新人賞の目指すもの(後半)【再録・青磁社週刊時評第十三回2008.9.8.】
新人賞の目指すもの(後半) 川本千栄
道浦母都子「三位にしたのは、若くない作者では……と思ったんですね。(…)一位に推さなかったのは、一首一首読んだら非常に巧い人で、(…)たぶん、かなりキャリアを持った人が、若い、というか今の気分を出して、一つの物語を作ったのではないかと思って三位にしました。」
馬場あき子「どちらを一位にしようかずいぶん考えながら、結局この新鮮感のある、ちょっと荒削りで、率直で、素朴で、まだちょっと未完成の手法だけれども、学生として歌っていこうとする素人っぽいバイタリティ、それに賭けてみたいなという気がしてこちらを入れました。」
岡井隆「要するに若さを採るか、ベテランらしいけど巧いなあと思うほうを採るかというだけのことで。新人賞だからなるべく若い人のほうが私はやはり基本的にはいいと思うんだよね。」
もっとも、石川不二子のように逆に「若い人の、それも女の人の歌が団子になって出てきて、いくら新人賞でも少しは年上の人がいないの?という感じがした」と述べている者もいる。
選考後の発言でも、若さとその可能性に期待する発言が多かった。馬場は、受賞作に対して、〈実に巧緻で、私はこんな年の若い人だとはとても思えなかったので、それで巧緻をとるか若さをとるかということだったのですが、年齢は逆で、「冬の火」が二十一歳というのはすごいですね〉と述べている。馬場は「未完成だけれど若い」と思えた作者を推したが、「巧緻だがある程度の年齢だろう」と思えた作者が受賞した、しかし蓋を開けてみれば、巧緻だと思った作者の方が実際の年齢は若かった、若くてしかも巧い作者で大変良い、という趣旨である。
やはり将来性が重視されるのだと思いつつも、そこまで若さを高く買わなくても、とも思った。また、前出の道浦の発言は「年齢以上に若い作者を演じるのは良くない」とも「若くない作者は推さない」とも取れる。新人賞の性格はあるにしても、ちょっと若さにこだわりすぎのような気がするのである。
あまり作風の若さにこだわると、受賞作に一つの傾向ができないだろうか。試験の「傾向と対策」ではないが、恋の歌などやはり選に入りやすい傾向ができる、というのは好ましくないと思うのである。
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新人賞全般において今までに、未成熟・未完成な部分に言及されながら、若さに重きを置いて選ばれた場合が多々あったと思われるが、こうした選択は、選ぶ側にも選ばれる側にも賭けであり、しかもリスクは選ばれる側に大きい。大げさに言えば、未完成の部分を多く持つ作者を選び、才能が大きく開花すれば万歳、方向性を見誤って歌壇から消えてしまっても自己責任、というのが賞を与える側の基本姿勢だからである。
新人賞が若さとその可能性を重視するなら尚更、賞を設けた総合誌に定期的に作品とその批評を載せるなり、歌集を出した時に複数の歌人の批評を載せるなり、今後を見通してサポートする態勢が要るのではないだろうか。さらに言えば、受賞者にピンポイントでサポートするのではなく、次席などの上位入賞者にも同様にサポートしていけば、歌壇としての厚みが加わるのではないかと思うのである。
了 (第十三回2008年9月8日分)