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塩野七生『皇帝フリードリッヒ二世の生涯 下』(新潮社)

 神聖ローマ帝国皇帝フリードリッヒ二世の生涯の後半期。法治国家を目指したフリードリッヒが結局武力で各地を圧倒しなければならなかったのは何とも皮肉だ。また皇帝の子であり孫であるという家系だけでこうも国作りに邁進できるものかと驚嘆する。何か国語も操り、宗教・民族・身分に全くとらわれず人と交流し、法と理によって国を治めようとする。合理的で論理的で知的好奇心旺盛。深く広い教養を持つ。また知識豊富なだけでなく知力・胆力にも優れていた。相手が誰であっても言うべきことは言う。当時のメディア(筆記と自前の郵便制度)を駆使している様子が天才を感じさせる。狂信とは程遠いが、無神論者には見えない。教会や宗教者を通さず直接神を信じていたのだろう。
 対するローマ法王側の、神の代理人としてはある意味ふさわしからぬ人間臭さ。狂信的で権威的で強欲で執拗で卑怯で。作者塩野の信教は知らないが、ヨーロッパのキリスト教徒の作者であれば、信仰の強弱に関わらず、ここまでは書けなかっただろう。特に最近のローマ法王は(政教分離の後の)平和の使者っぽいイメージが強いからか、中世の法王たちの、世俗の君主もびっくりの強欲さが際立つ。彼らがやってたこと、イエスの言ってたことと全然違うんですけど。宗教改革は起こるべくして起こったのだと思った。
 フリードリッヒは早く生まれ過ぎた。それしかない。せめてもう100年後に生れていたらローマ時代の再現のように、「フリードリッヒの下(もと)での平和」(Pax Fridericiana)が実現していただろう。(その頃はヴェネツィアが手強いか…?でもどちらも合理主義だから上手く棲み分けたかな。)またフリードリッヒが偉大過ぎて、その子たちが大成しなかったのも悲しい。
 イタリアのことを学べば必ず出て来る「皇帝派(ギベリン)」と「法王派(グェルフィ)」の対立についても良く分かった。『ロミオとジュリエット』はこれゆえの悲劇なのだ。
 上下巻の装丁に使われた、フリードリッヒ自身の著作『鷹狩りの書』の挿画が中世っぽくて良い。作者塩野がフリードリッヒを鷹に喩えた気持ちが凝縮された装丁だ。
 また巻末の年表でフリードリッヒが生きた時代が日本では大体鎌倉時代ぐらい、というのも分かった。そうすると理解にまた一つ新たな切り口が加わる。

(以下は筆者の覚書である。)
〈フリードリッヒ自身は、相当な程度に、ギリシア語もアラビア語も解した。しかし、専門家による翻訳は別物なのだ。翻訳作業とは実に高度な作業で、良き翻訳者に求められる資質とは、原著者と同等の知力(インテリジェンス)か、そこまではなくても、原著者になり代わった想いになって訳すうえでの、想像力と気概を欠くわけにはいかない。だからこそ、翻訳は学問の始まり、とされるのである。〉P94
 〈専門家による翻訳は別物なのだ)の部分が沁みる。原作と共にもう一つ別の芸術作品と言えるだろう。
 この時代、キリスト教国よりイスラム教国の方が文化文明ともに進んでいた。また北ヨーロッパより南ヨーロッパの方が文化先進地域で経済的にも豊かだった。イスラム教国が持っていた古代ギリシア・ローマの思想がこの時代にフリードリッヒの庇護もあって、ラテン語に訳されていったのだ。それがルネッサンスの時代を迎える下準備にもなったのだろう。

〈古代のローマ時代にはありながら中世に入って失われたのは、「市民」の概念だけではない。「法」の概念も、忘れ去られてしまったのだ。〉P110
 それを蘇らせたのがフリードリッヒの「メルフィ憲章」で、歴史的には看過されているこの憲章が、有名な「マグナ・カルタ」よりも決定的に近代的なものであったことが本著でよく分かった。また、ローマ法王側が、法とは別の概念で人を裁く「異端裁判所」を作ったのも、フリードリッヒの法治概念の脅威に対抗するためであった、というのが歴史の皮肉だ。

〈だから鷹は、美しさとパワーに加え、頭も良い猛禽なのである。フリードリッヒはその鷹に、彼自身を見たのではないか。〉P123
 そしてもちろん作者の塩野もそれを感じたのだろう。フリードリッヒの趣味の一つである。鷹狩り。それについての著書は学術書の域に達していたぐらいだから、趣味という呼び方では軽過ぎるだろう。

〈言語とは、その方面が専門の学者たちが集まって討議したら、出来あがるというものではない。それよりも、優れた文学作品が書かれることによって初めて、生れてくるものなのである。なぜなら、書き言葉であろうと話し言葉であろうと、言語とは意味を伝えるだけでなく聴いていても心地よい音楽性も求められるからで、そうでないと書きやすくも話しやすくもなくなるからである。だが、それまでも満足させる言語の創造となると、芸術家の感性に頼るしかなくななる。今なお書かれ話されているイタリア語は、フリードリッヒの宮廷から生れ、それが五十年後にフィレンツェに移植されて完成したのが、現代イタリア語の標準語になっている。〉P126
 当時ヨーロッパの王侯や聖職者の間の公用語であったラテン語は、庶民が使えるものではなかった。それぞれドイツ語やイタリア語などの元になる言語(俗語)はあったのだが、それを公的なものに変えていく時期だったのだ。「メルフィ憲章」はイタリア語で書かれ、ルネッサンスのマキアヴェリやダンテをはるかに先取りしている。

〈つまりダンテは、ヴィーニャ無罪論者なのだ。ダンテは、このヴィーニャを読者に紹介するのに、「フリードリッヒの心を開く鍵を二つとも持っていた男」という言葉を使っている。
 だが、それはないだろう。自分の心を開く鍵を、誰であろうと他者に渡すフリードリッヒではなかった。開きたければ、自分で開くのだ。心は、自分が開きたいと思ったときに開くものである。その人が、フリードリッヒであればなおのこと。〉P202
 側近ヴィーニャの裏切りに関する章で。この「心の鍵」の一節が心に残った。歴史的記述ではなく、作者塩野の見解であるのだけれど。知性の人であったフリードリッヒに、同じく知性の人である塩野七生が、時間を超えて気脈を通じ合わせた一節だと言えるだろう。

新潮社 2013.12. 定価:本体2400円(税別)


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