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【なぜ「書く」のか?】「人」の場合

「なぜ書くのか?」、
お正月ムードの中「そんなテーマ」で酒飲みながら執筆させて頂いている当コーナー。

「酒飲んだ時、SNSはダメ絶対。」、そう叫ばれて久しい世の中。

それでも人は、書きたくなる(SNSしたくなる)。

何故なのか?

「原始」的な交流

一般的に「人(猿人:アウストラロピテクス)は500万年前に誕生した」と言われています。そんな時代、当然「言葉」も「文字」も無い訳です。

それでも「有性生命体」は「伴侶」を見つけなければならない。「命を次の世代に繋ぐ」ため。だから動物の1種として「こんな事(↓)」で交流しようとしてました。と思います。

【交流のステップ①】
「自分の姿を見せる」

「鳴き声をあげる」。

「それ(↑)」が相手に届いても、
未だ「交流」には至りません。

(アイツの姿)目障りだ!
(アイツの鳴き声)ウルセーな!

「そう(↑)」感じられたら、
「相手と良い関係」なんて築けません。

(あの人の姿)アラ素敵!
(あの人の鳴き声)アラ惚れ惚れする!

「そう(↑)」感じられて、
「相手と良い関係を築くキッカケ」になる訳です。
しかしキッカケが起こっても、
未だ「交流」には至りません。

【交流のステップ②】
「いいな!と感じた相手」にアプローチする。

「これ(↑)」が、シックリきますよね?

アプローチしたけど、断られた。

残念ながら「そんな事(↑)」もある訳です。

【交流のステップ③】
「アプローチしてきた相手」を受け入れた。

「ここまで(↑)」至って、ようやく「交流」が成立です。

そんな「交流の相手」は、「こう(↓)」ですよね?

【原始的な交流が出来る相手】
物理的に近い(行動圏内にいる)」誰か

「話す」的な交流

人は、何時から話し始めたのか?

「そんな事(↑)」は分かりませんが、話すも「シンプルで分かり易い交流」ですね。「言葉」を用いる事で「より繊細な情報や感情」が伝えられます。
楽しそうですね^^

それでも
「そんな交流の相手」は「こう(↓)」でしょうか?

【話す的な交流が出来る相手】
関係が近い」誰か

今の時代「話す手段(電話やSNS)」が発達していますからね。「物理的(距離的)に近い」に「人間関係的に近い」も含みます。

「書く」的な交流

(初期の時代)

時代で言えば5,000〜6,000年前の「シュメール人のロマン溢れる時代」ですね。人類は「楔形文字」を発明しました。

「空間」や「時間」を越えて、「伝える」が出来るようになった訳です。便利ですね。しかし、「交流とは言い難い」かもしれませんね。「伝えるだけの一方通行」がシックリきます。

(平安の時代)

流行ったそうですね、書くことが。
公家や貴族の間で。
「ひらがな」が誕生したので。

「遠く離れた相手と文のやり取りで交流する」、
そんな事が出来るようになった訳です。
素晴らしいですね。

それでも
「そんな交流の相手」は「こう(↓)」でしょうか?

関係が近い」誰か

関係が遠い「上司」や「親戚」とのやり取りはシンドそうです。
楽しくはないでしょうね^^

(明治の時代)

流行ったそうですね、書くことが。
「一般人」の間でも。
「年賀状」が始まったのもこの頃だそうで。

「遠く離れた相手と文のやり取りで交流する」、
「年賀状」であれば今と同じく「手間や義務感などのデメリット」があったでしょうが、それを上回る「遠く離れた人と交流できる喜び」があったんでしょう。「現在のようなSNS」もありません。

「年賀状」が流行るのも頷けます。

「そんな交流の相手」は、
変わらず「こう(↓)」でしょうか?

関係が近い」誰か

(最近の時代)

「年賀状は、どんどん敬遠される存在になっている。」とテレビが騒いでいますね。その原因は、よく「こう(↓)」言われますでしょうか?

「年賀状」は、「SNS」に取って代わられた。

「そう(↑)だ!」と言う人もいるかもしれませんが、私ケータローは「こう(↓)」感じています。

命を脅かすような危険が減って、
「便りが無いのは、良い便り。」という社会になってきた。

「○○さんは元気だろうか?気になるな。そうだ、お手紙書こう!」とならない訳です。「きっと元気」だろうから。

私は約1年前に「noteをキッカケにしてSNSを本格的に始めた」ですが、年賀状は7~8年前に辞めました。理由は「こう(↓)」です。

「相手の近況を確認したくなるような不安」が無くなった。
やり取りしなくても「元気っしょ」と思える。

だから、「こう(↓)」続きます。

近況確認で「(年賀状などの)書く交流」を行うのは、不要になってきた。

それは
「社会がより安全になってきた」から。
喜ばしい事だ。

だから
「関係が近い人」とは「書く交流」よりも密な「(電話やSNSなどで)話す交流」をすれば良い。

私は「そう(↑)」思うのですが、
アナタはいかがでしょうか?

