GENJI*REDISCOVERED 今日の源氏 『光る君へ』 19
長徳 元年 =995年、
6月 右大臣となった道長が参内。「今日からは太政官の長だ。」と
御簾越しに帝からのお言葉。
えっ、定子も!横に居る。画角と声の為所から帝より奥。…は、ダメかな。(これ、京都(関西)の「お内裏さん」と 東京の「ひな人形」の違い。)
官職でも、右大臣より左大臣の方が位が高い様に、左に位置する方が右の者より高位の習い。この左右は、帝から見ての右、左。 定子が「帝の左」に(画面右側に)居る…のは…あり得ない。 現場そんな常識もない……のか。
いや、カメラアングルートリミングによる誤解か?
一条帝の問いかけ「関白にはなりたくないのか」に道長『陣定』に出られないから。-決まった結果をあとで聞くのではなく皆と共に考えたい。と。
「夫々の思い、思惑が見抜けねば、お主上の補佐は勤まりません。」とも「これまで(の関白)とは、異なる道を歩みとうごさいます。」とも言わせる台本。(まひろとともに目指す善政への手始め… という事なのだろう。)
一方、まひろ『新楽府』を写してる。「楽しいより為になるの。」と。
肥前(のサワ)~の「手紙」、えらく「蒼い」包み紙。(サワ婿をとった)
『陣定』帝からの「伯耆、石見国、租税1/4の免除」のこと、道長もちろんの同意に、多くの公卿も同意。斉信は「よろしからず。と。伊周は「朝廷の財を減らして良いのか。」「真似て他国もつけあがる。」と猛反対。
道長、そこで決定せず「皆の意見帝にお伝え申す。」と。 善処を見せる。
「陣」終了後、伊周「父と叔父を呪詛したのは右大臣殿か。」と道長に絡む。「東院詮子を使って帝をたぶらかし操っている」とか言い寄るが、振りきられてコケる。
秋の『除目』に 東院詮子が道長に直々の推挙、道長は断る。
「道隆兄みたいなこと出来ません。」と。そりゃそうだ。と詮子も。
で、「(直で息子の)帝に頼んでくるわ。」と(笑いも取る今回の演出)。
前回の「陣定」後の伊周の無様の事、道綱から聞いた実資「そんな面白い事が…」と、次回に期待。だが、それ以来伊周(と隆家)参内しなくなる。久々の「四納言」の酒宴。シナゴンの居る縁先を「蛍」が飛んでる。
勢力争いから離れたという先の関白頼忠の息子公任参議から、行成からの情報で貴族其々の思惑・裏の顔を知れば…との提案。
昇進を望む斉信に「今回は源俊賢を参議にする。」待っていてくれと道長。
美しい「書」で女房たちに人気の(代筆バイト=内々の情報の宝庫である)行成、道長への調査報告始める。
の「危ないからメモは読んだら残さず焼いてね」からの「大事な事は記録して」からの「記憶の訓練にも」と「日記」をつける提案。に道長、日記始める=『御堂関白記』がはじまる。
久々の-猫のこまろ、倫子が道長の日記を見る。(倫子が漢字を読めることを描写(のため)とのこと。このカットなるほどそれか。と。で複線か?)
