褒めて育てることの弊害。 「すごい」「えらい」に頼らない褒め方が大事。
最近、子供を「褒めない」教育が注目されているようです。
アドラー心理学に基づいたアドラー式子育てでは、褒めるのではなく、勇気づけの言葉をかけるように意識することを大切にしています。
どういうことかというと、
子供が行動したときに
「すごいね!」「えらいね!」ではなく、
誰かのために行動したら「ありがとう」「うれしい」というように言葉をかけるのです。
また、なにかができるようになったときは、「うれしかったね」「がんばったんだね」とその子供の感情を言葉にします。
そうすると、子供は、自分の意思で誰かの役に立とうと考え、行動できるようになります。自分のなかの感情を動機に、目標を持って行動できるようになります。
では、
「すごいね!」「えらいね!」という言葉がけで、褒められて育つとどうなるかというと…
こちらの記事に書いている優等生の私のように、無意識に他人目線で「褒められるかどうか」を基準に、考えて行動してしまいます。
褒めることを習慣にすると
褒められることがゴールになり、褒められたいが動機になってしまうのです。
それが通用するのは、「褒める人がいる」前提の話。
大人になったときに、褒める人がいなくなったときに、
「褒められない自分は、ダメな存在だ。価値がない。」
と感じてしまいやすくなるのだそうです。
私の経験からも、他人軸で生きてしまうベースが作られると感じています。
自分の本心に気づき、自分軸で考え、行動する習慣を身につけるには、確かに「褒められる」はないほうがよいと思うのです。
私には、2人の甥っ子(姉の子)がいます。
姉も、教育熱心で、アドラー式子育てを本で読み、実践しようとしています。
「褒めない」が子供の人生にいかに大事かを、お互いに話をし、叔母として、私なりに甥っ子に関わるときに、実践しようとしているのですが
これが、すごく難しい!!
ついつい
「すごいね!」
「えらいね!」と言ってしまいます;
口をついて咄嗟に出てしまうのです。
「すごい!」「えらい!」は言う側にとっても、便利な言葉なのだなと、感じます。
具体的に褒めることを心がけたい。
褒めることすべてダメというわけではないと思っています。
これはアドラー式子育ての「褒めない」には当てはまらないかもしれないのですが、
褒めるときは、「すごい」「えらい」という言葉を使わずに、具体的に褒めてあげるとよいそうです。
絵を描いたとしたら、「ここの色使いが素敵だね!」とか「この描き方ができるようになって成長したんだね」というように伝えます。
スポーツなどをしているときでも、結果が出たことを褒めるのではなく、できるようになったこと、努力したことに対して言葉をかけてあげます。
そうすると、
具体的によいところを見つける意識が身につきます。
自分の成長を喜ぶ意識が芽生えます。
その意識は、大人になっても一生の財産になると思うのです。
自分自身を励ます内なる力になると思うのです。
甥っ子にも
最近まで優等生ぶっていた自分にも
「すごい」「えらい」に頼らない褒め方をしてあげたいと思っています。
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