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【読書】ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと

出版情報

言語学者が自身の身体性を見出す物語

狩猟採集民から教わった研究成果は自分自身だと言い切る著者

 ムラブリはラオスとタイの国境を跨いだ地域で暮らす狩猟採集民だ。文字を持たず、暦もない今日何をするかは、今日起きた時に決める。だから、「明日、調査に協力してもらえないかな」と著者が頼んでも「わからない」という答えしか返ってこない。ムラブリは何より自由であり、他者の自由も尊重する。常に「それは、彼次第だ」と。そのムラブリが生きている自由と、著者の中の「正の走”自由”性」が共鳴する。蝶が花の良い香りに集まるように(蝶には「正の走”花の香り”性」がある)。著者の中のムラブリが育っていく
 ムラは人、ブリは森。だからムラブリは森の人という意味だ。彼らの住むタイ・ラオス国境の山岳地帯には他にも多数の少数民族が住み、ある意味活気のある地域だという。女性であれば、タイに住むモン族のカラフルな民族衣装や銀細工をエスニックショップで見たことがある人も多いだろう。ムラブリはモン族の農業も時々手伝う。
 ムラブリとの調査研究。ムラブリには文字も書き言葉もないので、自分なりの辞書を作っていくところから研究が始まる。文字を持たない人々の言葉を聞き取りながら調査研究する言語学をフィールド言語学という。著者は元々「誰も手をつけていない」とか「手をつけている人が少ない」ものに惹かれる「正の走”誰も手をつけていない”性」を持っている。
 初めて彼らの話す映像を見た筆者は「なんて美しい言語なのだろう」と、ムラブリの人々の話す様子に恋に落ちる。最初のうち著者はちょっと不適応気味の学生さんであり、駆け出しの言語学者未満なのだが、十数年たった今では「あなたはなぜムラブリ語を研究しているのですか?」と言う問いに対して「あなたを含む世界のために、ムラブリ語をやってきたんです」「ぼくがその成果です」と堂々と答える人物になっている。その変貌ぶりには、ちょっと驚かされる。それだけ深く何かが揺さぶられ、ムラブリの人々とはもちろんのこと、自身の身体性とも誠実に丁寧に向き合ってきたのだろうなぁ。誰もが著者のような生き方ができるわけではない。だが、そこになんだか、希望を見出す、というか、「日本の男の子も捨てたもんじゃないじゃん」という思いを抱かせるのだ。熱量、じゃないんだけど、捨て去れない核のようなもの、を著者は見出し、それを読者も一緒に喜べる、というか安心できる、というか。うーんちょっと違うな、だって著者は予定調和のような安心からはみだして、野生をも生きると筋を通しているのだ。だから、安心よりも、やっぱり希望という言葉がピッタリくる。

この本では、ムラブリたちの言語や暮らしや考え方と、それらに触れてぼくが考えたこと、そしてどのようにぼくが変わってきたかを語りたい。

ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと p6

 なんてキッパリとしたオリエンテーション=鼻向けだ! かっけ〜!!

 忙しく充実していても、何かモヤモヤとしたものを抱えがちな現代人。あーもーやんなっちゃう!という思いがある人なら、手首に腕時計の刺青をして、酔っ払っては1〜10まで数える宴会芸を繰り返す(しかも数えられない)人々から、どんなにお腹が空いていても「仲間と分け合う」ことを優先し、何かを主張する場面では「私は怒っていないよ、本当だよ」と何度も前置きする人々から、ネガティブな感情を「心が上がる」と表現し、ポジティブな感情を「心が下がる」と表現する人々から、言語学者が何を学び、その生き方がどう変わったのか。本書を『真に受けて読んでみる甲斐がきっとあるのでは、と思います。オススメです!(ちなみに彼らはみんな細マッチョ。お腹が弛んでいる人は、映像では一人としていなかった)。

著者の変貌ぶりを「はじめに」からピックアップ

 著者は自分の変貌ぶりとちゃんと「はじめに」で予告し、鼻向けしてくれている。森の中で迷わないように。ピックアップしてみよう。

 そんなムラブリ社会に身を置きながら、ぼくはムラブリ語を長年調査してきた。今では母語である日本語の次にムラブリ語を流暢に話せるようにもなった。
 じつは、ムラブリ語を話せるようになるということは、ムラブリの身体性を獲得するということでもある。日本語では温和なのに、英語を話すときだけ大胆になる人は…いるのではないだろうか。異なる身体性には、異なる人格が宿るのだ。
 ぼくはムラブリ語を学ぶことで、自分のなかのムラブリをコツコツ育てていたようで、日本に帰ってからの生活もムラブリ流に染められてしまった。そして、日本社会から少しずつはみ出しつつある。…
…ぼくの生活はシンプルになり、風通しのよいものになった。ぼくはこの生き方が気に入っている
 一方で社会生活が難しくなったのも事実だ。…「常識」が目の前で崩れていく体験を何度もした。…その変化と社会との乖離はいまもなお継続中だ。

ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと p3-p7

 何もなさを地でいく生き方と、便利を極め続ける生き方。その両方が自分であると認め、引き受ける。著者は都会に生きているとしてもすでに冒険者であることから、降りていない。

 森から抜け出て、森での生活も並行しながら、どこへいくか、何を生み出しどうするか、は100人(の言語学者が)いれば100通りある。正直なところ、私は今は、著者の突き抜け方にはついていけそうもない。歳も歳だしね。だが、彼は情報発信をし続け、ワークショップなども不定期ながら行っているようだ。ツアーやお話会なども。追いかけたくなった人は、追いかけてみるのも、一興だと思う。たくさんの学びがあるだろう。機会があれば、私も参加してみるかもしれない。それに、著者の簡易住居に関する発明には、とても興味がある(詳しくは本書を読んでください)。

 実際のムラブリと著者との関わりや、ムラブリの暮らしぶり、考え方、著者の変転については、ぜひ本書を読むか、動画もいくつかあります。無料のも、有料のも。なので、参考にしてみてください。本書の続編?なのかな?人類学者との共著もあるようです。楽しみですね!

 うーん。そうして…多分、まだ私は、自分の中にダイブする準備が整っていなくって、周辺をうろうろしていたい気持ちもある。次の人生でトライするのだって、アリ、だと思う。

 なので、以下では、私のマインドのとっ散らかり具合、何を連想し、どういうものを枝としてつなげたくなったか、を書いていこうと思う。蛇足もいいところなのだが、備忘録として。

 目次をつけるので、おまけ(参考文献などの項)に飛びたい方は、飛んでください。よろしくです!



ムラブリを読んで、派生的に連想したこと

 ムラブリは元々は農耕民族で、いつ頃からか森で狩猟採集民となった人々なのだ、という。その根拠となっているのは、DNAや言語学の研究だp174。そして、彼らはなんと製鉄技術を持っている!p173-p174
 ん?製鉄技術?元々は農耕民?

 製鉄を生業にするためには、他に食料を生産する人々が必要だし、安定的にある程度の期間、定住する必要があるだろう。

 製鉄技術を持つ人々を安定的に囲う人々は農業を基盤としていただろうが、製鉄技術を持つ人々も、本当に農業を基盤としていたのだろうか?

 そういう詳しいところは、今のところ私には不明だ。今後の学習課題としておく。

 その上で、下記のような連想(妄想??)が湧いてきた。ほとんど自分用のメモ書きだが、記しておこうと思う。

日本にもあった『森に逃げる』伝統

 きちんと調べれば、書籍名もわかるかもしれないのだが…ずっと昔、大正時代だか昭和初期だかの篤志家の話を読んだ。乞食と暮らしたり、山奥で悟りを目指したりした後、半分学校のような路上生活者の収容施設を作った篤志家自身が書いたある種の自叙伝だった。その頃ちょうどブログという形態が出始めたばかりで「こりゃ大正時代のブログだな」と思ったものだった。その彼は乞食に仲間に入れてもらいながら、シラミだらけの莚(むしろ)にみなで入って寝ることにも、貰い受けた残飯を食べることにも抵抗がなかった。だけど腐ったものを煮たごった煮を食べることだけはできなかったそうだ。それを尻目に乞食歴の長い先輩の老人が「こんなに美味しいのに。お前もまだまだだな」とさもうまそうに食べた、と。
 ムラブリは乞食ではない、もちろん。だから、こういうことを連想すること自体、ムラブリにも大正時代の乞食にも、それから大正時代の篤志家にも著者にも失礼なことかもしれない。だけど…未知のコミュニティに飛び込んで体丸ごとで学ぼうとする姿勢に…共通のものを感じた。それに連想してしまったものは、仕方がない。

 この篤志家のブログを読んでいたのは、多分サンカ=山窩について少しばかり知りたい、と思っていた頃だった。

 サンカについて読んだ本も、探せば見つかるかもしれないのだが…今うろ覚えで書いてみると…江戸末期から文献に現れ始め、昭和30年ごろまで、戸籍も持たない流浪民として認識されていたが、その後は日本社会に溶け込んでいった、と(このYouTube番組がよくまとまっていた。YouTubeのコメント欄にも真偽は不明だが色々な情報が書いてある)。

 サンカの人々の起源で有力なものは、古代、中世、近世の難民説、だ。それぞれ動乱の世に、争いや飢えを避けて山に入って行ったという。これらも真偽は不明だが、「飢えたら山に入って食料を得る」というある種の伝統のようなものがあったのかもしれない。
 著者もムラブリの起源、というかムラブリの集団が大きくなっていく過程で、ある種似たようなことがあったのでは、と推測している。

