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短歌ブームの構造

前回私は、「短歌ブーム」について深い言及をするのを避けた。あのTwitterの「ごらんよ構文」を蒸し返したうえで、「さらに追加でものを言う」のは、さすがに多くの若手歌人の反発を買うと思った。

しかし、よく考えてみれば私はもうそんな心配をする必要はない。別に誰かに好かれようが嫌われようが私は歌を作るだろうし、そもそもX(Twitter)
は見ていないからなにか言われても気にならない。私は彼らが「メディアに露出すること」に異論があるわけではないけど、今回の「ごらんよ構文騒動」で、自分のなかに噴出する「なんだこれは」という怒りに気づいてしまった。そのことについて書かないと自分を欺くことになるので書く。

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「現在の短歌ブームはいつから始まったのか」について私は「歌人ごと(単位)」ではない一つの考証がある。それは自分の文献を参考にするようで申し訳ないけど、「歌集出版」について加藤治郎さんに取材し、メールの公開許可をもらった一連の経緯にあきらかである。(「すべての表現者が平等に表現できる社会を目指して~ダスビダーニャ出版記念エッセイ」)
クラウドファンディングの特典だったけど、一応流通した原稿として販売もしたことがあるので参照してもらいたい。

そこに書かれているのは「現在の短歌ブーム」が、書肆侃侃房の「新鋭短歌シリーズ」(2013年)から始まっているという事実である。木下龍也や岡野大嗣の登場を「短歌ブームの始まり」とするならば、「彼らの才能が突出していたから」というより、「今までよりかなり安い費用で歌集を出すことができ、印税が対価として支払われる、既存出版社よりも有利な条件の新しい歌集の出版社の登場」がブームの要因だったことをくきやかに示している。

つまり歌集出版のヘゲモニー(主導権)が既存の短詩型文学専門の出版社(総合誌を出している出版社を想像してほしい)から、『ねむらない樹』を中心とした書籍出版の一形態(としての歌集出版)へ移ったことが、今回のブームの眼目であり、木下や岡野はその「象徴」にすぎない。

俵万智『サラダ記念日』(1987)が累計285万部と言われているが、現代は本が売れない出版不況である。

おかげさまで増刷が決まりまして、『天才による凡人のための短歌教室』が10刷(累計2万6000部発行)、『あなたのための短歌集』が13刷(累計4万6000部発行)となります。 みなさま、ありがとうございます!!!
午後6:19 · 2024年6月7日

木下龍也さんのXより

現代で入門書が累計26000部、短歌集が46000部売れるという「数字」は(売上は計算できないが)出版社には魅力的なのだろう。短歌が注目されているのは、その文学性が注目されているわけではなく、単にこの「部数」が注目されているからにすぎないかもしれない。

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歌人が「文學界」や「すばる」に原稿を掲載することは、小説一辺倒の一昔前(たとえば1990年代)ではまったくありえなかった。そんな歌人が詩歌の連載に食い込むことが可能になったとすれば、この出版不況でむしろ「小説の売れ行きが後退したから」と考えなければおかしい。

事実、私が2007年ごろに目撃した文芸誌の印象といえば、金井美恵子の強烈な「短歌嫌悪」を思い出す。現代詩出身であり、フランス文学に傾倒していた金井は、深沢七郎の『風流夢譚』をベースにして文芸誌に、第二芸術論を援用した短歌への呪詛に近い罵倒を書いたことがある。見かねた大辻隆弘が青磁社の「週刊時評」で反論したが、その大辻への再反論は「大辻某」というほど敬意を欠いたひどいものだったと記憶している。(青磁社ホームページに2007年には週刊時評という企画があったが、ホームページの変更とともに全記事が消えたようだ)。

そのころは「文芸誌に短歌が掲載されるのは岡井隆級の人たちだけか」と私も思うほど、「短歌は隔絶したジャンル」という実感や無力感があったから、この20年でだいぶ小説にも隙が出来たと思う。

