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「玉依姫と云ふ名はそれ自身に於て、神の眷顧をもっぱらにすることを意味して居る。」

八咫烏シリーズの始まりでもあり、シリーズの中でも異色なのが、この『玉依姫』ではないでしょうか。

阿部智里著 『玉依姫』(文藝春秋、2018年)

この作品の原型となる小説を、阿部先生は高校生の時に書いてうっかり松本清張賞を取りそうになった(いくらなんでもこの歳でとらせるのはもったいない、と先送りになったらしい)、というのが末恐ろしいんですよすでに恐ろしいことになっているんですけど!
末恐ろしいの「末」ってどの辺のことですか!!!
(望月に翻弄される民の図。)

これは以前にも書いたことですが、わたしは阿部先生を勝手に「上橋菜穂子と荻原規子の子世代」と呼んでいまして、さらには「ルイスやトールキンの孫世代」と勝手に考えています。
あとは「小野不由美の子世代」も。

これは日本におけるファンタジーの系譜としては結構なことだと思っていて、ルイスがイギリスを舞台に異世界もの(行き来のある異世界)を作り、トールキンがイギリスをベースにした完全なる異世界を作り上げたように、その子世代も「日本で作るファンタジー」を追求して居るように思えます。
上橋菜穂子は「なんとなく東南アジアっぽい」世界観の異世界もの、荻原規子は「日本神話をベースにした日本が舞台」のファンタジー、そして小野不由美は日本とは別の中華っぽい異世界(行き来のある異世界)を作り上げたわけです。
それぞれ方向性は違うものの、「日本における日本ならではのファンタジー」という点において、この三者は卓越しています。

それで阿部智里なんですけどね、これまでの八咫烏シリーズでは、「平安時代っぽい感じのするような異世界」をやってたじゃないですか。
それが『玉依姫』によって、急に「現代日本の中にある小さな異世界」に豹変するんですよ。
なんですかこの怖さ。
これは「十二国記」や「ナルニア」のように、現代とは地のつながっていない、でもつながって居る異世界、とは決定的に異なっていて、または現代を舞台にしたファンタジーとも異なっていて、「世界の中に世界がある」という、そういう代物なんです。

あれだけ大きく見えた山内が、あれだけの政権争いをし、謀略に満ちた山内が、たった一人の少女の行動で即座に滅んでしまうかもしれない。
金烏でさえも、その状況を変えることができない。
それが、神として祀られなくなった山神の眷属である、ということ。
それを誰も知らなかった、ということ。

怖いにも程がある。
この物語を境に、「八咫烏シリーズ」は「いかにして崩壊を防ぐか」または「いかにしてまともな滅び方をするか」という攻防になっていくんですよ。
と思って望月を振り返るとほんとこわい。
ねえ怖い。
助けて。

あとね、わたしはこの話、「八咫烏シリーズ」の中では一番性に合わなくて、それがなんでかというと、志帆がずっとうじうじしている上に、ある一点から完全に洗脳されたかのように、山の力に取り込まれてしまうことなんですよね。
それを彼女の責任感、優しさ、と呼ぶことはできるかもしれない。
でも不完全な金烏である奈月彦とは逆の方向で、不完全な玉依姫である志帆は怖いなと思うんですよ。
自我のありどころとかが。

奈月彦も志帆も、「舞台装置」としての役割が強いので。
そこに「人間性」を見出すせいで周囲が地獄になるので。

あともっと考えていくとね、第二部で明らかになってくる、「山内における女性の立場」みたいなのがね。
女性に力がない山内が、志帆という少女の挙動に全てがかかっているところとか。
いろいろやばいなって思います(語彙力放棄)。

ほんと、どうなっていくんでしょうね、このシリーズ。
怖いから早く続きを読ませてほしい。
あとこの話の最後が雪哉と姫宮なのがほんと泣けた。
やめて、泣いちゃう。
あの頃を返して。
雪哉を返して。

雪哉は、いったいどこで、雪哉じゃなくなってしまったんでしょうね。

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