交流の「相手」

色々な基準でグループ化できますね?

「高校の同級生」「部活の仲間」「会社の同僚」などなど、色々ありますが大切なのは「これ(↓)」ではないでしょうか?

自分にとって「心の距離が近いかどうか?(好きか嫌いか?)」

「心の距離が近い人(好きな人)」とは交流を続けたいですよね?交流してて楽しいです。

では「心の距離が近い人(好きな人)」とだけ交流できれば良いのか?

答えは、「そうでもない」ですよね?
「こんな人たち」とも「交流したい!」のではないでしょうか?

見知らぬ誰か

簡単に言えば「出会い」ですね^^
しかし、「40歳を過ぎたオッサンである私ケータロー」が「出会いを求めている」と言うと「キショイ!」と思われそうですね。。

「こう(↓)」言っても良いでしょうか?

まだ見ぬ世界への探求心(冒険心)

いずれにせよ「出会い」の方が言いやすいので、「出会い」で話を続けます(↓)。

「良い出会い」は、人生を豊かにする。

しかし、
「出会い」は「良い出会い」ばかりではない。
「悪い出会い」も存在する。。

そんな「ハイリスク・ハイリターンな出会い」、
話す的な交流」で臨むのは勇気がいりますね。
書く的な交流」で臨むのが良さそうです。

まとめ

「書く目的」は、「こんな3つ(↓)」に分類できるかと。


「誰か」に、「何か」を伝える為。

「知った誰か(関係が近い誰か)」と、交流する為。

「見知らぬ誰か」と、交流する為。

「②知った誰かと交流する」は、
SNSが発達した現代では「話す的な交流」に分がありそうです。

なので、
「書く目的」は、「上記①か③」に集約されるのではないでしょうか?

「どっちが良い」という事はありませんが、
「どっちも重要」かと。

話は変わりますが、
私は先日「こんな記事(↓)」を書きました。

地球には様々な「生命体(命)」が存在する。

そして、
その生命体それぞれに「まだ見ぬ世界」が存在する。

「そんな見知らぬ世界」に、
生命体は「子」を飛ばす。

「そこ」に何があるのか?
「希望」なのか?
「危険」なのか?
それは「まだ見ぬ世界」だから分からない。

それでも生命は、「子」を飛ばし続ける。

「まだ見ぬ世界」へ、
「行ってこい!」という気持ちで「子」を飛ばす。

「命(生命体)」は、
「そんな意欲」を持っている。

それは「人」も同じなんだ。

noteの世界に、
「書いた記事」を投稿する。

「それ(↑)」は「そういう事なんだ」と、
感じる今日この頃です。

🌈交流とは?

「こんなステップ(↓)」がありますよね?

【交流のステップ①】
「自分の姿」を見せた。

【交流のステップ②】
それを「いいな!」と感じた「誰か」が、
アプローチしてきた。

【交流のステップ③】
「アプローチしてきた誰か」を受け入れた。

ステップ③まで進めて漸く「交流」です。

「noteに記事を投稿する」、
それは「どのステップ」なのか?

「ステップ①」ですよね?
それが無ければ始まりません。

「自分」がステップ①を踏むのか?
「誰か」がステップ①を踏むのか?

「リアルな世界」でステップ①を踏むのは躊躇しそうですが、
「noteの世界」なら気楽に踏めるのではないでしょうか?

案内

私ケータローは、現在「こんな取り組み(↓)」をさせて頂いております。

noteは、自分にとって「読む専門」。
書いてみたいけど、何を書いて良いか分からない。

「そんなアナタ(↑)」に、
「こんな案内(↓)」をさせてください。

「この取り組み(オハつぶレース)」に参加して頂ければ、
「オハヨウ」だけで投稿出来ます。

しかし、
1月31日まで。

少しでも興味を持って下さったアナタ!
「気まぐれ」で構いません。
一度「オハヨウ」を呟いてみませんか?

お時間ありましたら「こちら(↓)」もご参考まで。

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