそ、それを詳らかにしたこの映画が海外から興味深く見られるのだ。
また、髪型や服装などを制限する校則は廃止する。
このような校則は、昭和に同調圧力を高めるために利用されていたが、令和では、明らかな人権侵害である。不適切であることを私たちが発信し続ける必要もある。すでに、そう発信し続けるNPO団体もある。
理想的には、企業に社員が相談できるハラスメントの窓口があるのと同じように、学校に生徒や教師が相談できる人権擁護の窓口が設置されるべきではないか。つまり、生徒を監視する学校を今度は社会が監視する必要がある。
②授業や行事を選べるようにする~流動性を高めて同調圧力を弱くする
2つ目は、自分のレベルに合ったレベル分けの授業ややりたい行事を選べるようにすること。
逆に言えば、自分のレベルに合わない授業ややりたくない行事には参加しなくていいということにする。
映画の中でも、画一的な一斉授業のためにできる生徒は先に進めず、できない生徒は置いていかれていた。
しかし、現在、学力の地域差が改善され、もはや「教育の平等」を図ることは一定の役目を終えた。今こそ、「教育の公平」にシフトチェンジする時ではないか。
例えば、学習指導要領の達成目標を緩和させ、1人1人の生徒のレベルにあった授業を保護者と相談しながら選んでもらう。委員会活動やクラブ活動と同じシステムである。すでに算数はレベル分けが行われている学校が多い。
そして、やはり英語。
英語は、語学力だけに個人差(遺伝の違い)や家庭環境の違いの影響が大きく反映されるために、画一的に授業が進められないことから、すでに授業時間数を増やすことへの慎重論が出てしまっている。
しかし逆に言えば、だからこそレベル分けが必要なのである。
学習塾や習いごとでは当たり前のやり方である。
むしろ、これらの教育ビジネスが日本で特に盛んになってしまっているのは、それだけ学校の教育が機能していない証左である。
レベル分けをして、学校がもっと機能的になれば、必然的に学習塾に行く必要がなくなるので、これまで家計を圧迫していた教育費を減らせる。
次に、行事について。
運動会、音楽会などで事前に練習をする取り組みをしたいのなら、希望の生徒をまず募ること。
強制参加とせず、参加しない権利を尊重すること。
さらに、同年齢同学年の縛りを緩和させ、小学校に入学させる年齢を6歳±1歳として幅を持たせること(異年齢教育)。
その後に、生徒のレベルに合わせて、レベル分けの授業を受けることで、早く進級する場合もあればなかなか進級しない場合も出てくる。
さらに、小学校を早く卒業する生徒と遅れて卒業する生徒が出てくる。
つまり、入学、進級(学年)、卒業の時期をすべて選べることにする。
これは「教育の公平」のために必要である。
もちろん、保護者と相談しながら、あえて早く進級しないという選択をすることも可能にする。
重要なことは、学ぶ内容を先生から押し付けられるのではなく、生徒が選び取ることである。
こうして、進学進級が流動的になり、生徒の年齢と学年学級が固定化されないため、同調圧力が弱まり、必然的に入学式や卒業式など様々な儀式が簡素化されるだろう。