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#45 すべて真夜中の恋人たち



切ない。綺麗。澄んでいる。

真夜中の空気を吸い込んだときの
心臓がぎゅっとなる感じ。

夜の静けさに包まれ、光の中に溶けこむような不思議な安らぎ。

散りばめられた言葉、丁寧に紡ぎ出された言葉の欠片はどこから眺めても綺麗で、
時折り心臓がぎゅっと掴まれていた。


冬子とうこの息苦しさ。
暗闇のなかを歩いてるような心細さ。
暗闇に放り込まれたような孤独感。

前が見えない。足元もよく見えない。不安でいっぱい。

ひとりぼっちのさみしさに、
人と関わる、向き合うことの怖さを常に抱えているあの感覚。

人との関係を上手く築けない劣等感。
自分を構成するものの薄っぺらさ、空洞感?
自分の無力さにひたすら呑み込まれるあの感覚。

だからこそ。
頼るもの、すがるものに手を伸ばしてしまっていたこと、手放せない時間が続いてしまったこと。暗闇の中をひとりで歩くにはどうしたって手放せない必要なものだったと理解できる。

弱くて、自分に甘くて、逃げてばっかりの人間に映るかもしれないけれど。

自分を守ることに必死だったと思うから。
殻に閉じこもって、自分を必死に誤魔化して。

引きずられてしまうあの感覚はわかるから、他人事には思えなかった。

アルコールに染まり、弱いとカテゴリーに入れられたとしても、冬子の生きづらさは否定したくないと思った。

人それぞれ感じるものが違うように、
強さも弱さも人それぞれ。
強さがすべてとも思わないし、
弱さを武器に庇護されるのも違うとも思うし...

ただ、冬子の生きづらさが薄まればいいのに。
もっともっと薄くなれ、そんな願いが生まれていた。

蓄積されていく悲しみも痛みも心細さもぜんぶがにじむように伝わってきて、苦しかった。

恋愛小説ではあったけれど、
本作の魅力は人間を丁寧に描いてくれたこと。

だれにも気づかれず見向きもされずにいた
視界にすら入っていなかった

そんな存在に光をあててくれて、
ひとつの確固たる光を見せてくれる物語だった。

こんなにもたくさんの人がいて、こんなにもたくさんの場所があって、こんなに無数の音や色がひしめきあっているのに、わたしが手を伸ばせるものはここにはただのひとつもなかった。わたしを呼び止めるものはただのひとつもなかった。


閉じ込めていた気持ちを自覚した途端、
溢れでてくる感情。

「好き」が溢れて
手に負えなくなってしまう苦しさ。

皮肉よね。好きという気持ちが暴走して、飛び出してしまった感情がいつしか自分を傷つけるものに変わってしまうなんて。囚われて身動きすら取れなくなってしまうなんて。

三束みつつかさんへの想いで溢れ、
いっぱいいっぱいになってしまった冬子。

冬子の心の揺れ動きが、
まっすぐでむき出しの言葉の数々とともに描写され切実な痛みを味わう。

声を近くに感じるどころか
冬子のハートがね、
だんだん透明になっていってね、
今まで必死に隠していたものがだんだん剥がれて、さらけ出したその声に触れて痛みが込み上げた。

人を好きになるって苦しい。こわいよね。
感情は溢れて破裂しそうになるし、
これまでのバランスが保てなくなるんだよね。

ね、冬子ちゃん。
って声をかけてあげたい気持ちが膨らんだり、こんなピュアな気持ちをもうどこかに落としてしまったような気もして、さびしさが込み上げたりも。

仰向けになってもう一度言ってみた。わたしは三束さんが、すきです。わたしは、三束さんがすきです。耳がじんじんと脈打ち、手のひらが痛み、喉がはりさけてしまいそうだった。吐き気に似たようなものが胸の奥からこみあげ、わたしは目をかたくつむって、それが小さくなってくれるのを祈るような気持ちで待った。


冬子と三束さん。
孤独を埋め合うように流れていたふたりだけの時間、会話はやはりとくべつなものだった。
真夜中の残された光がふたりを後ろからやさしく照らしてくれてるような時間で。

ひとつひとつの言葉をやさしくゆっくり静かに交わしていく様子は、ことばの贈り物をそっと差し出しあっているかのようで、たくさんの言葉が光っていた。


わたしたちはお互いにお互いを構成するものをすこしずつ交換しながら、わたしは三束さんの記憶につまさきをそっと入れてゆく思いだった。

わたしたちは途切れながちな会話のつなぎめに足の裏でしるしをつけるように、一歩一歩をすすんでいった。


冬子ちゃんが
夢と現実の境をなぞっていくように、
今この瞬間の現実を映し出せるように、
見えるものと見えないもの、さわれるものとそうでないものを、三束さんの名前を何度も呼びながら、手を伸ばしてふれながらたしかめていく。
溢れる感情を声に、それでもすり抜けていってしまう声。何度呼びかけても三束さんから届かない、「はい」の返事。
ここは、切なさが全開になる場面だった。