「秋の除目」=実資が権中納言。参議に選ばれた俊賢(は、道長第二婦人
明子の兄)が、道長のために動き始める。 →内大臣伊周、中納言隆家兄弟に近づく。「お若くご聡明な伊周さまのこと、帝もご心配されている。」と元蔵人頭として拝察すると。「陣定にご参内されてないと道長のし放題だし。」と吹き込んで焚きつけて。伊周らを自主的に出てこさせる。お見事。
道長の邸「土御門殿」今は、昔みたく(季節の花車とかで…)飾り立てていない。母穆子、倫子に、大臣の妻の心得伝授。は、「まず丈夫であること。」「子どものことの心配を話さないこと。」で、→彰子のことばが遅いことさらっと挿し込む。
「陣定」に伊周、隆家、出てくる。
「宋人70余名、若狭の国に」事件うまく挿し込む。…歴史のいたずら…か。
為時邸、為時、秋の除目への「申し文」書き始める。その庭に一本、まだ
8月にもなってないのに紅葉している木。なんでそんなの入れるかな…。
清少納言(また)まひろを訪問してくる。今の宮中の話題は、と、道長を褒める。「右大臣さまが宋人を越前に送る見事なお手配。」を聞いてまひろ、宋の言葉を話せる父の出番が…と思う。
『科挙』の話しを清少納言にするまひろ。「身分の壁をこえられる制度の話し。」に、「まひろさんって…」と納言。
さて、…、清少納言と紫式部のこういう交流を、イライラして、見ている方々、史実ではあり得ない!って先生たちも少なくないのでは。この交友を見ていて、後の紫式部が『日記』で清少納言を貶す様になるのは「何」からなのだろう…とドラマで起きるソレ…どんな事…とか、…想像…出来ません。
「(政は殿方にまかせる事と言い)すごいことお考えなのね。」と清少納言。
たえず「中宮さまに面白いこと、お悦びになること、」にアンテナ立ててる清少納言、「キキョウさんが魅せられる中宮さまの後宮って…」まひろの言葉に「おみえになりたいの?!」と、参内を手配。
参内して廊を上がるまひろ「鋲」を踏む。清少納言の「何か踏まれました?」の言葉に!「けしからぬもの」はテレビに映せないよね、とドキッとする。…ココ、『源氏物語』の 光源氏の母「桐壺更衣」への嫌がらせとして書かれた事の、紫式部の実体験。と思わせている…のかな…だが、
さて、はて、長徳元年のこの時、一条帝の後宮には、妃は定子中宮のみ、
寵愛争いをしている他の妃は(まだ)居なくて。で、歩いているのは、
『登華殿』の屋根の下、御殿内のはず。となると、こういう嫌がらせは…。
清少納言が嫌いな同僚の人間の仕業なのかな。ま『枕草子』からも-清少納言が、宮中での事で嫌になり→「里さがり」してスネている期間も書かれてあるから、同僚とのこういう事も無くはなかったのでしょう。「毎日のことですの。私も三日に一度は何かを踏みます。」って。声を大にして(御簾越しに)やった奴らに「中宮さまとの時間の代償には及ばない嫌がらせ、私は平気よ」と言う清少納言。これは、きっと清少納言(の定子押し、わが身の誉、)ってこうだったのだろう…と賛同。
御簾上げたままの定子と対面するまひろ! 清少納言が「心酔する友って」紹介していた! 突然の偶然の帝のおわたり。定子と奥へ消える。
「どちらへ」って(うぶ…で)野暮なまひろ。「重いご使命がおあり」と
清少納言。
事から出てきて、まひろ、帝ともお目通り。「為時の娘」と名乗る。
「おなごながら政のも考えが」と定子。「申したきことあらば、」と帝。
私ごとき…といいながら、まひろ「私には夢がございます。」と(キング牧師まで出てきて!!!)「宋の国には身分に関わらず、政に加われる-すべての人がその壁を越せるすばらしいしくみがあると聞きました。我が国もそのような制度が整う日が…」と。帝「『新楽府』を読んだのか」と。 ここは後々「『源氏物語』を読んで、この作者は「日本記を知っている」と一条帝が言った」と『紫式部日記』に記されている事からの事。(リフレインさせる?のかな。)…ここに、こう挟んでくるかーと唸る。
ドラマの面白さ、史実・資料からのフィクション、凄い。と思いつつ、この時、一条帝は、15歳だった…という事を考えると複雑な気分に。このフィクションに「なるほどそうだったかも」と納得…すると、その年齢でのこの才のすごい事が、ほんとうに凄いこととなる。
「高者未だ必ずしも賢ならず、下者未だ必ずしも愚ならず」『新楽府』を諳んじてみせるまひろ調子に乗って「下々が望みをもって学べば、世の中が活気づき、国もまた…、貴き方々も政をあだや疎かにはなさらぬでしょう…」に「言葉がすぎる。」と定子。 そこへ伊周と隆家。
「政」より「御子」のことばかりの伊周、見事に「絵にかいたような」皮肉な展開。帝も「それしか申さぬな」とバカな兄弟貴族と下位なのに聡明な女の取り合わせ、「大石本」お見事!
