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コンパッションとは?3種類あるコンパッション

こんにちは。「コンパッション」という考えに、とても共鳴して、広める活動をしています。「コンパッション」は日本語に訳すと「思いやり」「慈悲」です。

元は仏教の考え方から生まれ、2000年代に欧米で心理学、心理療法の中に取り入れられ、発展しました。

コンパッションは仏教の考え方をベースにしているため、「そもそも人生には『苦』がある」という前提があります。「苦しみにどんなふうに向き合うのか?」を考えたのがコンパッションです。
チベット仏教のダライ・ラマは下記のように定義しています。

人生には、必ず悩み苦しみがある。それに対して目を背けず、自分や他者に思いやりを持って接し、知恵・勇気・強さで悩み苦しみを取り除いていこう、という考え方、姿勢、心構えのこと。

コンパッションの定義

悩み・苦しみが多い現代で、コンパッションをたくさんの人に知ってもらい、日本の社会に広げていきたいと思っています。


人類にはコンパッションが必要だ

人類にはコンパッションが必要だ、と痛切に思います。

個人の人間関係から、また社会からの抑圧、なんらかの理由で、皆、たくさんの傷ついた体験をしています。多くの人がもうこれ以上傷つかないように鎧を着ており、そのため人と繋がれない、という悩みを抱えています。

愛され、必要とされるのは、能力がある人だけで、能力がなければ人としての価値がない、という思い込みをたくさんの人が持っています。

現代の個人主義、資本主義、能力主義がという、良いと思って生み出したシステムが、私たちから自信や幸福を奪い、苦しみを生み出しているという矛盾の中にあるように思います。

悩み苦しみと無縁だという人は、いないのではないでしょうか。

コンパッションには「タフ」であることも必要

私たちの社会は、とても複雑なシステムなので、簡単に解決できるとは思いません。けれども、ただ手をこまねいているのも違うと思います。

私たちがまず最初にできることは、自分自身や身近な他者にコンパッションを送り、その苦しみを取り除くいくこと。

「優しくする」というと、自分や相手をとことんケアする、悪く言うと甘やかす、という意味にとる方がいますが、それは違います。
コンパッションは、自分や他者にとって本当に必要なことは何か考え、アクションを起こしていくことを求めます。

例えば、仕事が忙しく休息が必要な人がいたとして、その人にコンパッションを送るとしたら、「いつまでも好きに休んでいいよ」と言うわけではなく、十分な休みを取ることを勧めながらも、なぜそこまで自分を追い込んで働くのか自分に向き合い、本当に送りたい人生を実現するよう求めるでしょう。

自分の悩み・苦しみに向き合うことも、自分に思いやりを向け行動していくことも、生半可な気持ちでできるわけではありません。
とても「タフな」考え方でもあると思います。

コンパッションの3つの循環

コンパッションには3つの流れがあります。それぞれ重なるところもありますが、違いがあります。

コンパッションの3つの流れ


①自分に対する思いやり
「セルフ・コンパッション」という名前で知られています。
自分の気持ちに寄り添い、よく理解し、本当に必要な言葉やアクションを送る関わり。時には困難な道にも勇気を持って1歩踏み出すよう背中を押す。

②他者に対する思いやり
立場や背景が違う他者の気持ちを理解しようと努め、苦しみを軽くしてあげたいと願いを持つ。困難が相手の成長に必要であれば見守ったり、苦しみを紛らわす対処療法ではなく根本解決に取り組む手助けなど、多様な関わりがある。

③相手からの思いやりを受け取る
心を開いて相手からの思いやりを受け取る。思いやりを受け取った経験は、困難に陥った時、自分を勇気づける元になる。
他者からの思いやりは、時には自分にとって望んだ形ではないかもしれないが、相手の言葉や振る舞いの奥にある温かさに気持ちを向ける。

3つの流れには相関関係がある

「①自分にコンパッションを向ける」が一番難しい!という声を比較的多く聞きます。メディアで取り上げれるコンパッションも「セルフ・コンパッション」が取り上げられていることが多いですね。皆さんは、いかがでしょうか?皆さんは、何が得意で何が苦手か、思い当たる流れはありますか?

実は3つの流れには相関関係があります。
例えば、自分への思いやりが足りないと、人のために余計な仕事を引き受けたり、自分の気持ちを蔑ろにしている感じがあるでしょう。他者へ思いやりを送りたくても、とてもそんな余裕はありません。

他者からの思いやりを受け取らず断ると、いつまでも自分が楽にならず、自分への思いやりを断っているのと同じです。

他者に思いやりを向ける機会が無いことは、人の足りないところばかりを見る癖があったり、あるいはコミュニケーションの総量自体が少ないのかも知れません。他者から思いやりを向けられることが少なくなってしまします。
コンパッションの循環を断つことで、幸せを感じる機会が少なくなっているのがわかっていただけるでしょうか。

ただ、苦手なコンパッションがあったとしても、そこには何らかの理由があるはずです。何か、過去に嫌な思いをしたり、傷ついた出来事があったのかもしれません。コンパッションに目がいかないぐらい忙しいのかも知れません。自分を責めないでおきましょう。過去の痛みが今に影響しているとしたら、まずは、そんな自分にコンパッションを向けて、いたわりや、ねぎらい、優しさを送ることが、コンパッションの循環を起こす第一歩です。
コンパッションでは、自分に思いやりを持つ第一歩として、「過剰な自己批判をやめる」ことをしていきます。

目指す世界

コンパッションのトレーニング(が、あるんです)では、コンパッション体質になるために、イメージワークをよく使います。
私が好きなのは、過去に受けた親切や思いやりを思い出すイメージワークです。何回もしていると、とっくの昔に忘れていた思い出が、自分の内側から飛び出してくることがあります。
例えば、子どもの頃に可愛がってもらっていた近所のおじさん・おばさんご夫婦からの思いやり。家の隣を小さな畑にしていたおじさん・おばさんは、私が勝手に入っても怒らず、いつも笑って畑仕事を手伝わせてくれました。
おじさん・おばさんは、犬を飼っていたので、私は犬と畑の中を駆け回って遊びます。
秋には、おじさんの家の柿を収穫して、一緒に皮を剥き、干して渋柿を作ります。あの時の、全然家族でもなんでもないのに、「そこにいても良い」感じ、垣根なく、受け入れてくれていた感覚は、思い出すと、すごく心が温まるのです。

お二人とも、とっくに亡くなって、今はいらっしゃらない。
だから私は、その恩を2人に返すことはできないのですが、その分を誰かに返していけたらと思います。

こんな思いは、コンパッションを知らなければ、生まれることはありませんでした。社会のお一人お一人にコンパッションを届け、温かさ・繋がりが「実感」として感じられ、循環が広がっていく社会になるよう、貢献していけたらなぁと思っています。

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