まったく嫌な六月だ
梅雨が明けたとニュースが言った。雲の流れが速くなり、空の顔色はすこぶる良さそうで、反比例するように紫陽花はその鮮やかさを失いつつある。
「もう、一年の半分終わっちゃうよ」
絵の具で塗りたくったような青空を見上げながら、瑠衣が言った。
「寂しいな」
言葉とは裏腹に、少しだけ高揚したような声音で瑠衣は続ける。
僕はあえて少しだけ呆れた顔を作って、ため息混じりに応える。
「寂しいかねえ」
そうやって小馬鹿にすると、瑠衣はあからさまにむっとする。僕は瑠衣のその顔が好きだ。そうして、僕の期待する反応をくれることが好きだ。
「また馬鹿にしたな」
瑠衣の声は少しずつ弾むように、調子をあげている。「まあな」と返すと「もうー」と怒る。けらけらと笑う。
「六月は楽しかったのか」
問う。
「毎月楽しいよ。一年ずっと楽しい」
瑠衣は笑う。素直な笑顔は、僕にはないもので、才能だなと思う。
「そんで、やっぱり六月の楽しさは雨かなー」
瑠衣の言うことはわかる。わかるのに、いつも
「あー!」と叫ぶほどの共感を得ない。
「雨ねえ、まあそうだな」
そんな返事しかできない。
「わかってないでしょ」
瑠衣にそう言われても、僕は心ない「そんなことないって」を返すのが精一杯だった。
ぬるい水をよく浴びた六月、僕は少しだけ憂鬱だった。紫陽花は淡く景色を彩っていたし、したしたと鳴る雨は僕の心を落ち着けた。それでも僕にとっての六月は、瑠衣の誕生日というイベントで塗りつぶされていた。たったそれだけのことが、僕を憂鬱にさせた。
「まあ、僕にとっては瑠衣の誕生月って印象が強いからね」
言ってみた。まさか自分の誕生日があったなんて、おくびにも出さずに話し続ける瑠衣に対する苛立ちも手伝った。
「そうだったね、いつもありがとうね。今年も楽しい誕生日だったよ」
僕と瑠衣は付き合っているわけではない。それなのに、毎年僕は瑠衣の誕生日を祝っているし、瑠衣も素直に祝われる。強制されたことはないが、一度祝ってみたら次からは祝わないことは許されなかった。僕の弱い性分によってだ。
「あのレストラン、すごかったね」
瑠衣が思い出すように目を細める。ふふっと笑う。ああ、この感じだ。言わなければよかったと、後悔が僕の中でうごめき始める。
「すごかったな。さすが評判いいだけある」
僕の回答に瑠衣はよく不服そうな顔する。
「評判ね、いいんだよね」
「瑠衣、なんか怒ってる?」
聞いたところで期待する答えをくれたことはない。けれど、いつも僕は尋ねる。人の怒る理由を僕なんかが察することなんてできない。
「別に怒ってないよ」
そうやって誤魔化す。こういうとき、瑠衣は自分の回答をひっくり返すことはない。
「ならいいけど」
僕はそう言うしかない。今年の瑠衣の誕生日は、僕の給料にしては背伸びしたレストランで、生まれてはじめてフルコースというのを頼んだ。お酒が飲めない瑠衣のために、ジンジャエールをおしゃれなグラスに注いでもらった。
「プレゼントは気に入った?」
そして、瑠衣に合いそうな紫のハンカチを送った。紫のハンカチというのは、それはそれで探すのが大変で、白とか黒とか、もっと派手な色とかばかりのラインナップからなんとか紫を捜し当てたときの僕の気持ちは「これで喜んでくれるのかな」だったのだから報われない。
「うん。ありがとう」
ならいいけれど、という言葉をぎりぎりで飲み込んだ。口にすれば、僕の落胆が透けて見えそうだった。
無言を解答にして、ふーっと息を吐きながら空を眺めた。僕が星谷瑠衣に恋心を抱いているとして、それを察してもらえないことを嘆くべきではないし、落ち込むなんて筋違いなのだ。
しかし、僕の必死の気持ちをいつも瑠衣はなんでもないことのようにけっぽって歩く。
「私ね、六月楽しかったよ。きっと七月も楽しいんだと思う。君のおかげだね」
瑠衣の言葉は全部瑠衣の都合だとわかっていて、いつもそれでも嬉しくなってしまう。僕のおかげなんだと、真に受けて。瑠衣の言葉は、瑠衣の都合。本当のところ瑠衣は、たまたま隣に僕がいるから、僕のおかげだと思っているのだ。僕がいなくても、瑠衣の六月は楽しく過ぎて七月を迎えるだろう。
「そう言われたら七月も遊んでやらないとな」
そんなことを言いながら、僕は瑠衣を見やる。自分のやりたいことを未来にまっすぐ見つめる瞳が夕日に染まる。
僕は六月が嫌いだ。瑠衣の誕生日を僕はきっと忘れることがないだろうから。