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私と沖縄② U先生とのお話

先日投稿した「私と沖縄①」の続きを綴ろうと思います。

私は一年間「休学」という自分にとってとてつもなく大きな人生の選択をしたわけですが、
その決断をできたのは、沖縄という土地で出会った「大人」達のおかげです。

この沖縄旅で最初にご飯の約束をしていたのは、U先生でした。
とても素敵なかわいらしい森の中のレストランに向かい、美しく優しいお料理とU先生との会話で、私の心は解れていきました。

U先生は本当に私が尊敬している「大人」の一人です。
正直なところ私は「大人」という生き物が大っ嫌いであり、当の昔、小学生の頃に信頼の対象から外していました。
それは頼る対象を自ら減らしてしまうという厳しい選択でしたが、
子どもながらに自分の心を守ろうとしていたのだと思います。

人は心が疲れてしまうと、視野がものすごく狭くなります。
正常な判断をできません。半径3センチくらいしか見えていない私に、様々な選択肢があることを気づかせてくれ、そして「この生き方しか無理だ」「これを手放したら自分の価値がなくなってしまう」という恐れや不安、凝り固まった思考をいつも解し、ほっとさせてくれる存在がU先生です。

「休学」という足止めをなかなか決断できず、毎日毎日屍のように生きていた私。
「やすむ」「立ち止まる」という事にものすごい抵抗があり、
しかも自分を形作ってきた「勉強」を手放したら無価値になるのではないかという恐れに取りつかれていました。

いつもこんな同じような話をU先生にします。
この日もレストランでまた、こんな話をしていました。

「うんうん、」と一通り聞いてくださった後にU先生、

「ユキさんの価値は本当になくなってしまうんですか?」
「今、いったん休んで立ち止まると、今まで積み重ねてきたものは消えますか?」

・・・・・・・。

今まで積み重ねてきたものは消えないし、自分の価値って勉強とかだけじゃないよな….と気づいた。
消えない消えない。今まで積み重ねてきたものは消えたりしない。

ただ、「今」という時間の中に実在していないからなんとなく「何もない」という虚無感に苛まれることがあるけど、
「過去」という時間にたくさん残してきたものは紛れもなく自分が行動して生み出した産物で、誰に奪われることもないし消えることもない。

自分の価値がなくなるかもと必要以上に心配しているのは自分一人で
しかも、自分の価値をものすごく限定的なもので決めているのも自分だなっと思った(私の場合、「学問」と「部活」……)

でもそれ以外にだってきっとある。
そう言えば私はよく「優しい」とか、「話しやすい」とか、「安心する」とか言われることが多い。
確かに、相談事はものすごいよくされるし、人の話を聴くことが苦じゃないからずっと聴いている。そして「ありがとう」の言葉をいただく。

これも自分の価値かなと思ったりする。

でもそもそも、自分という存在に+αの何か(何かが「できる」という事や、何かを「持っている」という事など)で価値を見出そうとしてるから
苦しくなるのかもしれない。
私たちは居るだけでいいのかもしれない。

そんなことを、U先生の問いかけから考えたりしていた。
そして、私は足止めをしても私の価値はなくならないし、過去に頑張って積み重ねてきたものも消えたりはしないんだと再認識することができました。

U先生には本当に感謝しかないし、私もこんな「大人」になりたいといつも思う。

私と沖縄③に続く


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