tanakachotoku
カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかなりお得です。カメラノートは毎日更新です。
今回のカメラノートは逆の見方で分析するならばカメラの肌の色の差別ゆえに反対しようと言うテーマなのである。
ディアドルフカメラはシカゴで作られた歴史的なカメラである。そのブームが半世紀ぶり位に会ってきた。半世紀前と今ではフィルムの値段が異なるから、逆に現代にデアドルフを使う意味が浮上してきたと言うデアドルフ特集です。
今回のカメラノートスペシャルではあの時代と現在を比較してみて写真表現のためのデバイスの変貌の仕方に驚くと同時にこれからはカメラのステータスシンボルとしての写真表現が可能なのであろうかと言うことを考えてみたい。
今回のカメラノートスペシャルでは日常無意識に使っている良いレンズあるいは悪いレンズと言う評価は一体どこからやってきてそれがどのような影響を受けるのかと言う本質的なことを考えてみたい。
ハンガリー製の35ミリカメラレンジファインダー連動というものがある。時々歳のせいでそのカメラの名前を忘れてしまって、これを書いている。途中で思い出すかもしれないけれども、思い出せないかもしれない。
^_^私の東京の地図の中では、葛飾区の立石とお花茶屋が位置関係がごちゃごちゃになっていて、立石の事であると記憶するとそれがお花茶屋であると言うようなこともある。
^_^テーブルの上に、カメラや時計が土石流のように堆積していると言うのが、私の日常生活だから、そんなことは気にしていないのだが、偶然に記録されたこの2つのオブジェの隣同士の相乗効果というのが意外な効果を出している。
^_^ウィーンに暮らしていた時代に使ったカメラと言うのは、時代が時代であるから、デジカメというのは1台もなくて、何かの思いつきでアパートメントの床に自分が今使っているカメラをずらりと並べたのがこの画像である。
1970年代はなかなかウィーンの建物を観察するには良い時代であった。それというのも今のようにセキュリティーの観点からドアのエントランスにオートロックと言う装置がなかったから、建築ガイドブックを見て、有名な建築家の建物のインテリアなどをごく普通に見に行くことができたのである。
まずずいぶんいろんな国の軍用カメラを使っていた。アメリカ軍が自分の国のために作ったライカコピーのカードンとか西ドイツのオリーブ色の国をカメラライカM3などである。
自分のカメラをタクシーに忘れたのは初めてである。それが結構ショックで、これはお昼でも食べなければならないと思って目の前にあるお店に飛び込んで、自分の馬鹿を賛成するつもりで目の前を見たら私がハノイで1番好きな街のコーナーであるので、少しは慰められた
2000年と言う時に初めてハノイに行った時に路上で営業している床屋さんが非常に面白く思った。だからその時出した写真集でも床屋さんが出てくる。
四半世紀以上前のことになるけれども、高輪にカメラ屋さんがあった頃にそこに行く道の行すがらに突撃さんに出会ったのである。ライカエム4のブラックペイントを持っていた。それでライカの話が弾んだわけだが、突撃さんが私を認識したと言う事は、私が既に本を出していたから、知っていたと言う以外に考えられない。そうでなければ私は単なる通行人であって、突撃さんは私の認識のしようがなかったからだ。
コミュニティバスに乗るのに結構はまっているのである。普通の路線バスとは関係ないような路地の奥まで入っていけると言うのと、一旦乗ってしまうと降りるまでどこを走っていたのか全くわからないと言うところも素晴らしい。
1 真っ赤に塗装されたウエルミー6を見ていろいろ思い出したこと
2 50年前トヨタ自動車の広告の仕事をしていた時に発表前の車を撮影する許可をもらったカメラと言うのは真っ赤にペイントされた間宮プレスだった
3 なくなった写真家の須田さんと遊び友達であったのは私が日本デザインセンターに入社したのが1970年だから、その前の時代になるので1966年の4月29日に皇居の中で偶然須田さんに初めてあってそれ以来日本の社会構造についていろいろ教えてもらったわけである。
4 マルコムエックスは特にエクストリームな黒人活動家であって差別主義のアメリカから黒人の地位を向上するためにいろいろな活動をしていたわけなのだけど、1時はムスリムのメンバーに入って活動をしていた。ところがムスリムのやり方に限界を感じてそこから脱退して独自の活動をさらにハードに展開することになったのでムスリムの団体からもかなり恨みを買っていたようである。
5 アンリカルティエブレッソンの愛用したブラック仕上げのライカM3の事
6 朝鮮戦争に持っていった三木じゅんのニコン1型がインチキブラックであったこと