 ムラブリは農耕民の生活に馴染めなかった人々の集まりではないか。最初は少数のティンの祖先からはじまったが、徐々に他の民族からも合流する人が増えるようになった。「森で人々から離れて生活する人たちがいるらしい」。その噂に共感した人々が森に入り、民族を問わず合流していく。遺伝学的にもムラブリはクム族やタイ族などの多様な民族と混血した形跡がある。
 ムラブリの祖先は、森を遊動しながら、さまざまなバックグラウンドを持つ人々を吸収していく。共通するのは「農耕の定住生活が嫌」で「森に住むことを選んだ」という点のみ。だから、名前も単なる「ムラ(人)」ではなく「ムラブリ(森の人)」と自称するようになった。

ムラブリ 文字も暦も持たない狩猟採集民から言語学者が教わったこと p178-p179

 サンカの人々とムラブリを安易に重ねてはいけない。

 しかし環境も社会状況も時代背景もまったく違うのに、どこか共通点もあるように思えてくるのは、なぜだろう。

  • 元々農耕民だったかもしれない

  • 争いを好まない

  • 特殊技能を持っている

  • お互いを思いやる。里人から「優しい人々」と認識されている

  • 里人(定着民)は滅多に会うことができない

 それから製鉄をする人々とそうでない人々との軋轢を描いた『もののけ姫』。観ていないんですけどね。メモとして記しておく。

特殊能力を持つ悲哀

 これもまた、そんなものと重ねられたら、ムラブリにとってまったく迷惑なことだろうが、夢見の能力があるために戦争に巻き込まれ狩られてしまった一族の一大叙事詩を描いた萩尾望都の漫画『銀の三角』。極度に争いを回避する様子から、想起してしまった。鉄器は容易に武器に使われる。彼ら自身をどちらに味方につけるか、で争われたとしたら?どちらが囲い込むかで争われたとしたら?
 平和を守る、というのは時には文化を放棄する必要があるくらいに、壮絶なことなのかもしれない、と妄想してしまう

放棄することで過度な文明化や争いを回避する人々

 はたまた、米国のいなくなってしまった先住民族。岩の家に住んでいた人々。現在のプエブロ族の祖先のアナサジ族といわれた人々。ホピ族の祖先でもあるといわれている。アナサジ族は高度な文明を誇ったが、あるとき突然、いなくなってしまった。なぜいなくなったか、現在でもわかっていないようだ。仮説のひとつに、文明が行き過ぎたので、みなで離散することを選んだ、というものがあったような気がする。確かホピ族にもそういう伝承があったような。そしてホピ族は人類の今後についても「これ以上文明が進んでしまえば、争いばかりになって地球は滅ぶ」って予言しているんじゃなかったっけ? 人間の遺伝子には、こう言う戦略的撤退も組み込まれているのではないか。(気がする、ばかりで申し訳ない、メモということで)

それから…これも、まったく遠い!と思われるかも知れないけれど…薩長に、というか天皇に政権を譲った徳川慶喜…。彼の英断で日本が決定的に分断し戦乱が長く続くことが回避できた。江戸は焼け野原になることがなかった。

共通するのは、今あるものに満足する出し抜くことを嫌う争いを避ける。さらに譲るという価値観のどれかを持っている、ということではないだろうか?

 ひとつのものを見聞きして、これだけあっちこっちにマインドが飛んでいるんじゃ、著者のいう『自分の中のムラブリを育てる(それがなんであれ自分の内側にあるものを育てる)』は、著者のようにはできそうにないなぁ。お恥ずかしい限りではある。が、参考にすることは、きっとできている、と思う。でなければ、この本を紹介しよう、という気持ちにはならないはず。私は、私にできる冒険を続けようと思う。それは遠回りに見えるが、結局は内側が育っていくことになるように思うので。


おまけ:さらに見識を広げたり知識を深めたい方のために

ちょっと検索して気持ちに引っかかったものを載せてみます。
私もまだ読んでいない本もありますが、もしお役に立つようであればご参考までに。


これは何十年も前にムラブリと出会った西洋人による記録。

こちらは南米の狩猟採集民のお話。文字どころか、右と左の言語的区別もなく、神話もない。あるのは徹底的に今ここだけ。こういう人々をキリスト教に改宗させることはできない。『キリストにあったことあるの?』『あったこともないのに、どうして信用できるの?』となるから。
ムラブリを改宗させることも無理ゲーらしい。宣教師もそばに住んでいるが、布教活動は諦めているそうだ、




アナサジ族のことも書いてあるそうだ。



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