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学校の先生との関わり方  児童精神科医が語る

■児童精神科医と学校の教師の関係


児童精神科医として、講演会で話をしたり、虐待されている子どもや不登校の子どもへの対応などで学校に出向いたりすることがあります。学校の先生方と話すと、本当に子どものことを考えている人ばかりなのだなぁと子どもに関わる職種についている者として思うのです。

しかし、実際はどうでしょう?
教室という閉鎖空間は、教師の対応によって全くと言っていいほど異質なものになります。子どもにとって、もしくは保護者にとって、言わば、アタリの教師もいればハズレの教師もいるわけです。児童精神科の上司につねづね教わったのは、「学校とケンカしてもいいことは全くない」ということでした。

児童精神科医としてこうすればいいのにと介入を試みても、中々教師の心には届きません。教師にもプライドがあります。ベテランの先生ほどプライドの塊でしょう。これまでの実績や、実際に学校の先生として多くの子どもたちを見守ってきたのですから、時間がたつにつれて、その人の中で「先生像」というものが固定されていきます。
ですから私が、何かアドバイスをしようとしても、担任の先生が電話口に出ることはほとんどありませんし、大体の学校では教頭先生が窓口になってくれています。

■先生の立場や境遇も考える


たとえ腹に据えかねることがあって私の方から電話をしているのだとしても、
「あー。お忙しいのに本当にすみません」
と言いますし、実際に面談するのであれば、
「本当に忙しい中誠にすみません」
と最敬礼をします。

私も若かりし頃には、「なんでそんな対応しているんですか!」と、先生方に対してケンカ腰な発言をして、つっかかったこともありました。私にとっては子ども第一です。その子どもの環境を整えるのが、私の使命だと思っていたというのもあります。今もその気持ちは変わらないのですが、感情的になったところで、先生が動くということはありませんでしたし、お互いの話し合いが上手くいくこともありませんでした。

だから、腹に何かを抱えていたとしても、初めから反発をするのではなく、相手の懐に入れるように様子を伺いつつ相手を立てて、フラットな状態で話を聞いてもらえるように関係性を作っていくことにしたのです。顔も見知った仲になれば、多忙な先生でも対応してくれるようになります。

だいたい、40人とか50人とかの1学級の子どもを、1人もしくは2人でしっかりと見ること自体が土台無理な話です。それでも、出来ることから変えていくことは大事なことです。ゆっくりとでも、確実に変わっていければ、いつかは子どもも満足できる場所になっていきます。

■親として教師と話すときは


私には子どもがいます。ですから、子どもの親として教師と話をすることもありますが、その時も自分が医師であることは隠さずに伝えています。隠し事があると、人と人は中々打ち解けられないものだからです。

私の娘は、大人しく人前ではもじもじして話せなかったり、集団からは1人はずれて図書室で本を読んだりする娘でした。1人になりたいなら、それがいいねと理解していましたが、集団でそのような消極的な子どもは、いじめの標的にされてしまいます。

娘があるとき、「学校に嫌いな子がいる」と言ってきました。話を聞いてると、明らかにいじめを受けていることが分かりました。しかし娘をいじめているのは女の子ですし、あからさまにもなっていないため、学校側でいじめと認定するのは難しいかもしれないと感じました。

けれど、前述のとおり、私は教師たちとの関係を良好にしていたため、相談をしてみると、それは「いじめ」だと認定し、学校で取り組みましょうと対応をしてくれました。学校内を教頭先生が見回り、学校全体で先生が情報を共有し、娘のことを見守ってくれる。その様子を見て、娘は安心感が得られたようでした。

信頼できる先生であれば、それは保護者が医師であろうであろうとなかろうと態度を変えないものです。ただ信頼感を得るためには、お互いを知ることが前提にありますので、まずはご自身から一歩歩み寄ることが大事だと思います。

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