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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
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2022年9月の記事一覧

ライカと言うブランド レイバンと言うブランド

50年前日本デザインセンターのアシスタントをやっていた頃に流行したのがレイバンのサングラスだった。非常に不思議なサングラスでグラスがイエローなのである。話に聞くと何か射撃用の特別な目的のグラスらしい。先輩のカメラマン連中はスタジオで広告写真を撮る以外に才能がないからやすみじかんに銀座をスナップするなどと言う人はいなかった。そういう先輩カメラマンの間でこのイエローサングラスが流行していた。それでは足りなくて出勤の時に両方の方にローライをぶら下げて出社するのである。そのくらいファ

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号外 NeXTコンピューターの時代がどんどん過去の神話になってゆくこと

片岡義男さんとほとんど毎週あって東京の撮影をしているときに片岡さんのライフスタイルと言うのをいろいろ垣間見てかっこいいなと思ったのである。そのうちの1つは着古したトロトロになったようなTシャツをいつもお召しなのだ。 何かの本の対談で片岡さんとお話をするので当時六本木ヒルズを仕事場に使っていたからそこにご足労願えますかとお願いしたら片岡さんはそれを謝絶して僕は神保町の喫茶店のほうがいいとおっしゃる。それで神保町の小瀬戸と言う喫茶店で結構長い対談をした。 5月の半ばのかなり蒸

カフカのドローイングの作品集に見えるカフカの視神経

最近手に入れた作品集で気に入っているのはエール大学が出しているフランツカフカの最近発見されたドローイングの学習である。私はフランツカフカに関しては普通の日本語訳の読者の域を出ないが30数年間プラハに住んでいたと言う関係もあり、町の東のはずれにあるユダヤ人墓地に行った事はある。ユダヤの掟に従って0-01カップみたいなものは頭につけないと入場させてもらえない。ビルクリントンが高校訪問した時もまさにその通りだった。

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号外!1896年9月28日ちょうど今日のことになるがフランスのパリにPatheFilmが誕生した

稲垣樽歩の作品にPatheの赤い雄鶏を訪ねて、というのがあってこれは1920年頃の稲垣のあの当時の映画機材とフィルム産業に対する20世紀初頭の憧れを表現した私の好きな作品である。 30年位前の事だが、パリのカルチェラタンの大学地域の路地裏を歩いていて書店のウインドウにPhathe Filmの歴史を扱ったグラフィックなハードカバーの大きな重くて厚い本が展示されていた。そこには2人の男性が写っていてそれが創業者だと思われた。結局ウインドウ越しに見るだけでその本は購入しなかったけ

モノクロフィルムが高いと言う理由を分析してみる。これは良いことだと思う

10年近く前だけれどもコダックのトライエックスなどのモノクロフィルムが高くなったときに私の周りの2世代下同盟の連中などが競争でトライエックスを買うと言う面白いゲームが展開された。それから何年か経過して彼らがたくさん購入してそれをプライドとしていたコダックのモノクロフィルムもだんだんに期限が切れてくるのである。

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鉄道ファン好みの風景というのが私にはわからない理由を考える

私の周囲の後期高齢者にも鉄道ファンが結構いて全国の鉄道乗り潰すとか言うことが人生の究極の目的になってしまっている人がいる。こういう人がすごいのは日本を代表するエンターテイメントの会社を卒業して後何をやっているかと言うと鈍行の電車に乗って大阪の先位まで行って甲子園を応援したかと思うとそこらの駅の立ち食いそばを食べることが目標であったりしてさらに鈍行の列車に乗って帰ってくるのである。

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日光とニコンエフとニッコール20センチ

小学生の4年か5年の時のことだが冬の日光に父親と言ったのである。日光は雪に覆われていて華厳の滝も半分凍っていた記憶がある。それでこれだけは見なければいけないと言うので東照宮の眠り猫を見物に行った。単に猫が眠っているだけの彫刻であるから左甚五郎とかそういうのは私は関係ないのでしらけていた。ほ

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Bomber und Paganiniに記録されている1970年代のウィーンの街がノスタルジー

この春に開催されたギャラリーバウハウスでもウィーンとライカの日々の写真展の2度のトークイベントでも話したのであるが、1976年と言う年は私にとっては非常に重要な年代である。すなわち1973年にウィーンに住み始めて1980年の終わりに極東に来たので足掛け8年のちょうど中間にあたる。

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アルゴン原子番号18番の元素の名前を持つカメラ

レンズシャッター式のやや大柄な35ミリレンジファインダカメラである。カメラの名前と言うのはいろいろあるがこれは非常に奇妙な名前である。レンズを調べてみたらスーパーからアルゴン45ミリef 1.9というのが付いている。スーパーアングロンと言うレンズの刷り込み現象が我々の世代にはあるので何か非常にうつりそうな気がする。

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このカメラを見るとヴェルディのオペラリゴレットを思い出すわけ

1970年頃であったと思うけれど、家人がオペラ会の新人と言うことで最初に登場したのがリゴレットのちょい役である。しかし結構お得な薬であって同時にデビューした他の女性歌手2人と一緒にリゴレット3人娘などともてはやされて音楽の友と言う雑誌に見開きで登場したのだから宣伝効果はかなりあったようだ。しかも大手オペラ団体だと普通はありきたりの衣装を貸すわけであるが家人の場合はかなり細いので新しく衣装を家人に合わせて作ってくれたと言う。あの頃の文化芸術活動はお金があったんだな。

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Znow一眼レフとヤシカペンタの共通点9/23(金)

1959年に発売予定でカメラ雑誌にその価格まで表示していたのに結局倒産して世の中に出なかった一眼レフである。コレクターズアイテムになっているからカメラが動いていても動かなくても大変なプライスタグが付いていたりする。

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本日の号外!渋谷嫌いの半世紀

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街中で普通に使うことのできる唯一のゴールデンカメラ9/22(木)

ダライ・ラマさんがカメラ付きであると言うことが有名で十数年前だったかお忍びで来日した時もカメラ屋巡りをしたと言う話を聞いた。カメラ屋巡りと言えば3台前のライカの社長さんとお付き合いがあったのであろうカメラ我楽多屋に表敬訪問したことがあった。これもなかなか凄いイベントだと思う。

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250ユニットだけ作られたライカのターレット装置に使えるレンズは限られていると言うお話

時代は1950年の終わり頃だからまだズームレンズが実用化していなかった頃の話だ。エルンストライツがその時発表したのはライカスクリューマウントとバイオネットマウントにはフランジバックに1ミリの差があるのでこの1ミリを利用してライカM3のベースプレートの代わりに3本ターレット装置をつけてレンズ交換を自由にしようと言う優れたアイディアの製品であった。

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