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朝鮮王朝史から日本との根深い関係を考えてみた
歴史的に古代から多大な影響を受けてきた朝鮮。
かつては「渡来人」といわれ、それが朝鮮なのか中国なのか定かではないが、あらゆる面で日本の発展に大きく貢献してきた人たちだ。
尊敬に値する存在だった人たちだったのだが、今の日本人の認識が違っているのはどうしてだろう?
それはいつからでキッカケはどこだろう?
この事をまとめるには、私はあまりにも知識不足なのだが、この度、松原市公民館教室・講座での計3回の「韓国ドラマを通して朝鮮王朝を知る」を受講してみた感想をまとめておこうと思う。
(イベント内容はすでに削除されている)
結論からいうと、
私は朝鮮史に日本がどのように関わってきたかを特に知りたかったのだが、内容はもっぱら韓国ドラマや観光地からみた歴史観で、ちょっと方向は違っていた。
世界史はおろか日本史との比較的な見方ではなく、タイトル通りの韓ドラの内容を事例に挙げている事がほとんどだった。
これは韓ドラを見ていない私には致命的な上、年号はおろか西暦も講義中や資料の中にはほとんどなく、自力でスマホ検索して日本ではいつの時代なのかと密かに確認しながら、その時代背景を想像しなければならなかった。
そんな中でも、私の頭に残っただけでもここに記しておこうと思う。
日本どころではない骨肉の争い
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朝鮮王朝とは1392年に太祖(初代王)の李成桂により建国され、1910年に日本に併合されるまで518年も続いた王朝であり、歴代王は27名、平均在位年数は19年である。
日本で言うと、ちょうど足利義満が南北朝合一を果たし、後世から見れば室町時代の始まりの年である。
そこから、近代化が推し進められた明治43年という、日本史の流れに変えてみると、とんでもなく長い王朝である。
その間、情け容赦なく邪魔な存在の者を殺したり、欲が剥き出しの骨肉の争いが絶えなかったにもかかわらず、よくもこんなにも続いたものだと感心してしまう。
日本も親子や兄弟姉妹で殺し合う事はあったが、朝鮮の方が陰険でドロドロした愛憎劇を繰り広げてきたようだ。
確かに、韓国ドラマも昔の「冬のソナタ」や「天国の階段」など友人に勧められて観たことはあったが、展開が二転三転、四転もするのでウンザリとなって最後まで観れた試しがない。
とにかく、くどい、しつこい。
韓国王朝のドラマもひとつが60話を超えると聞いた時には、それだけでウンザリしてみる気も失せてしまっている。
NHK大河ドラマでも1年かけて約48話程度なのを思うと、これもまたきっとくどいのだろう。
韓国人好みなのが、おそらくこのクドさなのかもしれない。
だから王朝ドラマも、史実をベースにしながらも誇張創作してくどい展開に脚色しているのだと想像する。
※あくまでも個人的な意見なので許してほしい。
大河ドラマが、年々、笑いも少し取り入れたあっさり展開になりつつあるのに対して、これは国民性自体に大きな開きがあると思わざるを得ない。
一度も最終話まで観たことのない人間がいう事ではないが、朝鮮王朝のドロドロ劇を知ると、その好みの傾向の根源がわかるような気がした。
それでも相変わらず韓ドラは人気が高いのをみると、たまたま私には合わないだけで、感情を揺さぶるような何かがあるのだろう。
韓国人から見た極悪日本人
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冒頭で触れた通り、韓国とは元々良い関係にあり文化交流を図ってきた。
両国の歴史を振り返ってみると、日本人の私から見ても目を覆いたくなるような史実があったことも確かだ。
現在でも2国間での貿易や政治などの争いがかれこれ100年以上も続いているというクドイ因縁となった発端のターニングポイントを私なりに考えてみたい。
豊臣秀吉の場合
豊臣秀吉が晩年に実行した「朝鮮出兵」は、1592年「文禄の役」と1597年「慶長の役」との2度にわたる愚行だ。
当時の中国・明の征服を目指して、それに加担した朝鮮に侵攻した。
読了済みの「見物記・海外編」によると、韓国の寺院や仏像は金ぴかで新しいという。
それはこの時にことごとく焼き払われたせいで、古い状態で遺すことができなかったからだ。
韓国人の精神的要となる信仰の対象を破壊されたあげく、多くの人々を殺戮された気持ちは想像すると胸が痛む。
もちろん攻めた豊臣軍にも大きな被害は出たが、それは単純に自業自得である。
古代にはあれだけこの国の文化を吸収してお手本としてきたにもかかわらず、己の欲のためにこんな事をするのをみると、秀吉は歴史を知らないのかとさえ思ってしまう。
当然、豊臣秀吉の名は韓国人にとって忘れがたい極悪非道の人間として今も記憶に残っている。
伊藤博文の場合
1905年の「第2次日韓協約」で京城に設置した統監府の初代統監に就任したのが伊藤博文である。
そして博文は1909年、日露交渉のため満州のハルピン駅で、韓国人の安重根に射殺されてしまう。
彼は韓国の独立運動家であり、今回の日本による保護国化に抵抗しており、日本に対して憎悪の念を抱いていたのは明白である。
