【INTJ】感情は事実ベースでの認識でしかできないねという小話

「ねぇ、その時どんな気持ちだったの?」
「今楽しい?」

この質問に、あなたは答えられるだろうか?

私は感情豊かな人間だと思っていた。
嘘を吐くことの必要性をあまり感じない私は、基本的には思ってもいないことは口に出さない。
その代わり、喜怒哀楽は表情に出ているのだろうと。
本を読んで涙を流す感性があるのだから、感情は必ず存在すると。
なんなら自分の妄想や創作話で涙を流すこともある。
なんて感受性の豊かな女性だろう。

しかし、過去の恋人達は
「本当に自分のことが好きなのか?」としきりに尋ねてきた。
「思っていることがあるのであれば、言ってほしい」とも。

本当のことを言っていいのだろうか。
「好き」という感情は、過去の私も今の私も、よくわからない。

婚約破棄も鬱も、本当に悲しかったし、苦しかった。
でも、「辛い」の認識は、食事を取れなくなって、体が動かなくなって、無意識に死ぬことばかりを考えていたからだ。
仕事ができなくなって、お風呂に入ることすら困難な生活になってしまったからだ。
その事実をもとに、私は「苦しかった」と言っている。
心が「苦しい」とは言っていない。心は喋ることができないのだから。

元婚約者を本当に大切だと実感したのは、婚約破棄になったとき。
溢れる涙を止めることができなかったとき。
失うとわかって初めて、私は彼を好きだと自覚したのかもしれない。
なぜ彼を好きだったと断定できないのかというと、もう彼は私の隣りにいないからだ。
事実を判断する手段がない。

私の自覚はこうだ。
 彼のことを毎日思い出す
  ↓
 彼のことをまだ大切に思っているのかもしれない。

この自覚はない。
 彼のことが今も好き。
  ↓
 だから毎日彼を思い出してしまう。


感情の話に戻る。
私は自分の感情の在り処を自覚して生きてはいないのだろう。
自覚して生きていないのだから、「あなたはどう感じたの?」なんて言われても困るのだ。

「自分の気持ちをもっと大事にしたほうがいい」
このセリフは本当にぴんとこない。
別に私は自分のことを無下になんてしていない。できる限り大切にしている。
感情がないなんてそんなわけがないだろう。
だって本を読んで涙を流すことができるのだから。

感情がないなんてそんなわけがないはずだ。
でも、事実をベースにしないと感情を自覚できないのだろう。

あなたのことが「好き」だから「会いたい」はわからない。
でも、
あなたと「会う時間を作ることができる」から「好き」ならわかる。

あなたのことが「好き」だから「知りたい」はわからない。
でも、
あなたのことが「知りたい」と興味を持てるから「好きなのだろう」と判断する。

私は最近になってようやく、自分が事実をベースに感情の判断をしていることに気づいた。
この判断に基づくと、不快な思いをしなくて、会うことに時間を割くことができるなら「好き」ということになる。
「好き」ということは「楽しい」時間をおそらく過ごしているのだ。

自分の気持ちや感情の所在は、正直どうでもいいのだと思う。
不快な思いさえしなければ。
他人が私のことをどう思うかなんて、本音を言えばどうでもいい。
私に実害がないのであれば。

大多数の人のことは心の底からどうでもいいので、
私がその人に時間を割いたという事実をもって、私はあなたを好きだと言えるだろう。
あなたの感情に寄り添う素振りを見せているのであれば、そのクォリティはどうか置いといてほしい。上手にできなくても、あなたを想っている。

元婚約者とはたくさんの時間を過ごした。
だから私は、彼のことをきちんと好きだったのだ。

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