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強がりを辞める切っ掛けを、現代詩から得た話

こんにちは ちょくです。
思春期は、劣等感から意固地になって、
青春を無駄にしたクチです。

そんな僕が、人や物事と
素直に向き合うきっかけになった

茨木のり子先生の、「汲む-Y.Yに-」
という詩を、一部引用して紹介します。 

茨木のり子 「汲む-Y.Yに-」

大人になるというのは
すれっからしになることだと
思い込んでいた少女の頃
(略)
素敵な女のひとと会いました

茨木のり子「汲む」より抜粋

この詩の語り手である少女は、 
大人になることを、
世間擦れすることだと考えていますが、
ある女性との出会いから、気づきを得ます。

大人になっても どきまぎしてもいいんだな
(略)
頼りない生牡蠣のような感受性
それらを鍛える必要は少しもなかったのだな
(略)
年老いても咲きたての薔薇 柔らかく
外にむかってひらかれるのこそ難しい
あらゆる仕事
すべてのいい仕事の核には
震える弱いアンテナが隠されている

茨木のり子「汲む」より抜粋

それは、
大人になることは、
世間に熟れて狡賢く生きることでも、
傷ついて然るべきことに傷つかない程に、
安易に心を殺すことでもないということ。

大切なことは、
難しくも、繊細さを失わずに、
外界へ向き合う、ということでした。

作中にある薔薇の比喩は、意固地になって、周囲へ背を向けていた僕にも、ものごとへの向き合いかたのイメージを与えてくれました。

読後、苦戦はしましたが、自身の振る舞いを見直し、何とか現在に至ります。

繊細さを失わずに事にあたるのは、
やはり難しい所で、今も余裕が無くなると、
強張っていくことを感じます。

現在の職場は優秀な人が多いため、
自分に危うさを感じます。

同じ過ちを犯さないために、自戒も兼ねて、アウトプットしたい所でした。
以上、お付き合いありがとうございました。

※語る程に無粋になるジレンマがあります。是非全文を読んでみてください。











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