20: 「幸せになる勇気」の感想~この本、すご過ぎ
今度は、「幸せになる勇気」の感想になります。
この本は、「嫌われる勇気」の続編で、「嫌われる勇気」の感想は下になります。
「嫌われる勇気」がよかったので、ある程度期待していたのですが、読んでみると期待以上でした。
「嫌われる勇気」の方は有名になったので、たくさんの人に読まれたと思いますが、続編の「幸せになる勇気」が出たことを知っている人はあまりいないかもしれません。
ただ、自分が思うには「嫌われる勇気」を本当に意味あるものにする為には、「幸せになる勇気」まで読まないと難しいように感じました。
著者の一人である岸見一郎さんは、「あとがき」で、次のように説明しています。
前作『嫌われる勇気』は、アドラー心理学の存在を知りアドラーの思想を概観するための、いわば「地図」のような一冊でした。
・・・
他方、本書『幸せになる勇気』は、アドラーの思想を実践し、幸福なる生を歩んでいくための「コンパス」となる一冊です。
前作で示した目標に向かって、どのように進んでいけばいいのかを示す、行動指針と言い換えてもいいでしょう。
自分は、アドラー心理学の本は『嫌われる勇気』と『幸せになる勇気』の二冊しか読んでいません。
そういう意味では、アドラー自身が書いた本も読んでいないので、「自分の中のアドラー心理学」は、この二冊の本の著者である岸見一郎さんと古賀史健さんの二人のフィルターを通して理解しています。
あえて追加すれば、本を読んでいる千代能のフィルターも入っていますが(笑)
現時点で自分にとっては、この二冊を読めば十分かな?と言う感じがしています。
何故かと言いと、この二人の語るアドラー心理学が気に入っているからなのですが。
この本の役割について
いきなりですが、「この本の役割」と言うと少し気負ってしまいそうですが書いてみます。
この本を読んでいると気づくことがあります。
アドラーが「アドラー心理学」に託した思いが半端ないと言うことです。
そこが感じられる所を、岸見一郎さんの「あとがき」の中から引用してみます。
アドラーにとっての教育は、学力を向上させるとか、問題児を矯正するとか、そんな次元の話ではありません。
人類を前進させ、未来を変えること。
それこそが、彼にとっての教育だったのです。
とあります。
「人類の未来を変える」です。
すごいでしょ?(笑)
その背景には、マルクス主義に失望したアドラーが、教育改革によって人類の救済を思考するようになったとあります。
とても凄い考え方ですが、この二冊の本を読むと素直に納得できてしまいます。
自分は、アドラー心理学が、全ての人に有効とは考えていないのですが、「アドラー心理学」が、生きる上で助けになる人は多いと思います。
そんな事を書いていると頭に浮かんで来ることがあります。
それは、「既存の宗教」です。
下記の記事で書いたように、両親の影響もあり自分は既存の宗教に対して、ずっと距離をとっていました。
自分が、宗教に興味を持ちだしたのは、自分の死を現実のものとして意識しだしてからです。
そして、既存の宗教では無く、自分自身で色々な所を探し始めてしまったという感じです。
そんな自分は、仏教に対して大きな疑問を感じています。
今のお寺のあり方についてです。
「今、生きている人たちに対して、生きる上での助けが出来ているのだろうか?」と。
単に、お葬式の時に短い話を聞いただけで何が出来るのでしょうか?
こんなことを書くと怒られてしまいそうでうが💦
キリスト教やイスラム教については、実情をまったく知らないので話せません。
ただ、世界史の中での戦争を見ていると、あまり人々の幸せに貢献しているようには感じないのです。
ただ、今知っている世界史そのものに疑問を持ち始めて調べている最中でもあるので、どうなるのかな?💦
そういったものと比較してみると、アドラー心理学は人々の幸せに貢献できる具体的な手法を持っているように思います。
そういった意味で、とても貴重なものだと思っています。
大分話が飛んでしまいました💦
アドラー心理学が「役に立つ」かは、自分自身で理解し、実行してみるしかないと思います。
ただ、「誰にも有効とは、とても言えない」のは事実です。
こんなこと言いたくは無いのですが、誰にでも理解出来る内容とは思えないからです。
これは、本の書き方に問題があると言う意味では無いです。
びっくりするくらい、キチンと説明されている本だと思います。
問題なのは、伝えようとしている内容が、「多くの人にとっての常識」とはかけ離れているからです。
理解するためには、「新しい思考パターン」を一から学ぶ必要があるからです。
多分、そこを通過できるかが鍵になりそうです。
今回は、一部のポイントに絞って具体的な感想を書くのはやめることにことにします。
大きなストーリーの中で、「「尊敬」から始まり「愛」に至るまでの見事な話の流れ」になっているので、一部のみ取り出すのは難しいです。
今回は、これで終わりにしますが、最後にもう一度書きます。