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あの日から

私は被災地に住んでいます。

11年前のあの日被災しました。⁡


息子は幼稚園児でした。

私は買い物が終わり、幼稚園にお迎えに行こうと思った時にあの地震にあいました。そして慌てて幼稚園に行ったことを覚えています。

幼稚園についたら、園庭で子供達がみんなで毛布を被り丸くなっていました。

⁡息子の顔を見るなり私は安堵しました。恐かったと興奮気味に話す息子でしたが、いつもの息子でした。⁡

⁡次に心配なのが長男でした。ちょうど下校の時刻。

急いで自宅に戻ろうと車を走らせましたが道路が壊れていたり、水が溢れでている所が多々あり時間がかかってしまいました。

⁡⁡そしてなんとか自宅にもどりましたが、長男がいません。まだ学校かもしれないと思っていたら近所の方が長男を保護してくれていたのです。やはり長男は下校途中で地震にあったようでした。

⁡様子を見に家の中に入りました。⁡いろいろな物が散乱し、ガラスや戸なども壊れていました。⁡⁡クローゼットからはものが落ち、扉が外れ足の踏み場もなくなっていました。⁡

余震もあり、家の中で過ごすのは危険だとおもい私達は車で過ごすことにしました。

⁡そして車の中に避難していた私の耳にラジオから聞こえたのは、海岸付近に何百という遺体があるという報道。

現実なのかわからないくらいの衝撃を受けたのを覚えています。

私は自宅が壊れたくらいで、津波被害はありませんでした。しかし、私の友達や知り合いには津波の被害にあった人もいました。私の大切な人は、友人を亡くしました。

私自身も食料やガソリンを調達するのも大変でした。ガスも、電気も水道もなかなか復旧せず生活するのも大変でした。

でも、私と子供達は生きていました。

生きていることに感謝をしました。



息子は不登校になり生きていることが辛くなった次期がありました。

もうどうでもいい

俺なんていなくてもいい

何で俺を産んだんだ!

産まなければよかったんだ!

殺せ!

と……

その頃の息子は何処をみているのか、何を考えているのか、生きる気力も希望も何も持っていないようにみえました。

私はこわかった。息子がいなくなってしまうんじゃないかとこわかった。


私はこの子を救う。


この子を助けてあげられるのは母親の私しかいない。そう決心したのです。



目の前の子供

不登校。勉強もしない。ゲームばかりしている。昼夜逆転して不規則な生活を送っている。

でも、生きていてくれる。


それでじゅうぶん。


生きていればこそ未来がある。



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元不登校生の母(こころ)
不登校で悩む親の手助けをしたいと思い仕事、家事、育児の合間に記事を書いています。よろしければサポートお願いします。