ギリシャ料理について、イタリア料理家が考察してみた
先日、1週間ギリシャに行ってきました。
ギリシャ人のクラスメイトを訪ねて、ボローニャからコルフ島に飛行機で飛び、そこからフェリーに乗って本島に。ギリシャの西側のアルタという小さな村の、友人の家に滞在しました。
毎日、海から帰ってきては、ギリシャのお母さんやおばあちゃんから色々な料理を教わり、イタリア料理の父と言われるギリシャ料理について、多くのインプットを得ました。
さて、そんな夢のような1週間から帰ってきて、ギリシャ料理について少し考察を巡らせたいと思います。視点がイタリア料理との比較であることは、お許しを。
1 クッチーナ・ポーヴェラの宝庫
まず、料理を見る時の、所与の条件としての地形。
これは行ってみると良くわかるのですが、ギリシャは土地がない!
山だらけなのですね、それも山肌の見えた山も多い。
ゴツゴツと岩山が続き、標高が低くなったと思ったら、もう海。
つまり、小麦畑が広がるような平野がないのです。
山肌を縫うようにオリーブや葡萄の木が伸びています。
これを見ると、2700年前のマグナ・グレキア、南イタリアに大植民をしたギリシャ人の気持ちがよく分かります。
想像してみてください。
こんな岩山の土地から、プーリアに辿りつき、目の前に広がる大平原を見たギリシャ人の気持ちを。
これなら小麦が育つ!キターーー!
と思ったのではないでしょうか。
当時ギリシャは人口が増え、食糧難でしたから、南イタリアの豊かな大地に活路を見出したギリシャ人が、その家族や友を呼び、住み付いていきます。
これでギリシャ文化が南イタリアに持ち込まれるわけです。
話がマグナ・グレキアの話にそれてしまいましたが、つまり、それくらい土地がないのです。でも、料理に対する文化水準は高い。
そうなると、限られた食材を生かした料理が発達します。
いわゆるクッチーナ・ポーヴェラ(庶民料理)です。
ギリシャのマンマが教えてくれたのは、そんなクッチーナ・ポーヴェラそのもの。
食材を丁寧に使い、どんな部分も特徴を活かして、捨てる部分はほとんどない。
そんな料理は、優しい味で、これまた絶品。知恵が詰まっています。
今度レッスンでもやりますが、ギリシャの青菜の伝統パイなどはその典型。
一方、次の章で詳しく述べますが、被支配の歴史が長いと、宮廷を中心に作られる貴族料理、クッチーナ・リッカが発達しないのですね。
だから、イタリア料理が貴族料理と庶民料理の融合であるのに対し、ギリシャの料理は基本的に庶民料理がベース、というようなイメージでした。
2 被支配の歴史
日本の教科書だと、歴史の中で登場するギリシャは、ギリシャ文明がほぼ全てなので(その後に1821年独立を少し習ったかも)、
「ギリシャは3000年前に既にあんなに科学や哲学を発展させて、すごい文明を持っていたのだ」という程度のイメージしかないかもしれない。
しかし、実は、ヘレニズム時代以降、あらゆる民族に支配され続ける歴史が続きます。
かいつまむと、
マケドニアの征服(Cf. フィリッポス2世、アレクサンダー大王)、ローマ帝国支配下、東ローマ帝国、十字軍、オスマン帝国と、
1821年に独立を果たすまで、ずっと大国の支配下にあったのです。
ギリシャという国はなかったのです。
はっきりと考えたこともなかった。極東の島国ニッポン人の感覚は怖いものです。
この中でも特に、私が現地で感じたのが、400年間にわたるオスマン帝国の支配が重くのしかかっている、ということ。
料理文化もしかり。
トルコ文化の影響がギリシャ料理に色濃く反映され、トルコ、アラブの文化を吸収したヨーロッパ料理のような料理も多く、コーヒーや郷土菓子にはトルコのそれとそっくりなものが多い。
それから、やはりオスマン帝国の支配体制は、基本的には搾取モデルなので、人種による身分制度で高額の税金を搾り取ろうとするオスマンに対して、払えなくなって山にこもっていったギリシャ人の文化、なるべく税金を払わないようにするためのギリシャ人の工夫、といったものが文化に反映され、痛々しいほど料理にもその影響が見て取れます。
イタリアにおいてはこれほどの被支配の歴史はありません。
逆に、支配者側であることが多かった。ローマ帝国時代はもちろん、例えば、私が着陸したコルフ島なんかは、ベネチアが長く支配していたので、建物の作りも料理も、ベネチアの影響が色濃く見られました。1週間経って帰り便のためにコルフ島に帰ってくると、そこはもうイタリアに帰ってきたように感じました。
日本だと、アイヌ料理や沖縄料理を見ると思います。
支配者による文化を取り込んだ文化のグラデーション、植え付けられた制度の下で水面化で発達するサブ・カルチャー。これがギリシャの料理文化を作っており、ユニークなものにしています。
しかし、被支配の歴史が料理にどのような影響をもたらすのか、というのは新鮮で興味を刺激されました。いつか論文のテーマで扱いたいと思うくらい。
3 地方の多様性
しかし、やはり地方ごとの多様性で行くと、イタリアに軍配が上がる。
「イタリアにイタリア料理がない」と言われるほど地方の多様性が豊かであるのだが、これは南北に長い地形的影響と、土地ごとに異なる歴史を歩んだ歴史的影響がある。
例えば、北はバター圏、南はオリーブオイル圏。これだけで料理は全く異なるものになります。
歴史を見ても、例えば中世では、北は都市国家が群雄割拠、中部はローマ教皇領、南は神聖ローマ皇帝の治世下、それぞれで違う料理が発達するのは必然です。
ギリシャ人のクラスメイトも、イタリアに来て、この多様性には驚いて、「これほどの地方の多様性はギリシャにはないなぁ」と言っていました。
ギリシャは、土地の広さもそうですが、支配されてしまうとガラっと上からの圧力で中央から塗り替えられてしまいますので、そういう意味で地方の多様性を保つのが難しかったのかもしれません。
ただ、島は違います。島は、文化の窓口なので独自の発展を遂げ、常にユニークな文化を持つ。
6000の島を持つと言われるギリシャ。きっと島の文化を見ていくと、多様性の宝庫なのかな、と想像しています。
その他:柱が三つあると。
今回、身に染みて思ったのが、柱が3つあることの重要性。
日本料理、イタリア料理、ギリシャ料理、3点あるとだいぶ見え方が違います。
日本人としてイタリア料理を勉強しているからこそ見えるギリシャ料理。
逆に、ギリシャ料理を見てからイタリア料理をみると、見え方がクリアになります。
こういう経験は皆さんもあると思いますが、「三脚」という言葉があるように、三点あると安定して、客観的な見方ができると思います。
それは何も料理だけではなくて、仕事もプロジェクトを三種類くらいやると安定してくるし、キャリアも同じことが言えると思います。
というわけで、とてもインプットに富んだギリシャ旅でした。
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