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塩野七生『ギリシア人の物語Ⅰ〜民主政のはじまり』

 古代ギリシア人の興亡を描いた三部作の一作目。塩野七生の著作の集大成と思って心して読んだ。大著『ローマ人の物語』に先行するギリシア時代。当時の人々の政治の駆け引きを塩野ならではの筆致で生き生きと描く。今回は都市国家に分かれて発展してきたギリシアが四年に一度のオリンピックの時だけは休戦し、競技を競ったことから筆を下し、大国ペルシアの侵攻に際して団結して闘った時代を描いた。最初はまとめ的な記述だが、塩野のお気に入りの人物が主人公になった辺りでぐんぐん筆が乗ってくる。本冊の主人公はマラトンの会戦の勝者アテネ人ミリティアデス、サラミスの海戦の勝者アテネ人テミストクレス、そしてプラタイアの戦闘の勝者スパルタ人パウサニアスだ。隠れ主人公はテルモピュレーの峠で玉砕したスパルタ人の老将レオニダスと、「王たちの王」にして作者から「オリエントの貴公子」と呼ばれるペルシア王クセルクセスだろう。もちろん、一冊を通しての主人公は断然テミストクレスだ。アテネの名門出身ではないが、この現実的で先を見通すことができ、しかも行動で全てを実現していく人物が、ギリシアのその後の繁栄の礎の一部を築いたことは間違い無い。しかしミリティアデスもテミストクレスもパウサニアスも同郷人の手で追放や刑死に追いやられているところは全く何とも割り切れない歴史の事実だ。温和な貴公子であったクセルクセスが自軍の敗戦によって人格が崩壊してしまうのも、仕方が無いとは言え、残酷な話だ。

(以下は筆者の覚書である。)
〈人間とは常に、希望的観測に傾きやすいということ。後にローマ人のユリウス・カエサルは、次のように言うことになる。
「人間ならば誰にでも、現実のすべてが見えるわけではない。多くの人は、見たいと望む現実しか見ていない。」〉P136
 先を見通せる人物であるテミストクレスの熱弁にアテネ市民の反応が鈍かったという記述に続く箇所である。カエサルも現実的でしかも先を見通せる人物であった。そして見通せない人々が何を見ているかも知っている人物であったのだ。

〈「武器を差し出せば、各自の国への自由な帰国を許す」
 ペルシア王の使節を引見したレオニダスの口から出た答えは、ただの一句だった。
「モロン・ラベ」(Molon labe)ー「取りに来たらよかろう」
 後世、スパルタの戦士と言えば返ってくる、山びこのようになる一句である。〉P178
 おそらく西欧的教養の雑学的なエピソードの一つなのだろう。しかしこの老将、カッコ良過ぎる。
 ベルギー・チョコレートのトップブランドの一つ「レオニダス」は、創業者のギリシア人菓子職人のファーストネームから名付けられたそうだ。そしてブランド・アイコンにはこのスパルタ王の肖像が使われている。まさかチョコレートのブランド・アイコンにされるとは老戦士も思っていなかっただろう。

〈優れた武将として知られた人に、兵站を重要視しなかった人はいない。兵站を無視していては、戦闘にも勝てない。現地調達に頼り兵士たちの精神力だけに頼っていては、総合的な力の結集でもある戦争には勝てないのだ。〉P217
 敗戦後自国ペルシアに逃げ帰ったクセルクセス王と、彼に後を託された重臣マルドニウスに向けられた言葉だが、何やら太平洋戦争時の日本軍に向けられているような気もしないでもない。

〈玉砕は、美しくも感動的である。しかし、紀元前五世紀当時のスパルタの男たちは、それは最後の手段として甘んじて受ける気概は充分にあっても、そこに至るまでは勝利することに全力を投入すべきと考える、単純ではあってもまっとうな男たちであったのだ。〉P236
 これもスパルタ人への言及に見えるが、前述と同じ様な批判を感じる。

〈正論を言うのなら、初めからそうしていれば良いものを、と思ってしまうが、人間世界はそう単純にはできていない。
 人間とは、何もスパルタ人にかぎらなくても、既成事実のない段階で正論を聴かされても、必ずどこか文句をつける箇所を見つけるものである。
 それが既成事実を前にして正論を説かれると、本心からは納得しなくても、まあそれで良しとしようという、対応も穏やかに変わる場合が多い。
 テミストクレスも、相当な程度にまで完成している工事を見せた後で初めて、正論をぶつという、勝負に出たのだと思う。〉P208
 心理学など無い時代に、ここまで人心を理解して勝負に出られる人物がいたのだなあ。本冊ではテミストクレスが、融通の利かないスパルタの〈小人〉たちを手玉に取る話だが、塩野の作には度々こうした人物が登場する。

〈歴史家は公平な立場に立って叙述すべきであり、登場人物の好き嫌いなどはしてはならない、と言う歴史学者は多い。
 だが、まずもってそれでは、人間の行為の集積である歴史が、生彩を欠くものになってしまう。
 あの歴史家は誰が好みで誰が嫌いとわかるほうが、書く側の立場を明確にすることになるから、読む側にとっても役に立つと思うのだ。〉P328
 これは歴史家の塩野七生に誰よりも当てはまる話ではないかと思って「笑ってしまった」(←塩野のお気に入りのフレーズ)。

〈使命感に燃えている人々に、他者の生殺与奪の権利を与えるほど、危険なことはないのである。〉P332
 本冊ではスパルタの監督官庁である「エフォロス」についての記述である。彼らは、塩野によって〈小人〉たちと呼ばれる、器量の狭い5人の政治家たちであった。この記述は中世の魔女狩りなどにも、そして他の同様のことにも当てはまる。例えば現代のSNSで自前の正義を振りかざす人など。

〈人間とは、偉大なことでもやれる一方で、どうしようもない愚かなこともやってしまう生き物なのである。
 このやっかいな生き物である人間を、理性に目覚めさせようとして生れたのが「哲学」だ。
 反対に、人間の賢さも愚かさもひっくるめて、そのすべてを書いていくのが「歴史」である。〉P345
 どちらもギリシア人の創造によるものという記述が続く。本冊の記述は箴言に満ちている。

新潮社 2015.12. 定価:本体2800円(税別)

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