江戸文化が花開く時代と吉原の実情との対比が見もの
昨年とはいえ、ほんのちょっと前まで京都・朝廷貴族の様子を描いていたのが、一変して700年先の江戸時代中期のお話です。
ひとつ安心したのは、またいつものように子供時代からチンタラと始まるのかと思ってたのが、今回はいきなり主人公の蔦屋重三郎(横浜流星)が22歳から始まりました。
以降、蔦屋重三郎は「蔦重」と表記します。
こういうテンポの良さはいかにも江戸っ子とよく合っていて、私は好きです。
明和9年(1772)の「明和の大火」から始まり、しかも火の見櫓で火事を知らせる半鐘を鳴らしているのは、あのイケメン主人公ではありませんか!
のんびり構えていた私は、思わず居住まいを正して直視してしまいました。
こういう風にもったいぶらずに主人公を登場させた事で、「掴みはOK」でスタートは上々でしたね。
それに綾瀬はるかが語り部だと聞いていたので、「もったいない使い方するな」と思っていたら、やっぱり艶やかな花魁姿に化けた九郎助稲荷として登場し、しかもスマホまで操るという展開でした。
もうここまでいくと完全にエンタメとして楽しめます。
いつも中途半端だから、史実としてはなっていないとか叩かれるのですが、こうなれば、ファンタジーとしても受け入れやすくなります。
脚本は「JIN-仁-」の森下佳子
森下佳子脚本によるということは、あの大沢たかお主演の「JIN-仁-」、佐藤健主演の「天皇の料理番」などのように涙ありの感動奮戦記の要素も期待せずにはいられません。
「JIN-仁-」はここ最近毎年のように年末には再放送していませんか?
私は何度も見ているのに、いつも最終回の仁先生がさきの手紙を読むシーンで泣いてしまう。
もういい加減に慣れてもいいのに、やっぱり見入って泣くというのが年末のパターンのひとつとなっています。
田沼意次は賄賂政治家ではない⁈
ひと昔前まで田沼意次は賄賂と汚職の悪政治家として描かれてきました。
しかしキャストが渡辺謙だと知った時、これは最新の研究結果が反映されると予想できました。
いやでも、しっかりたっぷり賄賂は受け取っていましたが💦
それでも蔦重(横浜流星)の話を聞いてすかさず、
「お前は何かしているのか。人を呼ぶ工夫を。」
と核心に触れた質問をしてきたあたりは、その思考回路の良さが垣間見れ、名政治家として描かれることがわかりました。
失脚した原因も賄賂や汚職ではなく、直接の原因は「利根川の大洪水」と「天明の大飢饉」だと言います。(詳しい事は割愛します)
実は意次は、先駆けた視点を持って 鎖国中でありながらも外交政策に臨み、農民に重税を課すのではなく、商業を重視した経済政策を実施したようなのです。
そのあたりの流れやキャストの方々の演技も楽しみです。
世情に翻弄させられる蔦重
意次失脚の後、次の松平定信の寛政の改革で、蔦重は政治風刺などの自由さが問題になり処罰を受ける羽目にります。
現代もそうですが、「出る杭は打たれる」のが常道のようで、目立つ者は常に叩かれ、不当な扱いをうけるのも時代が変わっても同じです。
ただただ何の後ろ盾もない庶民の捨て子が本屋として身を立て、時代の荒波に揉まれながらも成功し、今や世界に通用する「浮世絵」をプロディースする男の一生は、私たちに痛快さも与えてくれるはずです。
昨年の「光る君へ」では珍しく主人公は死にませんでしたが、今回は死ぬまで描かれるでしょう。
ただ、天下を取るわけでもないので合戦もなく、切腹して果てるという非業の死を遂げるでもない、脚気に罹って自身の寿命で世を去るわけで、それもまた大河としては珍しい設定です。
吉原の実情を描く
蔦重に親身に接してくれた朝顔(愛希れいか)の全裸死体にギョッとしましたが、現実はもっと無造作に放置されていたのでしょう。
少なくとも全員うつぶせにしてくれたわけではなかったはずです。
親に売られた悲しい身の上の女たちに蔦重が寄り添う事で、この時代の吉原遊女たちの現実にも触れてくれるようで、目を背けずしっかり見てゆきたいと思います。
遊女たちの悲しい結末
