「あなた」には無限の可能性がある。主人公は「あなた」なんだ。
「赤ちゃんができてしまった」
義理の妹が相談してきた。
でも、
「良かったね!おめでとう!」
といえる感じではなかった。
今できたら、困る。(妹たち自身が)そんな状況だった。でも、できてしまったらしい。
私はちょくちょく義理の妹の相談にのってきた。
人の相談に乗るとき、いつも、思う事がある。
大体みんな、自分の中に本当は答えを持っている。
でも、「そうする!」と、決め切る勇気がない感じなんだと思う。
私もそんな時はよくあるからわかる。
「決め切る」って勇気のいる事だ。覚悟がいる。
冷静に、自分に余裕がある時に、考えると、めっちゃそうだよなと思う。(でもいざその時になると、迷うんだよなー、、、)
決め切って、どっちの結果になろうとも、その結果の全責任を自分でとる。受け止める。やることは本当はとてもシンプルなんだ。でも、「もしもこうなったらどうしよう」という自分の頭の中の声がどんどん大きくなり、不安が押し寄せてきて、決められない。勇気がしぼんでくる。
「誰かにきめてほしい」と思う気持ちもすごくわかる。
誰かに決めてもらうと、もしも、嫌な結果になった時、心のどこかでその人にせいにできるからだ。
結果に落ち込み、自分のせいだと思うと、ダブルパンチだけど、「自分で決めたんじゃないし」という、変な保険があると、ダブルで落ち込まなくて済む。そんな気持ちが密かにあったりする。(私です)
でも、ある時気づいた。
それって、自分の人生を生きてないやん。
傷つかへんかもしれんけど、自分の人生を生きてないってなんかすっごく嫌や。
なんでも、人に決めてもらって、責任を取らない人生って楽なようで、めっちゃ落とし穴。何にも面白くない。というか、一生懸命生きてる感が薄れる。それって、やっぱり嫌だ、と私は思う。
だから、気づいてからは、「全部自分のせい」って思うようにした。(いい意味で)
自己否定とかそういう悪い意味じゃなくて、自分の人生をしっかり生き切っているという意味で、一個一個、自分の中で、「自分がしたいからそうしている」って確認をとるようにした。
何があっても、自分のせい。
言葉だけで見ると、すごく、責められてるような気がするかもしれないけど、そういうニュアンスじゃない。自分で決める事ができる。なんでも。自分で自分の人生を生きる事ができる。
そう思うだけでも、全然、自分の中の気持ちが変わってくる。(自己啓発系の考えの中でも、100%自分のせい説ってのがあるらしい)
「自分で決められない」って、実は、自分の事を信じていないが隠れてたりする。
自分に自信がないから、自分に信用がないから、決める事ができない。
何かあったら、「自分には乗り越えられないかもしれない」っていう不安が隠れている。
そんな一見そういうマインドの人をの事を悪く言ってるように聞こえるかもしれないけど、私が言いたいことは、それは、悪いことじゃないという事だ。
みんな弱い部分を持っている。
弱い部分って、悪い物だろうか。
「弱い」と「強い」だったら、「強い」がいいような気がする。
「光」と「闇」だったら、「光」がいいような気がする。
でも、そうじゃない。
どっちか一方だけが良いってことはない。
「闇」があるから「光」を感じることができる。
「弱さ」があるから「強さ」を持つことができる。
性格だって、100%良い性格の人なんていない。
いいところも悪いところもある。でこぼこ。だからいいんだ。全部完璧な人と一緒にいたらきっとすごく疲れる。ゆるくて抜けてる人といると、自分もゆるくなれる。だらーんってできる。
どっちかがいいじゃなくて、全部ひっくるめて「良さ」なのだ。
だからまず自分の弱さや、自分のことを信じれないという気持ちに気づいたのであれば、それを否定せずに、無くそうとせずに、まるごと受け止める。
「そういう部分があるんだな」って受け止める。
間違っても、「この弱い部分を直さなきゃ!」「取り除かなきゃ!」なんて思ってはいけない。
自分の弱みは、大事な宝物なんだ。それが大事な輝きになることだってある。
直そうとするんじゃなくて、認めてあげることだ。
そして、認めてあげた後、じゃあ何でそう思うんだろう?って、自分と向き合い始めていく。そうすると、自分の思い込みとか、偏った価値観とか、そういったものがあることに気づいたりする。
じゃあ何でそんな「思い込み」「価値観」があるの?って、また自分と向き合ったら、それは自分自身が最初から持っていたものじゃなくて、いろんなものに影響を受けて出来上がってきたものなんだって気づく。
だって、赤ちゃんの時は、何も持ってないから。