抑えていた感情がとめどなく溢れ、
感情にのみこまれそうになりながらも
これまでの自分をすこしずつ掻き消していくように、現実の世界で起きていることを肯定し、自分を認め、視線を上げた先に映し出されたもの。

最後まで残る光、消えない光を探していた冬子ちゃんに映されたふたつの小さな光。
この時冬子ちゃんが目にした、ようやく出会えた光に、静かな感動も待っていた。




信じられる? 
人が人に向かって、こんなにも言いたいことがあるなんて。

聖さんの言葉が、印象的。

「これっていつからなのかなあ。もう思い出せないし思いだす気もないんだけど、感情とか気持ちとか気分とか___そういったもの全部が、どこからが自分のものでどこからが誰かのものなのか、わからなくなるときがくあるの」

「いつか誰かが書き記した、それが文章じゃなくてもね、映画の台詞でも表情でもなんでもいいんだけど、とにかく他人のものを引用しているような気持ちになるの」

「だから、この『しょせん何かからの引用じゃないか、自前のものなんて、何もないんじゃないのか』っていうこの気持ちも、やっぱりどこかからの引用じゃないかっていうような気がしていて、まあ、なんかいろいろだめなのよ」

さらに印象的で、聖さんを近くに感じた。


そして、冬子ちゃんのこの感覚はとてもうつくしいと感じた。

ぜんぶが引用みたいに思えるのよ、という聖の言葉がときどききこえてくるようだった。悲しいもうれしいも、自分のものじゃなくてどこかの誰かがいつか感じただけのもので、わたしたちはそれをなぞってるだけにすぎないのよ。わたしは三束さんの胸ポケットにささっているペンの種類とキャップのかたちを思いだし、それから三束さんの広い額と横の毛の小さな束になった流れを思いだし、コーヒーカップをもつときの手の角度を思いだし、そのときにみえた爪のかたちさえ、はっきりと思いだすことができた。目のわきの傷跡と、唇の皮がすこしだけ白くめくれていて、それが三束さんの呼吸にゆれているのがみえた。そのときは意識していなかったはずのものが、存在していないように思えたものが、記憶に残っていると思いもしなかったものがまるで無音のまま高速で成長を遂げる花の種のようにみるみるうちに育ちはじめて、夜は、わたしの目と耳と胸を、いっぱいにした。


私の中でのハイライトは、ラストシーン。

いままで選ぶことも自分の意思も気持ちも置き去りにしていたあの冬子が、
星の数ほどある、ありとあらゆる言葉に触れてきた校閲者である冬子が、

自分のなかで生まれた言葉に気づいて、掴んで引き寄せて書き留める。
このなんてことない一連の動作に、静かに胸を打たれていた。

だって、

" 消えようとしない言葉 " ってあったけど、
冬子がはじめて、
" 消そうとしない言葉 " に感じられたから。

これまでは自分の気持ちを置き去りにしすぎてどれが自分の気持ちかわからなくなってどんどん透明人間になっていって気持ちまで透明になってしまっていた冬子が、

現実を見ることも受け止めることも何より自分すらも拒絶、自らの光を消していた冬子が気持ちを手放さず心のままにつかめたはじめての言葉じゃない?って。


間違いを探してばかりだったのに、
なにが答えかも、それが正しいのかさえわからなくても、心のままに言葉を手繰り寄せる。

切なく苦しかったひとつの恋の終わりを経てむかえたラスト、やわらかな希望の光に胸がやさしくつつまれた。

朝になれば消えてしまう真夜中の星たちを思うと切なさが込み上げてしまうけれど、
冒頭のあのシーンの美しさがいつまでも消えない景色となっているように、
ふたりの中でもまぶたをとじては映しだされ、心の中で灯しつづける光となってくれてると思う。



川上さんの繊細な表現。
光について捉えていた感覚、眼差し。
美しくやさしい言葉で紡がれた世界は、ずっとゆらゆらと、とどまっていたい空間でした。


真夜中は、なぜこんなにもきれいなんだろうと思う。
それは、きっと、真夜中には世界が世界が半分になるからですよと、いつか三束さんが言ったことを、わたしはこの真夜中を歩きながら思い出している。光をかぞえる。夜のなかの、光をかぞえる。 
.
昼間のおおきな光が去って、残された半分がありったけのちからで光ってみせるから、真夜中の光はとくべつなんですよ。
そうですね、三束さん。なんでもないのに、涙がでるほど、きれいです。



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