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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
カメラの過去現在未来のトレンドをお知らせします。毎日更新。毎月30本から31本読めます。頼りになる…
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記事一覧

軍用カメラになぜ惹かれるのか

まずずいぶんいろんな国の軍用カメラを使っていた。アメリカ軍が自分の国のために作ったライカコピーのカードンとか西ドイツのオリーブ色の国をカメラライカM3などである。

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河内の好きな場所

自分のカメラをタクシーに忘れたのは初めてである。それが結構ショックで、これはお昼でも食べなければならないと思って目の前にあるお店に飛び込んで、自分の馬鹿を賛成するつもりで目の前を見たら私がハノイで1番好きな街のコーナーであるので、少しは慰められた

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ハノイの床屋さんで1ドル

2000年と言う時に初めてハノイに行った時に路上で営業している床屋さんが非常に面白く思った。だからその時出した写真集でも床屋さんが出てくる。

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突撃さんは元気かな?

四半世紀以上前のことになるけれども、高輪にカメラ屋さんがあった頃にそこに行く道の行すがらに突撃さんに出会ったのである。ライカエム4のブラックペイントを持っていた。それでライカの話が弾んだわけだが、突撃さんが私を認識したと言う事は、私が既に本を出していたから、知っていたと言う以外に考えられない。そうでなければ私は単なる通行人であって、突撃さんは私の認識のしようがなかったからだ。

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葛飾区小菅のコミュニティーバスでびっくり

  コミュニティバスに乗るのに結構はまっているのである。普通の路線バスとは関係ないような路地の奥まで入っていけると言うのと、一旦乗ってしまうと降りるまでどこを走っていたのか全くわからないと言うところも素晴らしい。

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1960年代羽田空港の中で記念撮影ができたと言う驚き

日大の写真学科の学生の私が最初に取るところは銀座であった。それから新宿に行き、神田に行き、色々と訓練を積んで最終的に行ったのがモノレールができた頃の羽田空港である。

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デジタルライカにつける偽物のレンジファインダ照明ウインドウシール

どこかのカメラ屋さんでライカエム10より後のデジタルライカボディーにシールを貼ってクラシックなライカのようにトップカバーにブライトフレームの光を取り入れる窓のように見せると言うバカバカしいシールを売りに出した。何枚分か知らないけどこれが5000円位するんだすごいなぁ。 仕事でライカエム10を使ったときに非常に使いにくいと思ったのは撮影直前にファインダーの中にLEDでブライトフレームが登場するんだけどその時の音というのが結構でかくてシャッター音と勘違いするんだね。まずデジタル

東京ニコン日記より、東松、ダンカン、三木さん20241031

東京ニコン日記は、ニコンのブランドが登場した50年をタイアップして出された戦勝版の800ページ近い写真集である。

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御茶ノ水の聖橋と永代橋が同じ設計の人とは考えられない

永代橋は私にとって最初の現代的な橋であった。自分の生まれた文京区の音羽から長い長い路面電車に乗ってようやく着いた。日本橋からさらに東のほうに行くと、ブルーの鉄橋が隅田川にかかっている。それを超えると、もう別の世界と言う感覚がして、その先にあるのが深川の不動様であった。

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オンラインで使う画像にどれだけのシャープネスが必要か?

我々の日常のコミュニケーションの手段と言うものはSNSである。SNSにアップする画像はiPhoneで充分である。

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なぜ実際に撮影したテストフィルムをつけたのか?

ロードカメラにはこの時代のもののオリジナルパッケージを探すのはなかなか大変なことである。そして注目すべきはこの時代のオリジナルのパッケージと言うのは取扱説明書とか保証書だけではなくて、実際に出荷されるときにこのカメラのこのレンズで撮影されたテストフィルムがちゃんと添付されていることなのだ。

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コンタックスのネームプレートは、ドイツ語よりもキリル文字の方が

ウィーンに暮らし始めた頃に安くて、使いやすいカメラがないかと探していたら、ベートーベンが十何回目かの引っ越しをした。中心部からちょっと町外れにあたる古い建物の1階がカメラ屋さんで、そこでソ連製のコンタックスを発見した。

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写真家の視神経の変貌2

Sudekが、第一次大戦前自由で右腕を今ヨセフの失った後の作品である。光に対する美しい反応と言うよりも、ここでは雲を見据えた。もっとどっしりとした視神経が構築されている。

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1983年1月1日のツインタワービル

この時住んでいたのはタイムズスクエアの近くのホテルである。ドルレートが280円の時に1週間で130ドル位するコストだから結構高かった。それで大晦日の大騒ぎをタイムズスクエアで体験した後にマンハッタンの全体が撮りたくなって、フイルムはフォルダーに1枚だけ残っていたのを持ってアンダーグラウンドに乗ってBrooklyn Heightsに撮影に出かけた。

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