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旗は揚がった。

大学院を修了して7年間。これまで理論と実践の往還を意識しながら学び続けてきた。その時々の興味・関心で教育書を読み漁り、小学校現場では自己研究テーマに沿って実践を積み重ねてきた。

若いうちの努力量でその先の命運は分かれる。その意識をもってからは学生時代よりも学びに向かう姿勢ができている。

ただ私の中でずっと引っかかっていたことがある。それは、所属する研究組織を定めていないことである。

現場の力のある先輩や書籍を出している先生は、所属先を決めている場合が多い。市区町村や都道府県の公的な組織もあれば、誰かが立ち上げた私的な組織も数多くある。

しかし、どこに出向いても既得権益のようなものがあり、そこに新たな風は求められていない。既に敷かれたレールの上をどれだけ上手く走れるかを求められる。それにはまったく興味が湧かなかった。

こういった経緯で、私は所属する研究組織を定めることなく、独学で学び続けてきた。決まった理論や手法にとらわれず、よいと思ったことはどんどん取り入れ、ごちゃ混ぜにして実践してきた

ようやく自分なりにいいと思える授業像も見えてきた。ここ2年間は、学級の荒れを経験し、目の前の子どもたちの事実から授業をつくることができるようになった(大変だったが今となれば貴重な経験である)。

しかし、本当に研究組織に所属せず独学で学び続けるだけでいいのだろうか。きっと一人で成し遂げられることはたかが知れている。

『7つの習慣』でいうところの「私的成功」は実現できても、「公的成功」には到達できない。多様な他者と学び合うことで、シナジーが巻き起こり、結果的にブレイクスルーできる。本の中で以下のように述べられている。

シナジーは心を沸き立たせる。創造することは心を沸き立たせる。心を開いたコミュニケーションが生み出すものには、驚くべきものがある。シナジーは、大きな成果、意味のある進歩につながる。それは否定しようのないことである。だから、リスクを負ってでもシナジーを起こす努力はする価値があるのだ。

『7つの習慣』p.394


これは決して一人だけの学びで得られるものではない。だとすれば、残された道は一つしかない。それは、「研究組織をつくる」ことだ。

かつて吉田松陰が「松下村塾」を開き、同志と語り合ったように。小さな場所から世界を見たように。自分たちの志を大事にして語り合い、学び合える場所をつくるしかない。

 萩市にある史跡「松下村塾」を訪れた際に撮った一枚


私はこの夏、日頃から教育観や授業観という根本から語り合える同僚に声をかけた。そして、たった二人の名も無き研究組織を立ち上げた。

ここから新しい風が吹く。

シナジーが巻き起こる。

そんな場所を私たちはつくる。

旗は揚がった。


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