貧困にあえいだ親が、子を売ること自体が悲しい事ですが、身を粉にして働いても食事も満足に与えられずに、いつもひもじい思いをしている。
それでも私服を肥やし続ける女郎屋の店主たちとの格差には腹立だしいものがあります。
徳を忘れた外道として「忘八」と言って開き直るのも、なんとも憎たらしいものがありました。
後でどえらい事になるのをわかっていながら、女郎が自ら火をつけて捕まったシーンがありましたが、火事を起こせば前回の「明和の大火」の時のように、仮小屋を建て、そこで安く客を取れば日銭が稼げて、腹いっぱい食べれるからなのです。
全てはシンプルにひもじいがため。
この現実は、当時の吉原の苦境を十分に物語っていて、痛切な思いがしました。
もうこうなったら、早く蔦重が成功して、女郎屋主人たちの鼻を明かしてほしいと心から願ってしまいました。
吉原と言えば、遊女。
所詮、男女の営みや色恋沙汰、身売りの現実や女郎たちの処遇などは避けては通れません。
そのあたりもしっかり描こうとしているようなので、単なる成功者物語に収まらず、奥深い展開になりそうですね。
花魁と太夫の違い
ここでちょっと豆知識を。
大河に登場したのは花魁ですが、もう一つ同じような仕事をこなす太夫というのがあります。
この違いは拙書から引用すると、
花魁と太夫
簡単にいえば、
遊女が本職なのが花魁。
芸事が本職なのが太夫。
花魁を有した江戸吉原の大門は残っていませんが、太夫を有する京都島原の大門は残っています。
京都島原はレキジョークルでも訪れた事があり、住宅街の中に突然現れたので面食らった記憶があります。
この事だけではなく、京都は日常の生活と歴史が区別されることなく混在しているので、どうも値打ちが感じられない気がします。
きっと歴史建造物が多すぎて、いちいち値打ちを付けて区別もしていられないようです。
拙書「奥の枝道 京都幕末編」を執筆するにあたって双方の違いについて調べた事があります。
それらをもう少し詳しく箇条書きにまとめてみました。
🌸京都島原・太夫
・太夫の由来
古代中国の周王朝から王の一族や有力な臣下に土地を与えて支配させ、彼らに与えた称号。(諸説あり)
・特別な存在
公に認可された日本最古の花街として生まれた京・島原において最上級の遊女だと認められた特別な格式ある称号。
・公家や宮家が主なパトロン
公家と対等な話ができるほど芸と教養を身に着けた。
書道、香道、華道、文学はもちろん、歌舞音曲に至っては師範級を求められた。
・冠位を与えられた
正五位を与えられた。もし、平安時代だったら公卿?
・文化の発信者
文人たちも集う事が多く俳壇もあり、太夫は彼らの俳句を理解した上で世に広める役割も担う。
与謝蕪村もその一人で、太夫へのまなざしが感じられる句を残している。
~花を踏みし草履も見えて 朝寝かな~
・自由な意思表示
出入りは比較的自由。
気に入らなかったり、自分の格式に見合わない客は断った。
🌸江戸吉原・花魁
・花魁の由来
見習い遊女が、自分の姉さん格の高級遊女のことを「おいらの姉さん」呼んだことから。(諸説あり)
・アイドルやモデル的な存在
男性だけでなく当時の女性からもあこがれの存在。
華やかに着飾り、ファッションリーダーでインフルエンサーだった。
だから蔦重プロデュースの浮世絵が飛ぶように売れた!
・芸事は芸者
いわゆる分業制。吉原芸者と呼ばれる芸事専門の者がいたので、あくまでも遊女業のみ。
・芸はなくとも博識
やはり最高級の遊女なので、囲碁や将棋に精通していたり、学者などとも互角に話せる知識は必要。
流麗文体で恋文も書けるぐらいでないと務まらない
・自由がない
門外に出る事は禁止。
出てしまうと掟破りとして重い罰を受けた。
かつては一時期、吉原に太夫も存在していたのですが、あまりにも費用がかかり形式ばっているので、長く続かなかったようです。
太夫も花魁も見目麗しく教養と博識さが必要であることに違いはなく、どちらも単なる身体を売る「女郎」とは完全に違う特別な存在だったのです。
【参考文献】
・「奥の枝道 京都幕末編」