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[名作パロディ] 不思議のアヒル口の麗子

ケンジが空を見上げて歩いていると、たいそう美人な女子大生と目が合った。

「やや、アンタはそんなところで何をしているんだね?」

会社からの帰り道、ケンジは前を向いて歩いていたのではなく、空を見上げて歩いていたのに女子大生と目が合ったのは、彼女が木の枝の上に座っていた(sitting on a branch of a tree)からである。

ケンジは急いで家に帰りたくもあった。
だが、枝に座るたいそう美人な女子大生に声を掛けずに素通りするというのも無作法と感じ、声を掛けたのだ。

アンタとは私のことでいいのかしら? それとも、ほかの誰かのこと?」

女子大生は抑揚のない声で言った。

ケンジはあたりを見回したが、ほかには誰も見当たらず、何だかおかしな気がした。

「ここにはどうやら、オレとアンタしかいなさそうだ。するとオレがアンタと言った場合、それはアンタしかいないと思うがね」

「あら? 私の名前はアンタじゃなくて麗子よ。ここに私たち2人しかいないんだったら、私があなたをアンタと読んだら、2人とも『アンタ』になるんじゃないの?『ここにアンタが私しかいない』だなんて、そんなおかしなこと、あるもんかしら?」

そう言うと、女子大生は肩まである自分の茶髪を指で弄り始めた。

ケンジは女子大生の言ったことは屁理屈だと思った。
でも、そんなことを議論していると、余計に帰宅も遅くなるだろうから、無難な話を探した。

「アンタは、、、これはほかの誰でもないアンタのことだが、、、(と言って、手の平を上に向けて麗子の方に差し出しながら)、、、女子大生なのかい?」

ケンジは、グレーのジャケットにブルーのレーススカートを合わせ、お洒落に着こなした女子大生を改めて見た。

顔はクールで大人びた印象も受けるが、若々しさが残るので、きっと女子大生なのだと思った。

女子大生は、簡潔に「そうよ」とだけ答えた。
そして、その後に「今の男女平等の世の中で、『女子』って言わなくてもいいかもしれないけど」と付け加えた。

「女子大生がいったいどうして枝の上に居なきゃならないんだい?」
「あら? あなた、私がどうして枝の上に『居なきゃならない』だなんて思うのかしら? 私は居たいから、こうして居るの。自由意思よ」

女子大生はまだ自分の茶髪を弄り続けている。

「私、ここで英語の勉強をしているの。この下を誰かが通るたび、英語の名前を付けていたところ」

数年間、アメリカで生活したことのあるケンジは、この話題なら無難だと少し安心した。

「そうか、アンタは英語を勉強しているから、さっき、こんな口の形をしてみせたんだな? それって、英語じゃ、 Duck Mouth? それとも、Duck Face?になるのかい?」

「Duck Face? それって、『アヒル口』のことじゃないの?」
「そう、アンタさっき、やってたじゃないか?」
「あなた、さっきDuck Faceは英語って言ったわよね?」

「ああ、だからDuck Faceは『アヒル口』であって、英語だろ?」
「Duck Faceと『アヒル口』と英語が同じなら、『アヒル口』も英語ってこと? それって理に適っているのかしら?」

ダメだ。全然、話が嚙み合わない。

「アンタは英語を勉強していて、そもそも日本語と英語では『唇』の筋肉の使い方が違うということを知っている筈だ。英語の発音に必要な唇の筋肉を鍛えて、ネイティブスピーカーのような発音に近付くために、さっきから何度か『アヒル口』をしていただろう?」

