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「頼る」と「依存」の境界線

「自立した人になる」

できれば誰しもがそうなりたいと願うのではないか。
好き好んで依存したい人がいるのか、と考えたとき、長期的なスパンで考えるなら個人的にはそんな人は少ないと考えている。

「時には人に頼る」

大人になると自分でできること、そうでないことの見極めが重要で、なんでも一人でやろうとするのは幼いと見なされることも。

両立している言い分に見えて、じつは一直線上にあるもの。
そのボーダーラインは曖昧で、どこからが甘えなのか。

人によって違う、と言われればそれまで。
だけれど、今回はあえて定義してみる。
(今回金銭が発生する仕事などは別とする)

①自分が不得手かどうか
自分ができる(能力的にも時間的にも)ものをあえて他者に任せているのであれば、依存度は高くなるのではないか。
一時的な状況を除き、できるできないの見極めすら放棄して他者任せにしているのであれば、個人的には依存度が高いと思う。

②負担の度合い
これは相手によって異なるため、見極めが重要となる。
たとえば家事にしても個人のキャパシティが相手のキャパシティを圧迫するような状況になれば、一方は頼られているというより「依存されている」「重い」と感じやすいのではないか。
個人的な付き合いにおいて、キャパシティについての相互理解を促すことは重要と考えた。

まだまだあると思うけれど、それは今後加筆するかもしれない。
今のところは、この二つが重要なのではないかと。

「依存」から「頼る」へ移行するひとつのヒントとなれば幸いです。

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松岡ふぶき
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