ただしこれには別の説もあり、真犯人は別にいて日本政府はそれを黙殺しなくてはならなかったのは、上記の日韓併合に伴う日・清・韓・露の複雑すぎる外交戦略があったともされている。
私はかつて拙書の執筆のために調べたことがあり、その内容を抜粋すると以下の通りである。
使用された弾丸は安重根のものではなく、フランス騎馬隊のカービン銃のもので、しかも安が犯人なら上からの角度のはずが、弾丸は下の角度からのものだったのです。
上記の検証結果では安が犯人である可能性は低いのだが、確かな動機があるために犯人とされてしまうのは当然の成り行きだったのかもしれない。
だが、大きな謎が残る事件ではあるため、他に黒幕がいて国家間の大きな策謀のために抹殺されたのではないかと私は妄想してしまう。
だが、韓国ではこの事件により安重根は「英雄」としてもてはやされているのだ。
真実は今となってはわからないが、もし彼ではなかった場合、真犯人は永久に闇の中である。
結果的に日本が韓国を併合したカタチにはなったが、博文自身はそんなつもりはなかったという説もある。
韓国側はこれを「侵略」と取り、
日本側はこれを「保護」としていて、
双方の認識は180度も違っている。
確実にいえる事は、当時の安の持つ日本への悪感情がそのまま韓国人の日本に対するものであり、伊藤博文も「極悪日本人」とされている理由だ。
[余談]
国境を越えて嫁いだ日本皇族の令嬢たち
韓国と中国のそれぞれの王家に嫁いだ日本皇族の令嬢たちにも触れておきたい。
彼女たちは日本の支配版図を広げるために利用され、時代の犠牲者となったが、夫婦仲だけは円満だったのがせめてもことだったのかもしれない。
>朝鮮に尽くした梨本宮方子
正確には朝鮮王朝のラストエンペラー27代王の純宋の腹違いの弟、皇太子だった李垠の后は、日本皇族出身の李方子である。
日本名は梨本宮方子。
彼女の父は梨本宮守正王であり、現・上皇の明仁さまの大叔父にあたり、れっきとした宮家の王女で王皇族の一人である。
幼いころから後の昭和天皇(裕仁)の元へ嫁ぐべく育てられたのだが、運命の歯車が狂い朝鮮王朝の皇太子へ嫁ぐことになったという。
しかし、李垠の人柄に惹かれ、生涯にわたり朝鮮人として韓国に尽くして人生を全うすることとなる。
>流転の王妃・嵯峨浩
あれ?よく似た話が中国にもあったと、ここで思い出したのは嵯峨浩さんのことだ。
彼女もまた日本の正親町三条家の血筋をくむ嵯峨家出身であり、祖母が明治天皇の母方従姉妹であるという皇族でありながら、中国・清王朝のラストエンペラー、愛新覚羅溥儀の弟の溥傑に嫁いだのだ。
彼女も同じく溥傑の人柄に惹かれ、お互いに円満な結婚生活を送れると思われたが、時代がそうさせてはくれなかった。
彼は1945年、戦後まもなく兄の溥儀とともにソ連軍に拘束され、浩と子供たちは転々とした後、終戦から2年後にやっと帰国し、書道教師として自力で生計を立てながら嵯峨家の実家で過ごした。
夫の溥傑と再会できたのは実に15年後のことだった。
日本軍の場合
>満州事変
この事件を思うと、日本人としてまた恥ずかしくなる。
日本軍は満州鉄道を自ら爆破しておいて、中国軍の仕業だと主張したうえで中国を攻撃し、清の最後の皇帝・溥儀を元首とした満州国を建国した。
自作自演の事件を起こし、勝手に他国領内に国を立ち上げたのである。
結果、これをきっかけに日中戦争となり、やがては世界を巻き込む大戦へと突入してしまうことになった。
しかも、韓国をも占領下に置き、「朝鮮語の禁止」「名字の改名」「強制動員」や韓国女性を性奴隷とした「慰安婦問題」など、韓国人の誇りを奪う人権侵害に値することを強制した。
これは日本が敗戦後、アメリカの統治下においての処遇に匹敵し、イヤそれ以上のことだったのかもしれない。
友好な関係は難しいのだろうか
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以上の事を思うと、言うのもはばかれるが、今後の韓国や中国との友好関係の維持はやはり難しいのだろうか。
韓ドラに対してだけの事で私が勝手に思う「クドイ国民性」の韓国なだけに、全てを水に流すという事はできないのかもしれない。
しかし何度も言うが、かつて古代においては深い文化交流を築き、友好な関係だったのだ。
経済の低迷下が止まらない現在の日本にとっても、かの国々との友好関係こそが大きなカギのような気がしてきた。
古代にすでに、この日本に根を下ろした中国や韓国からの「渡来人」たちは、この日本で子孫を増やし続け、彼らの血脈は私たち日本人の中にも受け継がれている。
いわば同じ血が混ざりあった同族同士なのだ。
今回の講座では視野を広げた見解はなかったが、後になって経緯を確認してみると、本当に厚かましいことかもしれないが、お互いに次世代の未来を思い、これ以上の反日感情は捨て、手を取り合っていきたいものだと切に願う。
【引用・参考】
・奥の枝道 其の三 山口・萩編
・見物記・海外編
・BBC NEWS japan
・太平洋戦争への道
・李王家の縁談
※サムネイル画像はACphotoより
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