『短歌研究』2021年1月号
①雷が海の上にも落ちるのを見たことがなく、隣で見たい 榊原紘 水平線に向かって上から雷のジグザグが走って行く様子をイメージした。読点のところまでは相手に向かって話していて、読点で一瞬息を止めて、心の中でつぶやいたのではないか。
②道に遇ふ男(を)の子いきなり「蜘蛛のほかの虫ならなんでもさはれるよ」と告ぐ 花山多佳子 かわいい(笑)。聞いてないって。しかも「蜘蛛のほかの」とかチキンな留保がついてるところも子供あるあるだ。「告ぐ」という動詞の選びがいい。
③気づかなければ楽だったこと取り出して取り出してなおここにとどめる 東直子 気づかなければ楽だったことってある。でも気づいてしまったらもう後戻りはできない。それを見つめて逃げない意志が「取り出して」の繰り返しに感じられる。
④「座談会」石川美南〈前衛期から現在までの流れを考えたときに、塚本、岡井、寺山の影響は間違いないことなんですが、葛原妙子や森岡貞香、ちょっと角度は違いますが山中智恵子や斎藤史さんなど女性たちの論・作の力を強く感じています。〉『歌壇』の川野里子の意見とシンクロ。
賛成だ。現在の前衛の括りは狭すぎると思う。その割には現代短歌に占める前衛の評価が高い。もっと同時代、あるいは前後の時代の論・作を見たい。特に女性歌人の論作は過少評価だったかも。前衛の指す範囲を広げるか、あるいは、狭いままで、他と並列して位置付けるという考え方もあるだろう。
⑤「座談会」斉藤斎藤〈前衛短歌で個人的にスタンスが近いと感じるのは、寺山の中期と、葛原妙子です。〉斉藤は葛原妙子を前衛短歌と位置付けているが、石川美南は「前衛短歌期の」女性歌人と言っている。この辺りは小さいようだが、結構大きな認識の違いだ。
⑥「座談会」寺井龍哉〈言葉を発する前から意味を完全に理解することはできないし、発したあとでは事後的に解釈するしかない。これは言葉の性質だと思います。だから作者も結局、読者、つまり解釈する側にしかいようがない、〉作者・読者論であると共に言語への考察。面白い。
⑦松村由利子「ジャーナリスト与謝野晶子」〈晶子は同時代の論客にない視点で労働を捉えていた。人間の本質は、働くことにあると考えたのである。〉〈「(労働をもって扶助し合うことは)人間が個人として真に独立して生きていること」(与謝野晶子)〉本当にこの評論いい。
特に今号は勇気づけられ、癒された。短歌の評論読んで、癒されるって変に聞こえるかも知れないけど、晶子と松村の労働観が今の私の心にしみたのだ。金銭のためだけに働いているんじゃないんだ…。
ちゃぶ台、主婦の登場、労働という訳語など、時代への考察も並みではない。ぜひ多くの人に読んで欲しい!
2021.1.20.~22.Twitterより編集再掲