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コミュニケーションを伝えるということ②コミュニケーションの授業を受けた学生はどんな気持ちか

19歳、20歳の学生へ授業を持たせて頂き、4年目の今年度も無事に終えることができました。
担当する科目は、コミュニケーション。
専門職を目指す学生なので、対人支援に役立つ内容をと思い、毎年ベースとなるものから少しずつ変化させながら構成を考えて作っています。

私が行うコミュニケーションの授業では、終わったあとに『◯◯がわかった!』『難しかったからもっとやらなきゃ』『知識が増えて為になる』などという感想は、実に少なく感じます。話すことは専ら授業の内容よりも、悩み相談や私の仕事に関しての質問ばかり。いつも雑談をしている人と思われているかも...

本当はそんな感想が出てくるようでは、不要な授業と捉えられたり、もっと良さを感じられるような授業へ工夫しなきゃいけないのかもしれません。そしてそれを、こんなに堂々と書いている私は、講師としての意識が低い、良くない講師なのではないかと思われる方もいるでしょう。

しかし、私はこの感想や終了後の関係性こそ、コミュニケーションを大切に考え、伝えられているのではないかと思うのです。

情報がどこでも簡単に手に入る現代では、授業で入ってくる情報もその一部です。知ってよかったと思うものもあれば、そんなことは知っている、無駄、違う、と思うことは一瞬で聞き流してしまうでしょう。コミュニケーションといってもたくさんの種類がある中で、私が伝えているコミュニケーションは、主に人と人の会話について。当たり前のように使われ、これ無しには生きることの出来ないものです。だからこそ、当たり前に使っているものが、なぜ今学ぶ必要があるのか。役に立つ情報が欲しいし、社会での不調和を解消する視点より、社会のイメージをこれから体験して学ぼうも思っている学生たちには、学ぶ目的がほとんど重要視されていないのが現実です。

なんのためにコミュニケーションの授業をしているのか。

それは、自分と他人、人と人が、ここにいていいと感じられる場を体験して欲しいから。
模擬的に、こんな場面でこんなことを言われるとどう感じるか?や、こんな質問をされたらどんなことをイメージするか?をワークをしても、正解を求めたり、教えたいことを習得して欲しいのではありません。
コミュニケーションのワークを通じて、話せてよかったとか、聞いてもらえてよかった、と感じられる体験をしているだけなのです。

生まれた時から体験してきたコミュニケーションそのものは、情報や知識を得る【喜びや快】とは違うものであるし、それだけで十分生きるために価値のあることなのだと確認するために行っているのです。

スキルや技法など何かを得るためではなく、今までに体験してきたコミュニケーションで体験する、安心感や自分自身が存在していること。人と人がつながりを持ち、生きている実感が前提にあれば、これから社会へ出て苦難があったとしても、自分は大丈夫だと思えるでしょう。

この体験は今の時代にはとても大切で、講師が得たい反応が即座に感じられる授業ではなく、これからもじっくりと関係性醸成させながら伝えていきたいと感じた4年目の授業最終日でした。

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