短歌 誘蛾灯
誘蛾灯ほらほら僕が群れている影も落とさず僕だけがほら
画用紙の横でカレーを食べている予定調和の悲劇は喜劇
光らない蛍も好きと言えますか不可視なものは嘘をつかない
実はずっと叶えたかった夢がありました。それは、下北沢の劇場で、夫と演劇を観ること。
それも大きな舞台ではなく、なるべく小規模の、役者たちの気迫や熱量を近くに味わえるような劇場、それもコメディがいいな、と。
その夢が、やっと叶いました。あまりにもシュールかつ馬鹿らしさ全開の舞台。決して大声でがなり倒すような類の「笑え!」的な笑いではなく、「え、今の、え、あれ?」と、観客の心をざわつかせてじわじわとくる可笑しさを味わったり、「うそでしょ!?」と内心でつっこまざるを得ないのが現状なところまで瞬時に追い込まれたり、不条理がさらっと提示されることのむず痒さに悶えたり、とにかく私のストライクゾーンな舞台でした。
で、私は笑いまくって満足だったのですが、はたと夫の反応が気になりました(もちろん終演後)。
帰りの井の頭線に乗って、ようやく私から「舞台、どうだった?」と切り出しました。すると夫は、吊り革につかまりながら私とは目を合わせず、こう答えました。
「……心琴は、ああいうのやってたの?」
はい。
私はかつて、とある場所で役者をしていました。小さな劇団で、ほんの一時期。若気の至りがあったからできたのだと思います(このあたりのことは、以前noteに書いたかもだけど)。
その頃、指針にしていたのは「コメディしかやらない」でした。さんざん笑いものにされてきた中学時代の経験から、それだったらもう、お前らをこちらから笑わせてやるよ、的な反骨精神があったのかもしれません。
でも、コメディってとても難しい。「間」違い、とはよく言ったもので、ちょっとした間合いを外すと、どんなに台本が良くてもすべります。笑え! なんて下心など、観客はすぐに看破します。
そんな幾重もの難関を突破して、客席から笑いが起きた瞬間の、言葉ではとても足りない歓喜を、ひさびさに思い出しました。
で、肝心の夫のリアクションなんですが。
「……錦糸町……ッ!」
明大前駅のホームに着くや否や、舞台の中で重要(?)な場所とされたその地名を口走っては笑いを噛み殺し、珍しい私の背中をばんばん叩いてきました。
どうやら夫も楽しんでくれたようです。よかった。心底ホッとしました。
帰りに改札でタッチしたらPASMOの残額がおあつらえ向きでした🎃