思い込みとか価値観とか、何にもない。良いとか悪いとか、そういう判断基準もない。「生きてるな~」って、ただそう思ってる感じ。(いや、赤ちゃんは生きてるな~とは思わへんかw)
赤ちゃんは「何かしなきゃ!」「頑張らなきゃ!」「このままではだめだ!」なんて思って生きてない。そのまま、ありのままで生きている。
みんなそうだったんだ。真っ白の状態。ジャッジもないし、ただ「在る」状態。
でも大きくなるにつれて、知らず知らずのうちに、いろんな価値観を刷り込まれていく。気づかぬうちにそれが当たり前の価値観になっていく。それを守らないと、自分はダメとか生きていく価値はないとか、そんな思い込みまで作ってしまってる。でも。そんなことはないんだ。
何かがあったから、その人に価値がないなんてことは絶対にない。
自分の外側にある何かが自分の価値を決める事は絶対にないんだ。
外側で何が起ころうとも、みんな、自分の価値が変わることもなく、無くなることもない。
みんな何があろうとも、まずは、その出来事にいろんな判断をつけず、良いとか悪いとかのジャッジをつけず、生きている今この瞬間を感じる。生きている今この瞬間。本当に素晴らしいことだ。
自分の弱さや、自分の自信のなさ、自分の欠点、いろんなことに気がつく瞬間はあるけど、まずそれを「ダメなもの」「あかんもの」「直さないといけない」と思わずに、受け止めることだ。
自分のそういった部分を「ダメなもの」という考えが根底にあって、生きていくのと、
「大切な自分の一部」と認めて生きていくのとでは、そこから生まれる思考や行動が全然違ってくる。
本当に全く違う。
いいも悪いも、全部受け止めたら、不思議とその後って「大丈夫やん」って思えてきたりする。
自分が欠点だと思ってきた部分が愛せたら、無敵。
「こういう部分があって可愛いやん!私!」って思えたら、他の人の欠点でさえも「いいもん持ってるやん!」って思えたりする。
そういった小さなことをコツコツと積み上げていく。
地味だけど。
すぐに自分のことが好きになれる!とか、自己肯定感爆上がり!とか、そんな即効性はないけど。
地味なものほど、じんわりと、しっかりと、自分に残るから。
自分と向き合って、自分の弱さとなったであろう過去の出来事を見つけて、最初は、「これのせいだ!」て思えてくる。「この経験があったから、こんな自分になったんだ!」ってムカついてくる。許せない気持ちが湧いてくる。それでもいい。そんな自分も許して認める。
何度も言うけど、めっちゃ時間かかる。自分の中で咀嚼しないといけないから。
でも、そんな自分も許して認めてあげて、そういったことを積み上げていったら、不思議なことが起こる。
「あの経験のせいで!」から「あの経験のおかげで」に変わる瞬間がやってくるのだ。
ここまで行こうと思ったら、最初は、本当に何度も言うけど、自分の中の膿を出さないといけない。腹が立った気持ち、ムカついた気持ち、心の中の叫び、全部全部全部!吐き出さないとダメ。
何に自分はムカついたのか。どんな時辛かったのか。
そういったことを思い出すのは本当にしんどいし、もう1回同じ感情を味わわなきゃいけないから辛い。だけどそれを続けていく。自分の心の奥にあった深い苦しみや悲しみ。自分で無意識のままに蓋をしてしまっていた感情。そういったものにもう一度光を当ててあげるんだ。
自分で無意識にしまい込んでいたんだけど、それらの感情は、「私を見つけて!」ってずっと心の奥で叫んでる。だから、過去に苦しんだ時と似たような出来事が現実に起こった時、同じように体を震わせたり、涙を流させたり、心臓をドキドキさせたりして、必死になって見つけてもらおうとサインを出す。
「見つけて!ここにいるよ!」って。
だから、過去を振り返って、そういった自分の感情に向き合うことがすごく大事なんだ。
見つけてもらった感情たちは、見つけてもらって、受け止めてもらって、抱きしめてもらったら、自然と消えていく。同じような出来事がおこっても、次は、もう、体や心は反応しなくなる。
問題だと思ってたことが問題じゃなくなる。
ムカつく!と思ってた出来事が、感謝に変わる。
そうやって、過去は書き換える事が出来るのだ。
そして一番大事なことは、みんなその力を持っているということだ。
どんな人でも持っている。
自分と向き合って、自分を許して、自分を認めて、自分を愛する。みんなそれが、自分の力でできる。
人間の可能性は無限大だ。
だって今、みんな生きてるんだから。
自分で「心臓よ、止まれ!」と思っても、止めることはできない。
自分の意識では、自分の心臓は止められない。自分の無意識の部分が、自分を生かしてくれている。意識できないところで、一生懸命私を生かそうとしてくれている。休まずに毎日毎日、一生懸命私を生かしてくれている。
