【オハつぶレース】なぜ「レース」なのか?③
私ケータローは現在「こんな取り組み(↓)」を行っています。
「なぜ、レースなのか?」、
「挨拶なんだから交流ではないのか?」
そんな疑問を持たれる人もいるかもしれません。
理由はだいたい100個くらいありますが、今回は下記「理由6と7」を紹介させてください。
お知らせ
この記事は、「こちらの記事たち(↓)の続き」となりますが、
前の記事を読んでいなくても全く問題ありません。
理由6
例えばタイトルが「ただオハヨウを呟き続けるレース」ではなく、
「こう(↓)」だったとします。
「なんだそれは!」、
「一体どんな交流なんだ!」感が激しいですね。
理由⑦
冗談はさておき、ホントの「今回紹介したい理由」は「これ(↓)」です。
その心は?
「Aさん」の場合
昔から「小説を書きたい」という夢を持っているAさん。
しかし、
「自分が書いた小説を、知らない人に読んでもらう。」なんてした事がありません。
なんなら「SNS全般」も、
「知ってはいるけど、まともに使った事は無い。」という状態。
そんなAさんが、
noteに出会いました。
Aさんの胸は、
そんな「期待」と「不安」でいっぱいです。
それでも勇気を振り絞って、
noteにアカウントを登録。
「全身全霊を注ぎ込んだ作品(小説)」を、
Aさんはnoteに投稿しました。
「結果」はどうなるでしょうか?
Aさんは、
「アカウント登録したばかりのクリエイター」です。
投稿も「今回が初めて」。
フォロワー数なんて「ゼロに等しい」ですよね。
「そんなクリエイターさんの小説」、
いったい何人の読者が読んでくれるでしょうか?
誰しも「そんな事(↑)」を気にしてしまいますが、Aさんが気にするべきことは、
「そこ(↑)」ではありません。
「ここ(↓)」です。
「それ(↑)」を理解できていないAさん。
そんな状態でnoteに小説を投稿した結果、
きっと「こう(↓)」感じてしまうのではないでしょうか?
Aさんは、
こんな「残念な勘違い」をしてしまい、
気持ちが下がってしまいました。
そんなAさんの「本来感じるべき事」は、
「これ(↓)」です。
Aさんは、
本当は「こういう考え方(↑)」で
気持ちが上げなきゃいけないんです。
Aさんは「残念な勘違い」をして、
noteから遠ざかってしまいました。
それでも「普段使いしているメールアドレス」をnoteに登録していたAさん。
ある日、
そんなAさんのもとに「こんなコメント(↓)の通知」が届きました。
「初めて貰ったコメント」って、
嬉しいですよね^^
「PVとは何ぞや?」という状態のAさん。
このコメントをきっかけにBさんと交流が始まり、Aさんは「noteの世界の仕組み」を理解し、「noter生活」を楽しく続けました。
Aさんにとって、
交流は「薬」に成りました。
「Cさん」の場合
Aさんと同じく、
昔から「小説を書きたい」という夢を持っているCさん。
Aさんと異なり、
「SNSの知識と経験」をそれなりに持っています。
そんなCさんが、
noteに出会いました。
Cさんは、
積極的に「他の人の記事」を読みました。
Cさんは「交流」にのめりこみました。
たしかに最初は「コメント返し」を貰えます。
しかし、Cさんが望む「有料記事の購入」には繋がりません。
Cさんは焦りました。
そしてCさんが焦るほど、
「コメント返し」も少なくなります。
Cさんは本来、
「執筆活動」をすべきなんです。
それを疎かにし、
「自分の時間」を「交流」に注ぎ込んでしまったCさん。
Cさんにとって、
交流は「毒」に成りました。
まとめ
「交流」は、「薬にも毒にも成るモノ」です。
「その扱い方」は難しく、
「こうすれば良い」という正解がありません。
分かっている事は「これ(↓)くらい」です。
「取り扱い方には注意が必要」という事です。
「これ(↑)」も1つの手だと思います。
それでも交流って「こう(↓)」なんです。
傍目に見たとき、美しいんです。
キラキラして見えます。
なので「適度に服用」が出来れば「薬」に成ります。
活力を得て、
「こう(↓)」思える訳です。
「そう(↑)」思えれば、
「交流は薬」なんです。
「これ(↑)」では、
「交流は毒」なんです。
🌈誤解が無いように
私は決して「交流」を否定している訳ではありません。
その人それぞれの「適切な用法と容量」で服用できれば「薬」になります。
「こう(↑)」思えれば、良いんです。
🌈なぜレースなのか?
「交流」って、
「出来る事ならしてみたい」じゃないですか?
何故なら交流には「華」があります。
しかし、
交流は「取り扱いが難しい」です。
知らない人から「こんな事(↓)」言われたらビックリしますよね。
「これ(↓)」なら、いかがですか?
どちらも「怪しさ満点」ですよね^^
それでも。
レースを続けていると、
「あなたのレースに取り組んでいる姿」を見た誰かが、「あなたの応援」をしてくれるかもしれません。
しかし、
「応援してもらえるかどうか?」なんて、
やってみないと分かりません。
「noterの皆のやりたい事」に、
少なからず「これ(↑)」はあるでしょう?
しかし、
「その道のりは険しい」です。
「執筆意欲」を維持できず、
挫折してしまうかもしれません。
「これ(↑)」ならどうですか?
「華が咲くかどうか?」は置いといて、
「その道のりは険しくはない」ですよね?
そんな想いをあなたが少しでも抱えているなら、「このレース」に参加してみませんか?
「薬」にならないかもしれませんが、
「毒」になる事はないでしょう。
だから「レース」なんです。
そんな想いを込めました。
スペシャルサンクス!
当記事は、「オハつぶレース」に参加して頂いている
「karapocoさん」の記事から閃きを頂きました。
「美しい花(交流)」には毒があるかもしれない。
でも「とても優しい味」がする。
なので、「自分に適した用法・容量」で取り扱わなければならない。
自分自身「交流」にのめりこんでしまう事があり、
そんな事がビビッときました。
つまり、
「この理由は後付け」という事です。
karapocoさん、
ありがとうございました!
(追記)
こちらのリプライ記事(↓)、
ありがとうございます!
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