日本の100名城制覇!(東京都編/江戸城、八王子城、滝山城、品川台場)
先日、東京にある100名城に行ってきました。
東京では、江戸城と八王子城の2件が日本100名城に選ばれ、滝山城と品川台場の2件が続日本100名城に選ばれています。
では、その様子をブログに書きましたのでご覧ください。
【江戸城】
江戸城は、かつて日本一の城郭面積を誇った徳川将軍家の居城で、「日本100名城」に選ばれています。
現在は、天皇・皇后両陛下がお住まいになる御所となっています(皇居)。
江戸城は、1457年に扇谷上杉氏の家臣である太田道灌によって築かれました。
道灌が暗殺された後は北条氏の支城となりますが、北条氏滅亡後に徳川家康が入りました。
1603年に家康が征夷大将軍になると大規模な改修を行いました。
2代目・秀忠や3代目・家光の代でも改築を行い、日本最大の権威あるお城となりました。
しかし、1657年に発生した明暦の大火によって江戸城は消失してしまいます。
保科正之の進言により、天守よりも城下町の再建を優先したため、江戸城には現在天守がありません。
明治時代に日本の首都が京都から東京に移ったことで、江戸城には天皇陛下がお住まいになることとなり、現在に至ります。
皇居外苑の一角には、楠木正成の銅像があります。
すごくカッコいい銅像です。
本体の高さは4m、台座を含めると8mにもなり、上野公園の西郷隆盛像、靖国神社の大村益次郎像と並んで「東京の三大銅像」と呼ばれています。
この楠木正成像は、別子銅山の開山200周年を記念して住友家から宮内庁に献納されました。
岡倉天心が校長を務めていた東京美術学校(現:東京藝術大学)に製作を依頼し、頭部は高村光雲が担当しました。
まさに日本技術の粋を集めて製作された銅像です。
【八王子城】
八王子城は、北条氏康の三男・北条氏照によって築かれた山城で、「日本100名城」に選ばれています。
小田原北条氏の支城のなかでは最大規模の山城です。
戦国時代の城は、山の地形をいかして築かれる山城が多く、八王子城も戦国時代の山城のため、もともと天守閣がありません。
ちなみに、天守閣を持つ城郭は江戸時代から構築されるようになります。
1590年、天下統一を進めていた豊臣秀吉は、関東制圧(小田原攻め)に動きます。
前田利家と上杉景勝らが率いる連合軍によって八王子城も激戦地となり、一日で落城してしまいました。
八王子城の落城からほどなくして、北条氏は小田原城を明け渡し、氏照は切腹、北条氏は滅亡しました。
ちなみに、八王子城跡は文化庁が認定する「日本遺産」に選ばれています。
【滝山城】
滝山城は、自然の地形を巧みに利用して築かれ、中世城郭の最高傑作ともいわれるお城で、「続日本100名城」に選ばれています。
1521年に武蔵守護代の大石定重が築き、後に北条氏照が大石氏の養子となって家督と城を相続しました(※諸説あり)。
氏照は、合戦時に自ら先陣を務めるなど数々の武勲を挙げ、勇猛果敢な武将でした。
1569年に甲斐の武田信玄が上野から武蔵に侵入して2万の軍勢で滝山城を攻撃しましたが、滝山城はわずか2千の兵力でこれを持ちこたえました。
その後、北条氏照は八王子城を築城し、1587年頃までに本拠を移したため、滝山城は廃城となりました。
【品川台場】
品川台場は、1853年のペリー来航を受けて江川太郎左衛門英龍によって築造された軍事上の拠点で、「続日本100名城」に選ばれています。
江戸時代後期には日本近海への外国船来航事件が頻発しており、1837年に起きたモリソン号事件の翌年には、海防強化のために品川台場とほぼ同じ設計図が書かれていました。
品川台場の工事は1853年8月末から始まりました。
計画では11基の台場を築造するはずでしたが、財政難などの影響もあり、完成したのは6基のみとなりました。
土木労働者は、第一・第二・第三台場築造時で5000人にも及び、総築造費は75万両(現在の貨幣価値で約700億円)と言われています。
完成した6基の台場は1873年(明治6年)に海軍省の管轄となり、その2年後に陸軍省に移籍されました。
その後、第三台場(現在の台場公園)と第六台場は史跡に指定されて残りましたが、他の台場は埋め立てられるなどして姿を消し、現在に至ります。
以上、東京の100名城を制覇しました!というブログでした。
YouTubeにも動画を投稿したのでぜひご覧ください🙇