【公演レビュー】1/13「音と言葉の間」
少人数パフォーマンスの大きな可能性を示した
書家の小杉卓、声楽家の荒井雄貴、ピアノの新野見卓也はクラシック音楽と書道を融合させた「音と言葉の間」というパフォーマンスユニットを組んでいる。3人とも栃木県出身で2017年に彼らの母校で最初の公演を行って以来、栃木県のホールなどで活動を重ねてきた。クラシック音楽と書道を融合したパフォーマンス自体は類例があるが定期的な公演をするケースは稀。筆者は小杉卓のInstagramを通じて活動を知り、内容の面白さはもとより単発で終わらせず回を重ねて熟成させる姿勢に好感を抱いた。とはいえ栃木県まで足を延ばすのは難しく、生で鑑賞はできないと諦めていた。ところが時勢により2020年の公演は中止を余儀なくされ、しかも当面大ホールでの公演は困難との判断から2021年1月、彼らは東京のコンパクトな会場における公演を開催した。筆者にとってはありがたい話で迷わず赴いた。
~プログラム~
シューマン:歌曲集「ミルテの花」から「献呈」
シューマン=リスト:「献呈」※
ニーノ・ロータ:歌劇「フィレンツェの麦わら帽子」より「全く信じられぬことだ」
ワーグナー=コチシュ:楽劇「トリスタンとイゾルデ」前奏曲
ワーグナー=リスト:楽劇「トリスタンとイゾルデ」愛の死
クルターグ:「遊び」※
根本卓也(曲)、山本有三(詞):心に太陽を持て※
※演奏と書の共演
何より心を掴まれたのは書家の小杉卓が筆を運ぶ時の背中と膝の動きから伝わってくる集中力や気迫。筆の滑り、墨の跳ねまでとも一体化しているように映り、彼自体がひとつの作品、幻想を放つ美に思えて鳥肌が立った。生まれた書から放たれるエネルギー、メッセイジの強靭さは画像の通り。
もちろんバリトンの荒井雄貴、ピアノの新野見卓也の演奏も楽想の凹凸をしっかり描いた水準の高い内容。書との相互連関に留意しながら音楽として説得力のある表現を練り上げるには相当綿密なリハーサルが必要だろう。
またシューマンやワーグナーと20世紀のなかなか生で聴けない音楽を交互に並べ、しかも前者はピアノトランスクリプションを中心にした選曲も秀逸。「トリスタンとイゾルデ」のコチシュとリストのトランスクリプションを組み合わせて「前奏曲と愛の死」に仕立てるアイデアはなかなか。コチシュ版「前奏曲」のピアニスティックな動きは面白いがやはり音楽としてはリスト版「愛の死」に分がある、なんてことを実際に確認できる機会は貴重。しかもクルターグとコチシュはともにリストが創立したリスト音楽院に学び、コチシュはクルターグやその師カドシャの教えを受けた。この種のパフォーマンスは往々にして泰西名曲が並ぶものだが本公演は知的刺激のあるプログラムであり、ハンガリー在住の新野見卓也の識見を生かしたメンバーの深い洞察力が覗える。
時勢を考慮し少人数によるパフォーマンスが増えてきたが正直「飛車角落ち」と見える催しも多い。しかし彼ら3人は個々の技量、知性の高さと同じ顔ぶれで継続してきた強みを発揮し、少人数で大きな感銘を見る側にもたらした。
今回は生配信も行われた。下記リンクでアーカイブ視聴できるので卓越した表現の一端に触れて欲しい。
※文中敬称略