見出し画像

号外!1896年9月28日ちょうど今日のことになるがフランスのパリにPatheFilmが誕生した

稲垣樽歩の作品にPatheの赤い雄鶏を訪ねて、というのがあってこれは1920年頃の稲垣のあの当時の映画機材とフィルム産業に対する20世紀初頭の憧れを表現した私の好きな作品である。

30年位前の事だが、パリのカルチェラタンの大学地域の路地裏を歩いていて書店のウインドウにPhathe Filmの歴史を扱ったグラフィックなハードカバーの大きな重くて厚い本が展示されていた。そこには2人の男性が写っていてそれが創業者だと思われた。結局ウインドウ越しに見るだけでその本は購入しなかったけれど、私にとってPhatheの16ミリ映画カメラは既に何台か所有していて実際に撮影に使っていたのでお馴染みの存在感であった。

Phatheの創業者は鶏の料理屋であると言うことが稲垣は書いているが私の勘違いはそこにもあって兄弟2人で立ち上げた会社だと思っていたのである。ところがさっきウィキで見たらとんでもない間違いで、1896年の今日の事だけど、パリに立ち上げた会社はなんと4人兄弟であったと言うので驚いた。家行の鶏料理の店の商売道具である鶏がこの会社のシンボルマークになっている。と言うよりもフランスのシンボルマークは雄鶏なのである。

1920年代の稲垣のPhatheに対するイメージは9.5ミリのフィルムの幅を持つパテbabyであった。それとその当時のパテフィルムは世界中に数百のニュース映画館を持っていて20世紀初頭の最大のエンターテイメント会社でもあった。いつだったかアムステルダムで道に迷ってうろうろしていた時にアールデコ様式の巨大なムービーシアターがあってそのシアターの名前がパティーフィルムであって私の好きな音鳥のマークがエントランスに誇らしく掲げられていた。

Pathe Filmに関する稲垣のもう一つのテーマは、初期の35ミリ映画プロジェクターに対するフェティシズムである。プロジェクターのライトがまだ電気式ではなくてアセチレンであった頃のストーリーが描かれていて、それと同時に映画館に配給されてくる上映用の35ミリフィルムの巨大なフィルムリールがズックの袋に入ってくると言うその存在感の素敵な感覚を稲垣は描いている。

今の時代になってオンラインで映画が次々と配信されてそこに物質的な質量がないと言うつまらない時代になったものだと思う。

ここから先は

0字
カメラの過去現在未来のトレンドをお知らせします。毎日更新。毎月30本から31本読めます。頼りになるのはあなただけ!

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは…

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?