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学びの楽しさを呼び覚ます③

この記事では、なぜ小学生のうちに「学び=楽しくないもの」になってしまうのかを私なりに解明し、学びの楽しさを再認識する授業を考えていきます。

今日で最後になります。まずは前回までのおさらいを。

1.なぜ、学びは楽しいのか?

①知らなかったことや新しいことを知った時、この上なくワクワクするから
②今の自分が前の自分より成長することが、純粋に嬉しいから
③成長することは、誰かのためにできることが増えるということだから

という3つの理由で、私は学びが楽しいと実感しています。

2.「学び=楽しくないもの」にした私の授業

「学び=楽しくないもの」にしていた要因は…

①学びの自由度の低さ
②成長を実感したり承認されたりする機会の不足
③誰かのためになっているという視点の欠如

の3つでした。



3.学びの楽しさを呼び覚ます授業

ここから本題です。学びの楽しさを再認識する授業を行うためには、「学び=楽しくないもの』にしていた要因を解決していく必要があります。


(1)「学びの自由度の低さ」を解決する方法

まずは、1つめの「学びの自由度の低さ」を解決する方法を考えます。

授業開始後に教師側から与えていた「お題目同然のめあて」を「自分で決める指針としてのめあて」に変革することです。

ただし、子どもに丸投げしてしまっては、ただの放任です。こちらがねらいとしている「育てたい力」が身に付くかどうか運次第になってしまいます。意図的、計画的に教育を行っていくことは忘れてはなりません。

では、どうするか?教師の入念な教材研究と子どもたちの実態把握が不可欠です。その上で、「育てたい子ども像」を言語化し、単元の方向性を明確にしておくことです。

つまり、向かうべき方向性が明確であれば、その向かい方は違っていてもよいということです。

「自分で決める指針としてのめあて」とは、ゴールに向かってどのような方法、道で走っていくかを宣言させるものです。

もちろん初めは、ゴールとは違う方向へ向かって走りだそうとするめあてを立てるかもしれません。それでもいいのです。その子を支え、ゴールへ導いていくのが教師の役割だからです。

少しずつ自分の力でゴールの方向へ走っていける子を育てていけばいいと私は思います。

学び方や学ぶ順序はその子次第になるので、学びの自由度はかなり高まります。

そしてもう一つ、同時に「作業感満載の調べ学習」を「ワクワクしながら没頭する探究」に変革することもできます。

『社会科ワークショップ』によると、「調べ学習」と「探究」の大きな違いは、目的意識にあると書かれています。「調べ学習は教師から与えられた課題を調べることが目的であるのに対して、探究は自分の疑問を解決する、知的好奇心を満たすなど、個人のなかに目的意識がある」と書かれています。

これこそ、学びが楽しいものになるかどうかの分かれ目だと思うのです。

そう考えると、「自分で決める指針としてのめあて」とは、自分の疑問を解決するために、今日の授業で、何をどのようにするか決めることと言えそうです。


(2)「成長を実感したり承認されたりする機会の不足」を解決する方法

2つめの「成長を実感したり承認されたりする機会の不足」を解決する方法を考えます。

「考えるのも発表するのもできる子のショータイム」を「考えるのも発信するのもすべて自分が主人公」に変革することです。

分かりやすく言い換えると、子どもたち全員を、お客様気分から参加者へと変革させようということです。

自分の頭で考えて、自分なりにやってみる。だから、成功したときも失敗したときも成長できるのだと思います。

しかし、どうすれば子どもたちを学びの参加者へと変えていけるのか。ここはかなり試行錯誤しながら実践していました。結論、思い切って挙手指名型を減らすことに落ち着きました。

挙手指名型である限り、どうしてもお客様になってしまいます。手を挙げて自分の考えを発表するって、ものすごくハードルが高いですよね。

その上、考えを書いたものなら、教師から指名されたとき答えなければならないので、そもそも考えは書かない、もはや考えない、などという悪循環が生まれます。

では、どうやって思考・表現させるのがいいか。私が考えついたのは、「発信する場をつくる」ということです。

「発表」ではなく「発信」です。

なんか「発表」となると、「私の考えはそこまでのものではありません…」ってなりますよね。私はなります(笑)

