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象徴がいつしか権威へ変わる。
初めは、清らかな心を表したことだろう。
だけど、長い歴史の時間の中で変化してしまった。
神だとか仏だとか。
象徴は、感動を与えるほど厳かな方が良い。
造り手は、芸術家である。
そこの意味を乗せるのは文学家である。
いつしかそれらは、宗教となった。
生活の中で見出した凛とした芸術は、崇拝へと変わってしまった。
そして解釈は広まり、ついには現人神を祭り上げた。
人々は、その権力を目指し殺し合った。
宗教が、政治と密接に関わっている理由である。
象徴は、単なる象徴に過ぎず、芸術と同じである。
そこに幾つもの意味を持たせ、幾つもの嘘を付け足してきた。
何と罪深いことだろうか。
しかし皆、畏れを抱き正すことが出来ない。
盆や正月や法事の今の意味が正しいと思っている。
お飾りの現人神に権力を持たせてはいけない。
現人神が任命する儀式は、人々に権力の移譲を見せ付けるためである。
二千年も騙され続けている。
その嘘に気付いても、このまま権力を与え続けるのか。
権力者は芸術を求め、集めることをやめない。
権力の象徴になるかもしれない芸術を誰かが創り出すかもしれないからだ。
一度、解釈が決まれば永遠に人々は拝み続ける。
騙し続け、権威を手に入れることが出来る。
愚かなことをしている。
見せ物になっているではないか。
※芸術を否定しているのではなく、考え方や捉え方を指摘しています。芸術が神秘的であることは多い。しかし、だからと言って宗教とは何ら関連しない。作家は、人である。