日常に転がっている「豊かさ」 エッセイ#41
私が住んでいるアメリカの自宅のすぐそばに、大きな自然公園があります。
昨日は、その公園で野外ミュージックフェスが開催されていました。
心地よい夏の夜風に吹かれながら、野外に響き渡る音楽に揺られ、
芝生の上でリラックスする時間は格別で、
開放感にひたりながら、
とっても「豊かだなぁ」と感じました。
なんと、このイベント無料で参加できるのです。
こんな素敵な空間が無料で提供されているって、
なんて「豊か」なんだろうと、
有難い気持ちを噛み締めました。
こんな風に、日常に転がっている一つ一つの現象から、
「豊かさ」を見いだせるようになって、
心満たされた毎日を送れるようになったなと、感じます。
昔は、「豊かさ」は、お金で手に入れるものだと思っていました。
そして、何か手に入らないものがあると、欠乏感に意識を向けて、私は豊かじゃないと感じてた。
けれど、「豊かさ」って、実は自分の世界にすでに存在していて、
大事なのは、そこに
「気づけるか?」
「意識を向けられるか?」
だということに気づいた瞬間がありました。
それは、何年か前に、ライターの仕事でSDGsについての記事を執筆したとき。
・世界では約4人に1人が、安全な水を使えない暮らしをしていること
・約7億人(つまり10人に1人)が、飢餓に直面していること
を知って愕然としました。
ライフラインや、インフラが整っていて、
安全で、食うに困らず、
スマホで24時間必要な情報を手にできる生活は、
実は世界的にみたら、全く当たり前ではないんですよね。
日本でのごく一般的な生活は、他の国の誰かにとっては夢のような生活なのかもしれない。
そう思ったとき、
本当は、ものすごく恵まれているのに、豊かさで溢れているのに、
それに気づけず、欠乏感を感じて生きるのは、とっても悲しいことだと思ったのです。
それからは、
自分の世界にすでに存在している「豊かさ」に、
何気ない日常に転がっている「豊かさ」に、
意識的に目を向けて、
「当たり前」を「有難い」に変換していくようになりました。
そして、そういう風に世界を眺めるようになると、
実際に目に映る現実が、私の生きる世界が、心が、どんどん豊かさで満たされていくようになったのです。
だからこれからも、
私の世界にすでに存在してくれている「豊かさ」に気付ける感性を、
「当たり前」を、「有難い=ありがとう」に変換する感性を、大切に育てていきたいなと、思います♪