女子大生は茶髪を弄る指を止め、初めてケンジに少し興味を持ったような表情をした。

「あなた、さっきの『アンタは女子大生なのかい?』に続いて、もの凄く答えやすい質問をしたわね。言ってあげるわ。それはね、皆目見当違い!」

ケンジはすっかり面食らって、「じゃあ何だって、『アヒル口』なんかしてるってわけだい?」

「あら、この口の形(と言って『アヒル口』をする)、とってもキュートだなって自分で思って」

ケンジは、確かに女子大生の『アヒル口』の表情を少しキュートだと思ったが、素直に認めてしまうと、何だか自分ばかりが浅はかな気がした。

「アンタが自分で思っているほど、周りはそう思ってないかもしれないけど、、、」

女子大生は少しもたじろぐ様子を見せなかった。

「私のこの口、大学でも評判がいいのよ。麗子のようにアヒル口をする (make a duck face like Reiko)って言われてるくらい」

「それは、アンタくらいしか『アヒル口』をする人がいないってことじゃないのか?」
「あら、私の大学じゃ、みんなするわよ」

女子大生はそこで何かを思い出したように「あっ!」と小さく叫んだ。

「私、もっとキュートな『アヒル口』メイクのために、新しいリップライナー買いに行かなくちゃ!」

そう言って、女子大生はふっと消えてしまった(vanished)。

ケンジはあまり驚かなかった。

女子大生が枝の上に座って自分を見下ろすということ自体が、既に十分不思議だったからだ。

そして正直、彼女との会話をどうやって切り上げようか迷っていたところなので、いっそのこと、そのまま消えてくれた方が楽だとも思った。

女子大生が座っていたところをそのまま見つめていると、急にまた女子大生が見えてきた (suddenly appeared again)。

「ところで、さっきあなたも、実は私の『アヒル口』がキュートだって思ったでしょ?」と女子大生は言った。

「もう少しで聞くのを忘れるところだったわ」
(I’d nearly forgotten to ask)

ケンジは、女子大生のそんな不躾な物言いが、全然好きではなかったので、こう言った。

「アンタはアレだな。自分が美人だと思っているだろ?」

女子大生は表情を少しも変えずに、感情のこもらない声で返した。
「思ってますけど、それが何か?」

ケンジは、女子大生の物言いがますます好きになれなくなってきたので、さらに続けてこう言った。

「アンタはアレだな。自分が美人だからって、図に乗っているんだろう?」

女子大生は今度は少し不思議な顔をして、それでいて、変わらず感情のこもらない声で言い返した。

「乗ってますけど、それが何か? 私は美人なので、調子に乗っていますし、美人は調子に乗っていいんです。」

ケンジは多少うんざりしたが、「『アヒル口』をあざといと思う人もいるだろうけど、多くの男は、それをそのままキュートだと思うだろうね」と無難な返事をした。

「そうだと思った」(I thought they would)と言うと、女子大生はまた消えてしまった (vanished again)。

また現れやしないかと思ってケンジはしばらく待ったが、現れなかった。
(Kenji waited a little, half expecting to see her again, but she did not appear)

『アヒル口』って、男がやっても魅力的に見えたりするんだろうか」と、ケンジは自分に言った。

「でも、仮に魅力的になるにせよ、それって年齢にもよるのかもしれない」そう言って上を見ると、またさっきの女子大生が木の枝に座っていた。
(he said this, he looked up, and there was the Female University Student again, sitting on a branch of a tree.)

「『多くの男』って言ったの? 『多くの人』って言ったの?」
女子大生は言った。

「『多くの男』だよ」とケンジは答えた。

それからどうか、そんなに急に出たり消えたりするのはやめてもらえないか (and I wish you wouldn’t keep appearing and vanishing so suddenly)?  2日酔いみたいになりそうだ!」

「わかった」と言うと、女子大生は、今度はとてもゆっくりと消えていった。

足の先から消え始め、最後には『アヒル口』が残り、女子大生がすっかり消えても『アヒル口』はしばらく残っていた。

「やれやれ、アヒル口をしない女子大生ってのは見たことあるけど、女子大生のいないアヒル口だけ(Duck face without the female university student)ってのは初めて見た。これはこれで乙なもんだな!」


(完)

〜あとがきに代えて〜
元となったのは『不思議の国のアリス』のアリスとチェシャ猫のやり取りのくだりです。念のため。
昨日投稿した『アヒルタクシー』で、主人公が「アリスとチェシャ猫じゃないんだから、、、」と言ったのをきっかけに、急遽「アヒル第2作」として書きたくなりました。
分かり辛いと思い、(投稿後に)一点補足しますが、原作と重なる箇所は、(英語にて)原文を引用しました。
主語が合わなくなってしまった箇所など、一部修正しています。

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