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『心の花』2023年10月1500号記念号

①1500号おめでとうございます!!本当にすごい一冊。明治時代から続く結社の歴史の厚みに圧倒される。「巻頭言」佐佐木幸綱、「祝辞」馬場あき子・三枝昻之・栗木京子とそれぞれにその歴史について述べている。それを読むだけでも背筋が伸びる。
 年数にしたら125年。近代短歌の歴史と併走してきたんだなあと感慨深い。
 私の所属する『塔』は来年70周年。一昨年800号記念号だった。戦後に出来た結社だから、この差は埋まらないんだけど、同じ結社として同様に歩み続けたい。

②谷岡亜紀「短歌と国語」
〈短歌に関わる以上、誰もが文法や仮名遣いに無自覚ではいられないが、私の、文法(特に文語文法)への関心と興味を決定的にしたのは、安田純生の一連の論考、『現代短歌用語考』『現代短歌のことば』『歌ことば事情』(いずれも邑書林刊)だった。〉
 大きく頷きながら読んだ。短歌の文語文法を語るのに安田純生の著書は外せない。もっともっと語られるべき著書だろう。谷岡がまず安田の著書を取り上げているのがとてもうれしく、共感する。

③谷岡亜紀「短歌と国語」
〈文法の教科書もそして私たち自身も、「由緒ある文語文法」から時代とともに変化した「オーソドックスではない」用例を「正しい文語文法」として扱っているケースが少なくないわけである。〉
 同感。この後、川添愛の論が紹介されている。谷岡の論と川添の論はシンクロしているようだ。読んでみたい、川添愛『言語学バーリ・トゥード』。

④谷岡亜紀「短歌と国語」
〈短歌の口語化運動も、その始発は小説などと時を同じくしていた。ただその後をたどると(…)短歌だけが一直線の口語化に走らず、文語と口語の葛藤がずっと続いて来たのだった。〉
 これに続く論考は論作両方の立場からとても納得できる。
〈現代短歌に用いられているのは、実はごく限られた「文語文法」であり、それはもはや(過去の遺物などではなく)「現代短歌用語」の範疇と考えるべきである。〉
 安田純生の主張にも通じる。私自身の考えも同じだ。
 この後、論は「国語」の成り立ちと変遷を明治時代から丹念に辿っている。論としてだけでなく、資料的な価値も高い論だ。また、旧かな遣いについて、音声学の面からのアプローチも特筆すべきことと考える。

⑤谷岡亜紀「短歌と国語」
〈去年、川本千栄著『キマイラ文語』という優れた論考集が出たが、まさにキマイラと言えばキマイラである。〉
 『心の花』1500号記念評論の三段組15ページにも及ぶ評論の中に、私の評論集が挙げられていることが、とてもうれしくありがたい。
 全編を通して、文語文法に対する意見はとても納得のいくものだった。この評論を読めば「国語」というものが一通り学べる。他誌での連載も含め、谷岡の旺盛な筆力に頭が下がりつつも、その背中をしっかり追いかけたいと思った。

⑥高良真実「心の花歌人論 大口玲子論」
その人が痩せて見えたる日曜日 祈りのためにありや言葉は 大口玲子
〈日曜には、「主イエス・キリストの恵み、神の愛、聖霊の交わりが、いつまでも、あなたがた一同と共にありますように。(第二コリント)」と言われて「アーメン」と返す。その言葉に意味はあるのか。言葉に依らずして祈りは不可能なのか。「祈りのためにありや言葉は」は様々な問いを引き起こす。〉
 言葉と祈りの関連を見つめ直す歌とその評。大口も高良もキリスト者であり、そうでない者には踏み込めない一歩を持っている。

⑦高良真実「大口玲子論」
洗礼に古き自分は死にたりきそののち自由となりて自分は 大口玲子
〈キリスト教において、洗礼は再び生まれ直すことを意味する。この自由とはなんだろう。大口は言葉から自由になれたのか。水をくぐり抜け、自由を得た次の瞬間には、望むと望まざるとに関わらず、再び社会の桎梏に繋がれる。〉
 大口に限らずだが、短歌を読む時に、その人の持つ信仰という視点が私にはあまり無かったように思う。高良はまず何よりもそこを見つめている。その切り口を以て大口短歌を読み直してみたいと思った。

⑧久永草太「駒田晶子論」
餌をまけば浮かびあがりてくる鯉のぱぐらんぱぐらん人恋うこころ 駒田晶子
〈駒田のオノマトペは魅力的に謎めいている。オノマトペを含む歌は、『銀河の水』には14.4%あったのに対し、『光のひび』では7.2%に半減する。〉
 歌集のテーマを挙げるだけでなく、オノマトペや物事を並列して詠う歌など、駒田の特徴と思えるところを二冊の歌集に亘って数で分析している。意外に数値を取ってみると、印象とは違うものだ。続いて、どうしてそうした数的変化が起こったのかを分析していて、興味深い論だった。

⑨梅原ひろみ「奥田亡羊論」
〈三冊の歌集には繰り返し出て来る事物が多くある。青空、石、鏡、夕ぐれ、月、女、兵、舟、廃村、向日葵、春雨、など。これらは奥田の作品世界の原風景とも言えるだろう。〉
 語彙からの分析というのも、歌人論としては一つの方法だ。梅原の挙げた語彙は結構奥田短歌の一側面を彫り出していると思った。一人の歌人として繰り返し使われる語彙もあるが、その時代の歌人に共通して好まれる語彙も含まれていると思った。

「心の花歌人論」、「心の花」の歌人が「心の花」の歌人を一人選んで論じる、とても惹かれる企画。歌集だけでなく、月々の詠草も読んでいる間柄だからこその深い分析も可能だ。多くの歌人が取り上げられているのも、記念号らしくて迫力があった。

2023.12.13.  19.~20. Twitterより編集再掲

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