『日本の反知性主義』 内田樹編(晶文社)
集団的自衛権の行使容認などの立憲政治・民主制空洞化に抗して出された緊急論考。書き手は内田樹、白井聡、高橋源一郎、赤坂真理、小田嶋隆、名越康文(対談)、想田和弘、仲野徹、鷲田清一。
最初の内田の論の〈陰謀史観は人類史と同じだけ古い(…)〉という一文が記憶に残る。
一番面白かったのは、名越康文と内田樹の対談「身体を通した直観知を」。少し引いてみる。
①〈内田 1日3時間5年ぐらい集中的に読書していると、だいたい読むべき本というのは一通り読み終わるでしょ。意外に早いんですよ、これが。
名越 そうなんです、そうなんです。
内田 10年くらいのビハインドだと、早い人だと2年で追いつけるんじゃないかな。〉
これは、うれしい。一生読んでも読んでも追いつかないんじゃないかと思っていた。キリはあるんだ。
②〈内田 知性を高いレベルに保つための実践的な技術というのはたしかにあると思うんです。雑駁に言っちゃうと「どうやって自分の頭をよくするか」という技術が。今名越先生がおっしゃった意識の広がりに近いんですけれども、ものを学習していったり、物事の論理性や関係性を発見したりというのは、ただデータを積み重ねていってできるというものではない。「あ、わかった」と瞬間的に視界が開けるものじゃないですか。
名越 直観知というやつですね。
内田 そうそう。直観知を高めるための技術というのは、やっぱりあるわけですよ。平たく言えば「頭をよくする技術。」
名越 いやあ、もう絶対そう思います。〉
しかし、この後議論は、それを量的に還元してしまう風潮への批判へと移る。その技術をインスタントに教えて欲しいと願うことはやはり間違いなんでしょうね…。
③〈内田 トラウマというのはある固定された時間と空間に釘付けになって、そこからどうしても動けないということですよね。
(中略)
内田 僕の眼には、今日本全体がある種のトラウマ的な状態に陥っているように見えるんです。みんなが「今・ここ・私」に居ついてる。〉
どうしたらそのトラウマから逃れられるのかなあ、と思ってる内に対談が終わってしまった。
と、いうことで、二回目を読んで気になったところを。まず、②に先立つ部分。
〈名越 (空海の言う識の中には)知識と意識があると思うんです。知識というのはまさに量的に還元できるものとか、(…)世間的に言う計算ができて物量として比較可能なものが知識であるわけです。
もう一つの意識という、あるレベルの集注度であったり、ある意識レベルの高度を保たないと頭に入ってこない知識があるんだけれども(…)意識の高度とか、意識の広がりとか、見えてるフィールドの広さとかは、ほとんど換算されなくなった。もちろん昔も知識が愛でられたけれども、その裏側に意識というものの輝きがあるからこそ愛でられたところもあって、そこが渾然となっていたんだけれど、それがものすごい乖離してしまったという感じがするんですよね。〉
続いて②に続く部分。
〈内田 知性の活性化・高度化って、ものの考え方の構造そのものを作り変えて、思考のシステムを最組織化することじゃないですか。今すでにあるものを局所的に強化することとは全然違う。今ある仕組みは手つかずにしておいて、局所だけ量的に強化すれば、むしろシステムは硬直化する。使いものにならなくなる。「頭のよさ」って、結局は「頭がしなやか」ということなのに。〉
(中略)
〈内田 一番大事なのは、知識を強化したり増やしたりすることじゃなくて、今の自分の頭の中で作動している推理とか、直観の仕組みそのものをそのつどの情報入力や環境の変化に対応して組み換えて、高度化できる可塑性だと思うんです。知のシステムの可塑性をどうやって担保するか、それが知性についての一番重要な技術的課題だと思うんですけどね。
名越 直観知というのは(…)直裁的に回路をぱっと開いちゃう感じじゃないですか。検索とは根本的に違うんですよね。とてもじゃないけどつながらないものがつながる、というのが頭のよさなんですよ。
内田 僕らが今考えてるような知というのは、キーワードがなくても、何を自分は知ろうと思っているのかわからなくても、突然「これだ」ってわかる。(…)それが可能なのは、情報を入力するたびに、一行読み進むたびに頭の中の仕組みをどんどん組み換えているからですよね。この思考システムの組み換え方法については、人類は数千年の歴史を持っているわけです。瞑想とか、呼吸法とか、突き詰めてゆけばどれも人間の生きる力を高めるための方法なんです。〉
なるほどね。少し腑に落ちた。
身体を通すことについて。
〈内田 身体は脳よりも他人との共感性がずっと高いから、まず身体で同期していくと、心の同期もだんだんできるようになってくるかもしれませんね。〉
〈名越 身体を通したものが直観知につながり、それこそが知識を生かせるようなたくさんの道につながってるんだよ、(…)身体を使うことイコール知性であり、知識の運用なんだよ(…)〉
〈名越 歴史を知るというのは頭で知るんじゃなくて、その場所を歩くとか、そういうことから始まるんじゃないですか、(…)
内田 それは別の言葉で言うと、死者との共感だと思うんです。〉
〈内田 読んでいるうちに、死者たちと、とうにこの世から去った、すでに存在しないものたちに同期・共感して、その人の身体感覚を追体験できるということに尽くされると思うんです。それがたぶん知性にとってきわめてたいせつな基礎訓練だったんじゃないかな。〉
他者の身体感覚を追体験する、またはそれを語る。
〈内田 自分じゃない人になり切って、その人から見える世界の風景を、その人のロジックに従って、その人の語彙の中で記述するというのは、想像力の訓練として、きわめて有用だと思うんです。自分の眼には世界がどう見えるかを詳細に語るよりも、他人の眼に世界がどう見えるかを記述することの方が、はるかに知性の可塑性を要求するでしょう。それに、この作業けっこう楽しいんですよ。〉
一度やってみよう。他者のロジックを知るために。
〈名越 身体の中に入るというのは、身体の中に入ることによって、時間と空間に手が届くというか、掌(たなごころ)に見えてくるということじゃないかと。
内田 「死者の身体に入る」というのは、まさに時間と空間を折り畳むということですね。〉
全部が理解出来たわけでは無いが、自分の書き写したものを何度か読み返したい。いつか、トラウマから自由になれる方法が見つかればいいな、と思った。
晶文社 2015.3. 1600円+税