ついつい私たちは短歌史を「他のジャンルと関係ない単独のもの、かつ個人名が中心のもの」として見ようとしてしまう。しかし、それは文学史という大きなくくり、ひいては表現史のようなものとリンクさせられなければおかしい。そうすると、出版社の変化がブームの始まりなどということはよくあることだ。

音楽の世界でも、J-POPなんて最初は蔑称で、しかも「レコード会社の邦楽部門がジャンルとして「ニューミュージックに入れられない「現代邦楽」を区分して名付けたものにすぎなかった」という事実を思い出してもいい(しかも当時は名付けた人たちすらダサいと思っていた)。

実はものごとを決めているのは、作者個人ではなく「背景のテンプレート」であることはそんなに珍しいことではない。「同じことが短歌にも起こっただけ」だと私は指摘したい。そしてみな背景を見ずに作者名を見るから、短歌史は少しずつおかしなことになる。そのことは歴史を書く側の人間にはっきりと記憶しておいてもらいたい。

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さて、私は3つのことを言おうとしている。

1.「短歌ブーム」は、出版社の変化(歌人では加藤治郎、東直子。編集者では田島安江)がもたらしたものだと言えるということ。

2.実はこの「短歌ブーム」は木下龍也からはじまったものではなく、「もっと前からあった」ということ

3.そして最後に、「いずれは小説も短歌も、文芸は他の音楽や映像などのコンテンツに食われて終わるかもしれない」という危機感を私が持っていることだ。

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1.は既に書いた。「短歌ブームの代表的歌人」は木下龍也や岡野大嗣かもしれないが、「短歌ブームの代表的人物」は田島安江であり、加藤治郎であり、東直子だ。

2.についてはこれから書く。

木下龍也を筆頭とした「新鋭歌人シリーズ」からはじまった短歌ブームには、たしかに大きな熱気が渦巻いていた。(当時のTwitter上で「現代の新風十人だ」という声もあったのもなんとなく覚えている)出版記念シンポジウムも盛況だったらしい。

この熱気は「すごい歌人が世に出た」というより、「私も歌集を出せるかもしれない」という、もっと「今まで読者だった若者」を巻き込んだ種類の熱気だったように思う。

私が前者のほうなら今頃こんな記事を書いていない。単にこのブームに喜んでいただろう。望月裕二郎や五島諭という歌人が第一期で登場したことは喜ばしいことだと思ったが、「新風十人」というにはセレクションに偏りがあるように見えたし、歌を見て新鋭短歌シリーズの他の任意の歌人が「新風十人を超える」と確信できたケースは皆無だった。むしろ「なんじゃこりゃ」というのが私の感想だったから、いたく興ざめしたのを覚えている。

そしてなにより「私も歌集を出せる」というような情熱とも、私は隔絶されていた。当時、条件が明確に記載されていたので「なんだ結局お金かかるんじゃん」というのが正直な感想だったし、当時から私は歌集を出すお金など用意出来なかったから、書肆侃侃房の周辺(それは当時私が所属していた選歌欄にも波及した)の盛り上がりを苦々しく見ていたということになる。

もう一つ指摘したいのは、今回のブームではなく、若手を中心とした短歌のブームや熱気(フィーバー)はそれ以前もあったということだ。そして直前の熱(フィーバー)には「私もうなされた」ことがある。

以前書いたように私は「短歌ヴァーサス」という若者向けの総合誌(当時は風媒社という名古屋の出版社が発行)と、オンデマンド出版(ブックパーク:母体は富士ゼロックス)のミックスによる「短歌を世に問う機会を若者のために開いた短歌の若手への開放運動」のようなものを経験している。

もし「ニューウェーブ」というものが間違いなく存在するとしたら、それは作品に共通の特徴というより、荻原裕幸、加藤治郎、穂村弘が間違いなく「一緒に場を作っていたように見えた」事実があるということだ。そして笹井宏之や斉藤斎藤など、彼らに見出された歌人が確実にいるという事実のみにおいてだろう。