しっかり完成したものを「発表」するというイメージが強い気がします。noteやTwitterも同じで、「発表」というより、自分の考えたことを気軽に「発信」しているイメージなのです。

そのほうが極めてハードルが低いし、違ったら修正・改善して、また発信すればいいと感じられるのではないかと思います。

そうすれば、気張って自分の考えを完成させようとしなくても、「今のところはこんな考えです!」くらいで気軽に考えられるようになると思うのです。

だって、SNSを見ていると、世界中のあらゆる人が好んで自分を発信しているじゃないですか。あれって別に「発信しなさい!」なんて言われてないですよね。本来、自分を発信して認めてもらいたい生き物なんだと思います。

発信することで成長する。認められることで成長を実感する。そんなイメージです。1人1台タブレットを活用することで、いろいろ考えられそうです。

また、同時に「取り繕った振り返り」を「自分のための振り返り」に変革することもできます。

指針としてのめあてを自分で決めて、学び、考え、発信しているのですから、お客様気分のときより、振り返りが自分のためになることは明らかです。

振り返りを通して自分の成長を実感できるようになります。

それでも自分をよく見せようとして取り繕った振り返りをする子もいると思います。そんなときこそ、教師の支えが必要になってくるのです。そして友達と発信を聞き合うわけですから、相互評価も効果的に取り入れていけるといいと思います。


(3)「誰かのためになっているという視点の欠如」を解決する方法

3つめの「誰かのためになっているという視点の欠如」を解決する方法を考えます。

(2)の発信の場で必要なのが、「誰かのためになる」という視点だと考えます。確かに自分の成長のために学ぶのですが、それだと何のために学校で学んでいるのか分かりません。

友達の学びを広げ深めるために発信する、自分の学びを広げ深めるために発信をキャッチする。そんな発信の場である方がずっと学びが深まります。

さらに、誰かのためになっていると思えば、「あれも調べてみようかな」「これを知ったらみんな驚くぞ」とモチベーションにもつながるのではないでしょうか。

そして何より、この「誰かのためになっている」という意識や事実が学級への所属感につながると思います。自分の学びには、確かな価値があるんだと実感し、学びも自然と楽しいものになっていきます。

「誰かを喜ばせる」って気持ちいいですし、何より楽しいことです。



とうことで、ここまで「学び=楽しくないもの』にしていた要因を解決する方法を考えてきました。まとめると…

(1)「学びの自由度の低さ」を解決する方法は

「お題目同然のめあて」を「自分で決める指針としてのめあて」に変革
「作業感満載の調べ学習」を「ワクワクしながら没頭する探究」に変革

(2)「成長を実感したり承認されたりする機会の不足」を解決する方法は

「考えるのも発表するのもできる子のショータイム」を「考えるのも発信するのもすべて自分が主人公」に変革
「取り繕った振り返り」を「自分のための振り返り」に変革

(3)「誰かのためになっているという視点の欠如」を解決する方法は

発信の場を軸にして「誰かのために」という視点で授業をデザインする

ということでした。


まだまだ抽象的な考えに止まっています。これから2学期以降の単元・授業づくりを考えていく中で、具体化していこうと思います。そして、やってみて上手くいかなかったら改善します。

最後までお読みいただきありがとうございます。今回この一連の記事を書くにあたって、インスピレーションをいただいた書籍をリンクで貼っておきます。興味のある方はぜひ読んでみてください。


新時代の社会科の予感。この本を読んで授業のあり方を変えようと思いました。社会科に限らず、このシリーズの本はおすすめです。


私がもっていた問題意識と著者の問題意識が驚くほど似ていて共感しました。この記事のタイトルである「学びの楽しさを呼び覚ます」という言葉は、この本に書かれていた「学びの楽しさを取り戻す」に強く影響を受けています。

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