「優しい人」はクソだ
彼女には「優しいところが好き」と言われ、
上司には「優しいところがダメ」と言われます。
僕、いま新卒4年目の26歳なんですけど、最近仕事で相対するのが取引先の社長とか本部長クラスになってきてて、たまに「厳しいこと何でも言ってください。受け止めますんで。」って言われるんですよね。
まあ正直甘えですよ。甘えなのは百も承知なんですけど、こんな若輩者が大社長に厳しいことなんて言えるわけねえじゃねえか。だってたまにめっちゃ怖い顔して見てるじゃん俺のこと。ちょっと気まずい話題を振ろうもんなら露骨に機嫌悪くなるじゃんかいつも。嫌なんだよなあ。あえて厳しいこと言うの。目上にも後輩にも。
こういうこと話すと、「それはビジネス戦闘力が低いw」とか云々かんぬん言ってくる奴もいますけど、別にいいじゃんか。もうやめようよビジネス戦闘力の話。そうやってマウント取ってばっかじゃんかお前ら。もうええって。
そう考えると、僕は幾分か、周りの人より優しいんだろう。自分の強みをアピールするなら「優しい」になるのかもしれない。
そういや強みといえば、就活の面接対策してる時、「強みと弱みは表裏一体なんだよ」ってのを耳が腐るくらい聞かされた訳だが、いま考えると実際そうすぎてキツいわ。
この「優しさ」が俺のビジネス戦闘力を下げてんだもんなあ。自分の良いところくらい手放しで褒めてあげたい人生だったよ。
つまりは、僕みたいに本当に優しい人って、「優しい」を使い分けできない生き物なんだろう。どうしても「優しさ」の弊害と向き合いきれずに負けてしまってるんだろう。
だから、彼女には優しく、部下には厳しく。ってできる奴は本当の意味では優しくないんだ。そいつはただの「できる奴」だと。
じゃあ「できる奴」って、一体「何ができてるのか」を考えてみる。恐らくそれは、自分のオリジナルの強み弱みからはもはや離脱してて、色んな要素の強みの面だけを自在に駆使することができる奴なんだろうって思う。
いや強すぎワロタ。到底敵わねえわ。お前らビジネス戦闘力高いねん。
その点、僕は純粋に優しいだけなのだ。相手を傷つけたくないし、自分のことも傷つけたくない。だから相手に嫌われるかもしれない厳しいことを、「あえて」「相手のためを想って」なんていう大義名分で発動することができん。
あれできる人ほんとすごいと思うわ。実際マジであるじゃないですか。今思うと「あの時怒ってくれてありがとう」っていう人。ありゃ俺にはできない芸当だ。
そう考えると、優しい僕はある意味、世界で1番自己中心的な人物である可能性が浮上してくるのである。自分が傷つきたくないから、もしかしたら相手のためになるかもしれないことを言わない。全ては「自分が嫌われたくないから」なんだろう。
悲しい。マジでなんなん。優しく生まれただけなのに、誰のことも傷つけてないのに。
つまり「優しい」はクソなのかもしれない。いや、「優しいだけ」がクソなのか。結局、女の前では優しーくできて、部下にはそいつのためを想って叱れる奴が優勝するっぽい。「できる奴が勝つ」当たり前か。
でもさ。優しいだけって素敵なことだよね絶対。優しいだけって別にクソじゃないだろお。いいじゃないか。優しいだけで。