そして「歌葉」は装丁もいたく簡素だった(現在の文学フリマで流通する雑誌のほうが豪華にみえるほどだ)し、ISBNもなく、どこかに流通できるようなものでもなかった。だがその動きは圧倒的に当時の若者に「私も出版できる」という夢を与え、私も参加したニューウェーブ短歌コミュニケーション(歌葉のシンポジウム)には、当時の若手歌人たちのものすごいフィーバー(熱気)があった。

だから今の短歌ブームを「書肆侃侃房(木下龍也が中心)からが始まり」という見方には、もしかしたら異論がある歌人もいるかもしれない。「短歌ヴァーサス」と「歌葉」の存在を抜きに「書肆侃侃房の企画」はありえないからだ。

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聞くところによると、加藤治郎は今回の「新鋭歌人シリーズ」を、「歌葉」と同じような条件にするよう書肆侃侃房に働きかけたという。実際、既存の短詩型専門の出版社の「よくない話」は私もしょっちゅう聞く。「まだそんなにかかるの」というおそろしい初期費用はおおむね把握しているし、投下した費用がいくらかでも返ってくるなんて話も聞かない。

ナナロク社や左右社がどうなのかは知らないが、書肆侃侃房は私が歌集を出した2021年当時も「条件がわかる出版社のなかでは最も良心的な出版社」だったように思う。

私が短歌をはじめた2006年あたりにも「歌集は出版費用がエグすぎる」ということは話題だったし、若手歌人の課題は「どう表現するか」とともに「どう出版するか」であったことも知っている。

(お金の話なのでネット上であれこれと書けないが、疑いがあるなら試しに各社に見積もりを提示してみればよいと思う。)

実際、「歌葉新人賞」はそのまま副賞が「ブックパークからの歌集出版権」であり、似たような形でそれは「笹井宏之賞」にまで受け継がれている。笹井宏之は第4回歌葉新人賞の受賞者だったし(歌葉を受賞してから彼は未来に入会した)、選考委員がリアルタイムで候補者の前でしゃべる選考会方式だったことを除けば、「歌葉」の内容はそのまま「ねむらない樹」(書肆侃侃房)に引き継がれている。

だから私は確信する。「短歌ヴァーサス」と「ねむらない樹」には連続性があり、「現在の短歌ブーム」は、2003年5月の「短歌ヴァーサス」創刊まで遡ってもよいということを。少なくとも「短歌ブーム前史」として位置づけていいということを。そうすると、その創刊号の表紙だった枡野浩一は、当時の短歌シーンの「顔」として創刊号に選ばれるほどの活躍をしていたことは容易に推察できるだろう。

そのことを証明する例はたやすくあげられる。現代短歌クラシックスで刊行された歌人たちに、なぜか第一歌集を「歌葉」か「風媒社」で出版した歌人が多いこともその一例だ。

なぜ現代短歌のクラシックス(古典)が、私と同世代の盛田志保子や石川美南、遡っても1968年生まれの千葉聡や64年の佐藤弓生、62年の正岡豊が中心(最年長は55年生まれの渡辺松男)なのだろうか。「現代短歌とは何か」そのことを意識して編集されているのだろうか。
「誰にも手に入らないような絶版だけどクラシックス(古典)」をしっかり自認するなら、紀野恵の第一歌集『さやとそよげる玉の緒の』しかり、穂村弘の編集者だった山崎郁子の『麒麟の休日』しかり、「海の観覧車」の歌が衝撃的なイソカツミの『カツミズリズム』しかり。私が読んだことのないくらいの「絶版クラシックス」をしっかりフィーチャーする努力をするはずだと思う。しかし残念なことに現代短歌クラシックスは、「まだ活動している歌人」の古典である。許諾とかいろいろな問題があるのだろう。

