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煌めく感情にすら疲れたINTJ女の話
感情の揺れ動く様を、私は美しいと思っている。
例えば、別れの季節である卒業式。一度も泣いたことはないけれど。
卒業しても友達だよって泣く同級生の熱情なんて、理解できなかったし、しようとも思わなかったけれど。
溢れる感情を、私はいつだって眩しく見つめている。
特に、ポジティブな感情には強く惹かれる。
恋愛は感情市場だ。
恋愛という領域は、理性や理屈ではなく、心の通い合いなのだろう。
好きになっては
私がもし男性なら、無邪気に子供が欲しいなんて思えたかもしれない。
男性の子供が欲しい発言は、私にはもはや暴力でしかない。肉体的には何一つ負担なく、自分の遺伝子を持つ子供がただ待っているだけで対面できるなんて、なんて素晴らしい。私は昔から男になりたかった。圧倒的強者で羨ましいわ。
母性がない罪悪感、の記事を書きながら、私のこの苦しみは少なくともあと10年は続くんだろうなと思った。母性ってなんだろう。私は理屈で身につけようと試みたこともあるけれど、そういうことじゃないんだろうなあと思う。情は理解できる。男性でも母性を持っている人はいると思う。
INTJ女性の”母性がない罪悪感”に向き合うのが苦しい話
先日、生後生まれて間もない赤ちゃんに対峙する機会があった。大好きな友人の子供だった。私が友人だと呼べる人は、限りなく少ない。だから、本当に大切な人で、心から大切にしたい人なのだ。赤ちゃんに会うのが怖い、なんて、どうしても言い出すことができないぐらいには。
誰かと暮らすことが前提となっている間取り、飾られた両家の家族写真、生まれたての赤ちゃん、ベビーベッド、カラフルなおもちゃ、可愛い猫ー。
むせ返る