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寅さんと日本の情緒と風景をめぐる

 まだ20世紀の時代に米国ミネソタ州で11年間働きました。1年に2度ほど日本の実家から、慰問品が届きました。慰問品とは第二次世界大戦中に、戦地にいる兵士に国内の家族から送られた手紙や食料品や菓子など嗜好品です。もう戦後ではあったのですが、戦前生まれの親からすると、まさに私たち家族は海外という戦地で暮らしていると思っていたのでしょう。
 慰問品の中にいつからか、日本のビデオが入ってくるようになりました。日本のテレビ番組を録画したVHSビデオは米国でも見れたのです。
ある時、慰問品の中のビデオ録画の中に「フーテンの寅さん、口笛を吹く寅次郎(1983年)」が入っていたのです。たぶん旧作がテレビ放映されていたのでしょう。ああ日本の陳腐な喜劇か、と何気なく見たのですが、その喜劇は何もかもが新鮮でした。
 「口笛を吹く寅次郎」編のマドンナは竹下景子さん、当時の日本ではお嫁さんにしたい女優さんナンバー1でした。ロケ地は岡山県高梁市でした。決して米国では目にしない風景・情緒・人情、すべてが新鮮で心に沁みました。

1.         柴又の団子やとらやでの人の好いおいちゃん・おばちゃんの庶民の暮らしと会話
2.         妹・さくら(賠償千恵子)の優しい眼差しと話しぶり
3.         マドンナ石橋朋子(竹下景子)の寅さんへの好意を隠しつつの愛らしい笑顔と所作
4.         古びた備中高梁駅舎の古い電車とレール
5.         端正な日本画のような寺の山門からみる遠く霞がかかる緑の山
6.         水墨画のような山の間を大きく曲がり山もとかすむ高梁川
7.         生活が感じられる紺屋川にかかる相生橋を中心とした細い運河
8.         庶民の暮らしが想像できる古ぼけた家並みと垂れ下がる電線
9.         白壁に囲まれ風情のある武家屋敷

 これが日本の風景と情緒なんだと思いました。米国とは異世界かと思うほど違っているのです。
 米国は仕事をするにはいい環境です。人はポジティブで明るく、ストレートに話します (Straight Talk)。無駄な時間が少なく、理不尽なことはまずなく、競争は厳しいが公正です。一方、風景では、ミネソタ州には森と湖はあるが、山はなく川は大河ミシシッピ (Mississippi River)、そして空気は非常に乾燥しているのです。長屋はなく貧しくても家族や家庭は離れているし、人と人の関係はあっさりとしています。
 日本を離れて米国ミネソタ州に定着して10年を超え、もう帰れないかもしれない、米国の土になるのかもしれないと思い始めた頃でした。すっかり忘れていた日本の人情と情緒、そして故国の風景を見たのです。
 「フーテンの寅さん」は、ただの喜劇映画でないことに気づきました。日本で昔あったがもう消えかかっている人情、情緒、風景さらに20世紀の文化遺産を残す喜劇映画だったのです。山田監督はすごいなと思いました。そこから「フーテンの寅さん」シリーズのビデオをいくつか見ました。そして思いました。もし日本に就職し帰国することがあったら、寅さんの歩いた日本の風景をこの目で見たい。
 ほどなくしてトントン拍子で日本での就職が決まりました。帰国した当時はすっかり変わってしまった日本の中で、浦島太郎のような気持ちにもなりました。日本昔話のように、寅さんの時代は昔話になっていたのです。その寅さん昔話としてDVDシリーズを買いました。寅さんの故郷・葛飾柴又にも行きました。京成電鉄の柴又駅前で寅さんの銅像を見たときは感激しました。
 そして休暇をとって、あの岡山県高梁市にも、岡山駅から1時間かけて鈍行列車で行ってきました。山もとかすむ高梁川のそばを列車は走りました。日本は湿度が高いので、川の対岸の山もとが霞むというのを実感しました。
高梁駅で自転車を借りて、ロケ場所を探してあちこち走り回りました。山や川や武家屋敷のある風景はあの映画のままです。寅さんのいくつかのロケ場所には記念碑が立っていました。
 この旅行を皮切りに、各地の寅さんロケ地を回るようになりました。寅さんは日本全国を旅していることに気づきました。日本中に懐かしい風景があり、それを山田監督は、寅さんを案内人にして文化遺産としてフィルムに収めていたのです。
 寅さんのいた風景も日本の文化遺産、私たちの記憶に残る日々かなと思いました。寅さんはもういないのですが、私の寅さんロケ地旅は続くのです。
  なお55周年記念の「Go!Go!寅さん」サイトに寅さんシリーズのタイトルの英訳がありました。3つ紹介します。
 第1作「男はつらいよ」”It’s Tough Being a Man.” 直訳すぎますね。”Nice to meet you, Tora-san”でいいんじゃないかなあ。
 第2作「口笛を吹く寅次郎」”Tora-san Goes Religious?” 原題がおかしい。英訳のほうが作品にあっています。
 第50作「お帰り寅さん」“Tora-san, Wish You Were Here.” まさにファンの気持ちを代弁しいる名原題と名英訳です。
 寅さんとあの時代に、映画の中でまた会いたいものです。

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