そして短歌の作り手は、書肆侃侃房の思惑(もっと言えば「短歌ヴァーサスの創刊のこころざしを含む」)通り若年化したし、学生短歌会や若手の台頭も目覚ましく、それにともなって歌は見事に「現代仮名遣いと現代文(口語)一色」になった。

いずれにしても著しく高齢化した短歌には、若手へ向けて放熱しなければならない事情があったし、現代化(口語化)への道は避けては通れない道だったのだろうと思う。

現在に至るまでの「私家版ブーム」を始めとした「格安出版ブーム」の根底にある欲は「あなたの歌集を読みたい」ではない。「わたしも読まれたい」「わたしもここに陳列されたい」なのである。

もし仮に「発表したい欲」が「作者への推し」に変わり「純粋読者が増えている」なら、そこからは作者の功績であると言えるだろう。

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なぜこのようなことを何度も確認しているのか、というと、どうも現在の短歌ブームのプレイヤーたちが「自分たちの周辺ばかりをみて、前史に対するリスペクトがまったくないかもしれない」

という不安をはしばしに感じるからだ。

それを私は、たとえばちょくちょく作品単位で感じる。あくまで一例として
木下のこんな歌を例に出そう。

サラ・ジェシカ・パーカーさんが三叉路でサラとジェシカとパーカーになる

木下龍也

これは「構文だけ」読むと、

自動販売機とばあさんのたばこ屋が自動販売機と自動販売機とばあさんに

斉藤斎藤

この歌になんか似てない?と感じる。

口語は似やすいとは言え、三つに分かれる下句構文や、人名やできごと(名詞)がうたのなかで分離する感じにはなんかデジャヴを感じてしまう。これは私だけだろうか。しかも、木下のほうが洗練されているのかもしれないが、斉藤の歌は時間の経過とともに「たばこ屋が潰れた」という事実も喚起されて一段階凝っている。(だから誰もが口ずさめないかもしれないが)

もう一つ例を上げよう。今回渦中になった岡本真帆の代表歌と言われるこの歌をあげる。

ほんとうにあたしでいいの?ずぼらだし、傘もこんなにたくさんあるし

岡本真帆


この歌ですら、口語短歌をほぼ頭のなかに入れている私には危なっかしく感じる。

だいじょうぶ 急ぐ旅ではないのだし 急いでないし 旅でもないし 

宇都宮敦

なんか結句に「し」を連続する構文って、発祥は宇都宮さんじゃね、と私は直感で言う。

この歌が全く無名というわけではないのはおそらく当時の歌人たちはみな知っている。つい10年前は「だいじょうぶ」というとこの歌の続きの合唱が聞こえたくらい有名だったからだ。

かろうじて「天才による凡人のための短歌教室」が参考文献として歌葉世代の歌集を上げているけど、直接的な言及をあまり聞いたことがない。

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ここまで誰からも声が聞こえないとなると、「彼らはほんとうに知らないのではないか」と、私は自分が病に倒れて「書けなかったこと」を嘆く事態に陥る。

斉藤や宇都宮の歌を後継世代が知らないなんてありえない。少なくとも私は自分の10年前にデビューしたくらいの歌人だったら、代表歌はきっちり覚えているし、それに対するリスペクトも表明できる。(ただ10年前は私の同世代だが)

私たちが書けなかった(あるいは書かなかった)ことが、私たちの最良の部分を短歌史から消滅させた。その責任を痛感するだろう。

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いずれにしても「盗んだ」とか「知らなかった」とかになると、話は泥試合になってしまうし、言いがかりみたいになるから私も言いたくない。

だからたぶん「誰も言わないようにしているだけ」なのもしれない。

そこで私も何も言わないようにしていたのだけど、嶋稟太郎ほどの論客がこんな発言をしているのを見て、わたしは「怒髪天を突く勢い」を体感したのだった。

前記事でも引用したが、私が怒りを抑えずに書くとこうなる。
嶋のこのX(Twitter)での発言は今ふうにいうと完全なる「ブーメラン」だ。「歌葉」に憧れた一人の読者として言わせてもらうと、

