私と写真。
先日とうとう25歳になった。その日は金曜だったが、案件も落ち着いていたので会社を休んだ。雨の中、髪を切りに行って2年ぶりにショートにした。頭がさっぱりして気分がいい。
社会人3年目。仕事は面白くない。社会人って趣味がなければやっていけない気がする。仕事が人生の全てではないから。
一方で、知識や正しい振る舞いについて、「身につくほど継続すること」の重要さを実感する日々でもある。つまらないのは出来ないことが多いからで、自業自得ということだ。
振り返れば子供の頃から「続ける」ことが本当に苦手だった。勉強も、習い事も、自炊も続かない。歯磨き以上の習慣を身につけられない...。
刹那的に生きすぎではないか?もっと未来の自分に投資しろっ!
...と、自己啓発的なことを書きたいのではなく、今日はおそらく歯磨き以外に唯一、何年も続けている写真について書きたい。つまらない会社員生活に彩りを添えよう。
初めに断っておくと、カメラやレンズに詳しい訳ではない。「撮り始めた」のも、小学生のとき携帯を使ってだ。大学生のとき自分で11万のカメラを買ったが、マニュアルモードにしていると、鈍臭いが故にシャッターチャンスを逃してしまうためほぼオートで撮っているし、ISO感度も知ってるが使いこなせない。それくらい今まで、写真の技術に頓着していなかった。正直、シャッターが切れればいい(レタッチするし)。
本格的にカメラを使っている人は、「そんなんで自分と同じ写真好きを名乗って欲しくない」と片眉を上げてしまうかもしれない。
けど携帯を手に入れた時から現在まで、十年近く写すものを探したり、出会ったりして写真を撮っている。写真が好きなのは間違いない。だからこうしてちょっと語りたい時もあるというものだ。
写真を撮る理由は人それぞれだと思う。私が思いつくのは4つくらい。
1. 被写体の証明
2. 遊び
3. 自己肯定
4. 自己顕示欲と承認欲求
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1. 被写体の証明
一般的に就活や免許証に使う「証明写真」、ネット販売の商品の写真がこの理由。姿形を証明するために撮る。
証明写真や商品の写真はなるべく実際どおりである必要がある(と思うが、盛っているのもよくある)。
私が撮るときは被写体の「存在証明」だ。
道端に咲いた花、楽しかった出来事、関わった人々、思い出の場所...。
忘れたくない、無くしたくない。もはや祈りに似た気持ちで、私を形作ったものや好きだったもの、私が私に至った経緯を記録として残す。
それは被写体だけの存在証明だけでなく、私自身の存在証明にもなる。
だから崩れずに日々変わりながらも、私は私でいられる。(そして書きながら、「これは読み返すと恥ずかしいやつだ」と悟る)
2. 遊び
理由その2は単純に「遊び」だ。映画風、雑誌風、広告風...写真は見慣れたものでも特別にできる。それが楽しい。
(↑これは雑誌風。SAVVYみたいな)
(↑これも雑誌風。Casa BRUTUSみたいな)
写真によって日常はフィクションとなり、フィクションは現実となる。コスプレしたのに写真を撮らない人はほぼいないと思う。私たちは、写真によって何でも作れるし、何にでもなれる。
3.自己肯定
大学のとき、写真サークルで自分の写真を撮ってもらった。この時すでに私は自分の不細工さを分かっていて、自分の顔が嫌いだった。でも、もらった写真を見たとき、初めて撮ってもらって嬉しいと思った。
写真には自分の買ったカメラを構えて笑みを浮かべる私が写っていた。この写真で私は初めて自分のことを好きになれた。
(↑その時の写真)
私は友達も少なかったので、よく「物」を撮っていたが、この時から「人」を撮りたいと思うようになった。
私が自分を好きになったように、その人も自分のことを好きになってほしい。
そんな高尚な理由を掲げつつ、けどまあ、ポートレートはなかなか難しい笑。
練習させてくれる人を随時募集しています。
4. 自己顕示欲と承認欲求
写真は撮影者が公表しない限り、他人が見ることはできない。ということは、皆わざわざSNSにしろ展示会にしろフリー素材にしろ、見せているのだ。
「見て、綺麗な風景でしょ」「この綺麗な風景は私が見つけたの」
「見て素敵な人でしょ」「この人私の知り合いなの」
「見て、楽しそうでしょ」「私幸せなの」
要するに、見て見て、いいでしょ、という自慢だ。私も、しょっちゅうやる。
写真を撮る理由がそのような自己顕示欲と承認欲求というのは、批判ではない。SNSの「エモい」写真も、着飾って入念に準備された写真も、壮大な風景写真も、どれも良い。
世界にはまだ楽しさや、美しい光景や、尊い関係があるんだと思うと、まだ生きるのを辞める訳にはいかない。
今やネットの空間に、皆で美しい仮想世界を創り出し、自分が見つけた楽しさや好きを披露して「いいね」をしあっている。気持ちいい。なんて素敵な時代なんだろう。
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偉そうに語ってしまったけど、写真を撮る技術は本当にない。本当にないが、恋人ができたことで綺麗に撮りたい瞬間が増えた。
別れた時に写真が残ったらつらいな...と思いつつ、それでも今は映画のように楽しく、輝かしい日々を甘受していたい。
そのためにも今年こそはもっと本腰を入れてカメラを使いこなせるようになりたい。まずはISO感度、きみともっと仲良くなりたいよ....。
なんて、休日の夜に恋人の横でこの記事を書いていたら、「スマホじゃなくて俺にかまってよ」と言われてしまった。
そう、本当はこの話、もっと前に書き始めていたのだ。邪魔されつつずっと下書きにあったのを、やっと書き終えられる!
目の前の恋人を見て、写真もいいが、やっぱり人間の目と脳に勝る記憶媒体はないかもしれない。とも思う。
長々と書いたけど結局、惚気になってしまったのでした。
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