映画「関心領域」に無関心でいられない
第76回カンヌ国際映画祭でグランプリに輝き、英国アカデミー賞、ロサンゼルス映画批評家協会賞、トロント映画批評家協会賞など世界の映画祭を席巻。
そして第96回アカデミー賞で国際長編映画賞・音響賞の2部門を受賞した衝撃作!
という触れ込みの問題作『関心領域』を観て来ました。
公式ウェブサイト(表題写真は公式ウェブサイトから)では、この映画を
「アウシュビッツ収容所の隣で幸せに暮らす家族がいた」
と表現しています。
暮らしているのはアウシュビッツ収容所長の一家。
広々とした庭には季節の花々が植えられ、滑り台付きのプールも。
自然豊かな近所には川が流れており、一家で川遊びするシーンから映画は始まります。そう、幸せそのもの!という描写から。
映画の冒頭と終幕には画面がブラックアウトして音だけが流れます。
庭で楽しむ一家の向こうから聞こえてくる、遠くの音に耳を澄ませてね!とでも言うように。
家族が暮らす壁一つ向こうは、アウシュビッツ強制収容所。
列車で運ばれてくるユダヤ人たち。ガス室に追い立てられ、泣き叫ぶ声や最後の瞬間の絶望の叫び声が聞こえてくる。時には銃声も。
焼却炉の煙突から煙が上がっているのさえ見える。
家族の平和で豊かで幸せそうな暮らしの映像の背後に、阿鼻叫喚の声がかぶせられる。
映像と音声のどうしようもないアンバランス。
観客はひどく居心地の悪い気持ちを味わうことになる。
それは観客だけでなく、登場人物たちもそうだ。
上長からの栄転を告げられる主人公、しかしアウシュビッツの隣での暮らしを手放したくない妻は、ここに残ることを選択し、夫に単身赴任を求める。
浮気に走る夫の様子も描かれる。
一緒に住もうとやって来た母は「理想の暮らしを手に入れたわね」と娘を祝福するが、わずか数日でその家から姿を消した。
母がいなくなり、夫も転勤でいなくなり、子供たちの心のバランスも崩れ、やがて妻の心の歯車も狂っていく。
ユダヤ人の着ていた毛皮のコートを羽織り、何不自由なく暮らす毎日は、数百万人の死、命の灯火の消滅への無関心の上に成り立っていた。
観客は、暗い映画館の中で自らに「問い」を発せざるを得ない。
自分の暮らしの平穏は、何かに無関心でいることで成立しているのではないかという「問い」を。
「梅雨入りしたばかりだと言うのに関東は猛暑日です!」とテレビは現象だけを伝えるが、この映画は、知っていながら温室効果ガスを出し続ける自分は大丈夫なのか?と聞いてくる。「暑いですね〜」と原因に無関心を決め込み、汗を拭っているだけでいいのか?と問いかけてくる。
観客は、自分が無関心を装っている重大事に否応なく向き合わされるのだ。
主人公たちのように、平穏でいるために無関心を装うあなたは大丈夫?と聴いてくる。
エンドロールで流れる音楽は不協和音だけで作られた曲のように聞こえた。それくらい不快な曲だった。
音楽に詳しい方に教えていただきたい。どうしたら、あんな不快な曲を作れるのかと。
目を背けるな!不快を味わう勇気はあるか?
そう聞かれた気がした。
これはナチスドイツを描いた映画でもなければ、
アウシュビッツ強制収容所の悲劇を描いた映画でもない。
不都合な真実に目を背ける私たちに問いを投げかける映画だ。