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チョートクのカメラノート📷🎥📹

カメラで本気出す。カメラに本気出す。ついでに写真芸術にも本気出す。2001年5月からスタートしたチョートクカメラ日記です。webマガジンは毎月定額1000円。単品で買うよりもかな…
カメラの過去現在未来のトレンドをお知らせします。毎日更新。毎月30本から31本読めます。頼りになる…
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記事一覧

カメラホルダーと言うアクセサリーはなぜ売れなかったのか?

ガラクタ屋さんあたりで、時々カメラホルダーと言うアクセサリーが登場する。これも黄色いシールが付いているから、ガラクタ屋さんで手に入れたものだ。

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カメラよりカメラバッグのほうに注目

ペトリカメラにはたくさんのファンがいる。ペトリカメラの工場があったところは足立区であるが、そこにピルグリムファーザーズで出かける人もいる。今は巨大なマンションになっている。

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マンハッタンの午後、エンパイア光る

^_^アンディウォーホルが唱えた。エンパイアステートビルディングはスターであると言う。短い言葉のフレーズは真実をついている。誰でも言いそうな言葉で、誰も言えない言葉なのだ。

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1966年頃の音羽通り

日大写真学科に入った1年生の時に手に入れたニッコール2.1センチのレンズを使い続けて、半世紀以上愛用しているのであるが、その1番最初に撮ったのは今とは完全に様相が変わってしまった音羽通りのファサードである。

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ワールドトレードセンタービル

ワールドトレードセンタービルがあんなことになるとも思わないで、ニューヨークのシティーホールを手前にして、奥に輝く午後の光のビルディングを撮影したりしているのである。

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カンカンカンカメラ

こういうブランドがあると言う事は私は知らなかったのである。1973年にウィーンに行った時に、プロ機材の店に行ったら、このCameraに記載されているのと、同じ名前の巨大な金属製、三脚があった。友人の写真家の話によると、オランダ製ということであった。

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ニコンカメラの商品撮影

私の場合、1970年から1973年まで日本デザインセンターで仕事をしていたわけだが、年に1階ニコンカメラのすべての商品を撮影すると言うすごい企画があった。

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決定的瞬間なんてあっちからやってくるもの

ウィーンでのスナップショットである。 ライカ1g に28ミリレンズを付けてライカのボディーにはライカビットが付いている。いつものコンフィグレーションである。 ウィーンの郊外のいつもの道を歩いていたら左側からロータスヨーロッパがやってきた。撮影しようと思ったらウインドウを持った男の人がいきなり私の視界を遮ったのである。 撮影しようとかしないとか考える時間的ゆとりもなく私の右手の人差し指はオートマティックに動いて決定的瞬間を記録した。 スナップショットのうまくいくと言う場合は

パリのバルコニー付きバスの時代

昔のパリは昔のパリであって、今のパリは今のパリではないということを強烈に感じるのは、まず英語が通じやすくなったということであろう。

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誰も真似ができない組み合わせのカメラとレンズ

ハンガリー製の35ミリカメラレンジファインダー連動というものがある。時々歳のせいでそのカメラの名前を忘れてしまって、これを書いている。途中で思い出すかもしれないけれども、思い出せないかもしれない。

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自分ではかなりうまくいったと思うスナップショット。

^_^私の東京の地図の中では、葛飾区の立石とお花茶屋が位置関係がごちゃごちゃになっていて、立石の事であると記憶するとそれがお花茶屋であると言うようなこともある。

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ソ連の時計とイタリアのカメラ

^_^テーブルの上に、カメラや時計が土石流のように堆積していると言うのが、私の日常生活だから、そんなことは気にしていないのだが、偶然に記録されたこの2つのオブジェの隣同士の相乗効果というのが意外な効果を出している。

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オーストリア、ウィーンで使ったカメラ

^_^ウィーンに暮らしていた時代に使ったカメラと言うのは、時代が時代であるから、デジカメというのは1台もなくて、何かの思いつきでアパートメントの床に自分が今使っているカメラをずらりと並べたのがこの画像である。

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螺旋階段にはわからないところがある

1970年代はなかなかウィーンの建物を観察するには良い時代であった。それというのも今のようにセキュリティーの観点からドアのエントランスにオートロックと言う装置がなかったから、建築ガイドブックを見て、有名な建築家の建物のインテリアなどをごく普通に見に行くことができたのである。

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