為時の「申文」に「越前では。」というまひろ。
((税収の多い)越前は「大国」で、)「五位以上でなくてはなれぬ。」
「乱心と思われるだけだ。」と父。「望みは大胆でないと。」という娘。
ここでは、『枕草子』での清少納言の立派な「門構え」にいたすべきでは…の話を思い出した。きっと『枕』からのいろいろ…も入っているのだと思う。
あくまでも「淡路でも高望み。」と言う為時。「のるかそるか。」と言う娘
まひろは、宮中参内で、「帝にお会いしたこと」は言ってない。みたい。
伊周、斉信の妹みつこの所に。 ここに挟まれた『長徳の変』前夜。
帝から「下々の女人でも政に関心を持っている者がいて…」と始まった話。
為時の娘-まひろと聞いて道長驚く。「男であったら登用してみたいと思った。」と帝。それで道長「申文」を探して為時の希望は「淡路か。」と。
為時邸に宮中から「従五位の下に序する。」との使い。「右大臣さまのご推挙と。」と。道長の下拵え…、ですね、報恩もあっての、出来ること…。
に入ったBGM 「ウグイス」の「ホケキョ」違うのでは。ー「季節」…が!
ココは、鶯でなく「ホトトギス」だろと。「時鳥」とも書く杜鵑は『枕草子』清少納言の鳥ながら、この「夏」という季節の鳥の声、人々を驚かす声としても、稀な-待ちわびる訪問者としても「ホトトギス」の方がウッテツケダヨ、ウッテツケダヨ(とも聞き為せる…声)なのに。
NHKに音素材が無いとも思えないが…、無いのかな、知識。
「これは国司にしてくださる」という事でしょうか。「突然どうしたことだろう。」と為時と話す イトさんは「下世話」の代弁者。「やっぱり右大臣さまとまひろさまの関係で」と解釈。
「赤い束帯」無いよ!って、宣孝様に借りに行く。(笑い)の今週の演出。
借りて来た赤の束帯で為時、右大臣に叙爵の礼に。「娘も息災。」とつけくわえる。が、道長からはそれには無関心でそっけない反応。
琵琶弾くまひろ。弦が切れる。…「不吉」の兆候は、まひろ達への…か、世の中へ…なのか、よくわからない。満月に暗雲。
また斉信の屋敷「一条院」。斉信が宮中からの菓子を「妹と分けよ」…は、間違ってるのでは。家族は-妹は「名前」で呼ぶだろう…と思ったら、この「三の君」またの名「寝殿の御方」の名前は不明みたいです。「四の君」=花山院が通っていたのは「儼子(たけこ)」と記録にあり。ー後に、道長の妻になったからでしょうか。あ、でも、「タケコと分けよ」と言えたのに。
同じ家-邸内に、お通いがある姫二人。父、母でなく、兄の邸となっているからか「一条院」、来訪者の管理というか、整理…なんだかな~で…。
今宵もやって来た伊周が、門前に「立派な」牛車と随行の者たちを見て、
自分の女に「別の誰か」が…と早合点して、帰宅してくる。
弟・隆家の「おんなの所に行ってたのではないのか。」って軽口、茶化しから暗雲が。(…「茶化す」の「茶」はまだこの時代、日本に入って来ていない。人達が喫しているのは水か白湯。さて「ちゃかす」どう言う…。)
「摂政になれなかった」状況が全てネガティブに働いていると捉え、勘違いしている伊周を、ばか弟が煽って、「誰だか見るだけでも」行こうと誘う。門から出て来たのを「脅そう」と、弟・隆家、矢を射る。
驚き、いろいろ狼狽する花山院。 『長徳の変』と呼ばれる事件に。
付け足し1、ちなみに、花山院が来ていた「儼子」は、花山帝だった時の、最愛の皇后「忯子」の妹。忘れじの妻に似ていたのでしょうかね。
付け足し、2「絵」は、上村松園筆の清少納言(部分)。松園は、清少納言
の絵を複数描いている。このポーズのが2点あって、ほかのも『香炉峯の雪』-清少納言と御簾との絵。
で、NHK、「大河」関連での『歴史探偵』の『清少納言』で、この松園の絵を清少納言のイメージとして使ったあと、「逸話」紹介でのイラストの清少納言がすべてこの絵からの描き起こしだった。それだけ松園のこの絵が、「決定版」という評価なのは同意ながら、勝手に(かな、このポーズの著作権、対応してあるのだろうか…。)シーン、シチュエーションを変えてイラスト作っていて…。で、その全てが、青畳を敷き詰めた部屋(の連なり)という大間違いをしでかしていて、ほんとうに情けなかった。という事からして、元絵への配慮…無さそう…と思った次第。