当たり前だと思ってるけど、当たり前じゃない。
すごい力をみんな持っているのだ。
義理の妹は、過去にも本当にたくさんのつらい経験をしてきている。
だから、どうしても、何かあった時に「不安」が襲ってくる。
自分のことが自信がなくて、信じられないから、よくないことばっかりイメージしてしまう。
でも、義理の妹はそんな自分が思ってるような弱い人間じゃない。本当に優しくて、一生懸命で、素晴らしい人だ。
相談に乗る時、本当は先ほどブログで書いたようなことを言いたいんだけど、やっぱり人間の心って、順番があるんだ。
「こうすればいいんだよ!」といった解決法を言っても、その人の心の状態が受け止められる状態じゃなかったら、その解決法は何の役にも立たない。
だから、今の義理の妹の状態をしっかりと考えて、その時私がまずしたことはやはり、「不安」を全部受け止めることだった。
「そうだよね、○○が不安なんだよね」「確かに、そうなるとあっちの方も心配になるよね」「こっちも気になるよね、しんどいよね、悲しいよね」
妹がいった不安をもう一度、言葉にして、確認していく。全部、受け止めていく。
普通に聞いていたら、「そんなこと考えすぎだよ!」「絶対大丈夫!」と思えることでも、絶対にそうは伝えない。その言葉は今の彼女にとっては「余計な一言」になるからだ。
私はプロのカウンセラーとかではないけど、こういう時すごく自分の中で気をつけていることがあって、「自分が相手の課題を奪ってはいけない」「みんな解決する力を、自分で乗り換える力を持っている」という考えを第一に頭に置いている。
関係性が近ければ近いほど、自分ごとのように考えてしまって、自分が解決しないと!という気持ちになりかける。何とかしてあげないとって。
でもそれは本当に余計な迷惑で、というか、もっともっと俯瞰してみた時に、本人のためにならない。
めちゃくちゃ分かりやすい例だけど、借金がある友達にお金を貸してって言われて、お金を貸すのは簡単だけど、それって何の解決にもならない。
いろんな問題がみんな起こるけど、みんなちゃんと自分の力で解決できるんだ。その力を持っている。
だから、答えを教えるのじゃなくて方法を教える。ティーチングじゃなくてコーチング。みたいな感じだ。
とにかく、義理の妹が自分のことを信じて、自分には力があるんだって思えたら、何も問題なく、あっさりと解決できたりする事ってすごく多い。
問題と思えるような出来事も、見方や捉え方が変われば、問題じゃなくなる。つまりピンチがチャンスに変わるということだ。それは自分でも経験してきたからすごくわかる。(もちろんまだまだだけど)
だから、相談に乗る時、私ができることは、まず解決方法を伝えることじゃなくて、考え方を伝えるわけでもなく、まず一番最初にすることは、彼女の気持ちを全部受け止めることだ。まだ出しきれてないのかもって思ったら、出し切れるように、ひたすら聞くこと。
聞いて、聞いて、受け止めて。聞いて、聞いて、受け止めて。そうしていくうちに、義理の妹の心の中が整理されてきて、私は他に何もしてなくても、義理の妹自らが「なんかすごく病み病みだったけど、やってみます!」って言ってくれた。
あ、何もしてないは嘘(ごめんなさいw)
一応会話のやり取りの途中で、彼女の吐き出しを全部受け止めながら、「あなただったらできるよ。力を持ってるんだから」というようなニュアンスの言葉はさりげなく伝えてました。
あと、「本当に頑張ってるよ」「一生懸命やってるよ」と、彼女の生きている今をとにかく肯定してました。でもこれは本当に私が思ってることだから、嘘は何一つない。正直に思っていることを伝えただけ。
でも最後は、彼女自身が自分の力で前を向いた。
人間ってやっぱりすごいなーって思った。
みんな本当によく頑張ってる。
みんな本当にすごい。(そして私もすごい!一応ほめとこう。自分褒め大事)
相談に乗る時は、とにかく黒子となることだ。
相手に「あなたのおかげで乗り換えることができた」とできれば言わせたくない。
「話を聞いてもらってよかった。私にはできるんだ!」と、ただそう思ってもらえればいいなと思う。
相談に乗っていて「あなたがいないと私は無理」というような関係性になってしまうと、それは依存になってしまって、相手が自分で乗り越えていく力に気づくことから遠ざかってしまう。
黒子に徹する。
人生の主人公は他の誰でもない「あなた」だ!
長くなってしまったけど、義理の妹は前向きに今日も頑張ってます。
見習って私も、今日も一生懸命生きるぞ!
義理の妹も素晴らしい!
あなたも本当に素晴らしい!
(ついでに!)私も素晴らしい!!!w
今日も最後までお読みください本当にありがとうございました!
長く長くなっちゃいました(すいません)