シェア
ちょび
2019年4月9日 20:12
薄手のコートを出して、黒のダッフルコートはクリーニングに出した。四月になって、吹く風はまだ冷たいけれど町は確実に春だった。 一昨日見た満開の桜は美しかったし、柔らかい日差しを浴びながら飲むカフェラテも美味しい。それなのに、僕ときたら今日死のうが興味もないような顔でコーヒーショップで一人座っているのだ。 広げた本を読むでもなくぼうとしていた僕の耳に鈴の音が聞こえて、待ち人の来店を知らせた。
2019年1月16日 19:59
「うーさむいー」「暖房つけるから、効くまで布団にでも潜ってな」 帰るなり文句を言う未来に、僕が言う。 コートを二人分。かける場所がないから、カーテンレールにハンガーをかける。 ストーブをつけると、ブブッと音がして中で小さな火がついた。 上着がないことでの身体の軽さ、ゆっくりと部屋が暖まっていく時間、外の喧噪が遠のく空間。テレビをつけると、聞くでもなく音が心地よく静寂を埋めた。「布
2018年7月8日 23:46
梅雨が明けたとニュースが言った。雲の流れが速くなり、空の顔色はすこぶる良さそうで、反比例するように紫陽花はその鮮やかさを失いつつある。「もう、一年の半分終わっちゃうよ」 絵の具で塗りたくったような青空を見上げながら、瑠衣が言った。「寂しいな」 言葉とは裏腹に、少しだけ高揚したような声音で瑠衣は続ける。 僕はあえて少しだけ呆れた顔を作って、ため息混じりに応える。「寂しいかねえ
2017年12月20日 14:52
「今年もお世話になりました、コーちゃん」 だらりと頭を下げて葵が言う。「こちらこそお世話になりました、葵」 僕もそれに倣う。ふわふわしたものが増えた部屋で、二人して立って頭を下げあう光景というものは、端から見たら滑稽な気がしてすぐに頭を上げた。 葵は鼻声だ。僕の健康管理にうるさいわりに年に五回は風邪を引く葵は、今年も例に漏れず鼻をすすりながらの年末を迎えている。「来年はどんな年に
2017年8月28日 18:31
ベランダの窓を開けると、ムワッと重たい空気と一緒にくぐもった音が入ってきた。 「そういえば花火大会だね、今日」 振り返って、ベッドで本を読む彼に言う。 「そうなんだ」 ぺらっとページをめくる音。 「うん、なんか音、聞こえる」 「ほんとだ」 会話の度に視線はこちらに向いて、そして数瞬の後で本に戻る。 私はフローリングに座り込む。ヒンヤリしていて気持
2017年7月12日 18:47
夏の海といっても、七月の入りではまだ冷たい。晴天の昼間だというのに砂浜にいるのは僕と彼女の二人しかいなかった。 僕は後ろから彼女の背中を見ていた。彼女は裸足で濡れた砂の上に立って、時折さらいにくる波の冷たさにきゃっとかひゃっとか声をあげていた。「気持ちいいかい」 声をかけると彼女は首だけで振り返って、にひひと笑った。「冷たくて笑っちゃう」 どういう感情なのかと、僕が考える間に彼女はパシ