まほぴさんの件みたけど、功績のある人が明らかなのにリスペクトなしで商業アカウントが広告に使っちゃだめでしょ。法以前にモラルの話だよ。(後略)

嶋稟太郎さんのXより

「功績のある人が明らか(10数年前に発売されていたくらい前の話程度)なのにリスペクトなしで同じジャンルの人がその構文を自作に使っちゃダメでしょ。それこそモラルの問題だよ」と言えるし、

短歌というジャンルで高額な歌集出版に苦しんでいた世代(私ではない)の努力をスキップ&フリーライドして踊っていたのは誰?という話になる。

私は口語のプロパーな使い手ではないかもしれないが、口語の使い手たちはそれぞれ作品の上では血の滲むような努力をしてきたと思う。それは若い世代にも想像がつくだろう。「なりけり」から一気に笑いまで歌を変えたのだから。私だって多くの口語歌人の努力には頭を下げるのみだ。

そのことに敬意を表すのは難しいことではない。名前にはしなくても短歌の先行世代への敬意を表明すればよい。わたしが従順過ぎるのか、わたしは同世代よりも先行世代の伝統を尊重する傾向があった。だからこうして見ると、年下の世代の発言に不安を感じる。「あっ、結構みんな無神経なんだな」ということだ。

もはや口語の問題は伝統などではない。単に「読んでないだけ」だとしたら大変なことだ。10年前の短歌をしらないのはただの勉強不足だし、それを知ったとして、「バズったから」という理由で自作を落とさないという態度があるとしたらモラルを欠いている。いずれにしても私には信じられないのである。

そして嶋のように、勝手に著作権やモラルのようなデリケートな話題を出すのは論者として最悪だと私は思う。その主張が波及してしまったら、わたしたちが「他ジャンル」に合わせる顔がない。迷惑すぎる。嶋の世代だけが短歌の代表ではないのだ。

短歌ブームのプレイヤーが、「真に短歌というジャンルの担い手」であるのか、そのなかに私たちの世代の最良の部分を入れてくれるのかというのは、私たちもおそらくはらはらしながら見ている。私は疑り深いので、私の仲間たちがしっかり短歌の歴史に入るかをじっと見守るつもりだ。

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最後に私の歌集の話をして終わりたい。

私が歌集を出版したとき、モチーフの類似や意図的なパロディなどを含めると八首前後は削られた。あと、アニメや書籍など当時から他ジャンルで発売されたものの固有名詞には「著作権の関係」があるからあらかじめ注をつけるように監修の指摘が入った。

アニメの「星界の紋章」で使用された架空言語や、昔のヴィクトル・エリセの映画のタイトルをしれっと出して「何だこれ?」と思って調べてもらうのが私の本来の「意図」だったのに、直前にそのことが発覚し、先行世代の開発した商業的な固有名詞にはすべて注がついた「不本意な結果」になった。

さらにはそれ以前に、J-POP関係の歌詞を詞書として使うのは、どうもJASRACの関係で難しいらしいということがわかった。使用料は私ではなく出版社が払わねばならない。大金を払っているならまだしも、安く安くやっていただいているので、そんな負担を版元に背負わせるわけにはいかず、私は全てのJ-POPの歌詞を削除した。

ただ、その心配のない他の文芸、俳句や現代詩の詞書はOKということになった。同じ表現なのにこのような格差はすでに生まれている。

すでにわたしたちはもっとも流行しているジャンルのことばですら「インスパイア」はできなくなっている。

それをふまえて他ジャンルへリスペクトと著作権を要求するのか、それが最善なのか考えてほしい。

ついでにいうなら私の作風ではそんなことをされたら「簡単に借りに行く」ことができなくなるので、事態を悪化させないように「何も言わないでほしい」とお願いしたい。

3.についてはさらに別の文章が必要だ。余力があれば書く。

付記:文芸滅亡論については2024/09/27に書きました。

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西巻 真
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