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ブレないバックボーンの進展が見逃せない

お慕いしております

中宮・彰子(見上愛)のあまりにも唐突かつド直球な告白に、背中を押したまひろもドン引きし、言われた一条天皇(塩野瑛久)も呆気に取られます。

そりゃそうでしょうよ。
あまりにも前置きなしで号泣しながら、いきなりの告白だったので、見ている私も「へ?」となり、いったい彼女は大胆なのか?ただの世間知らずなのか?判断はつきませんが、少なくとも彰子の中には大きな情熱が潜んでいたことだけはわかりました。

12歳で入内してから8年。
それにしても長すぎました。
単に彰子が子供だったという理由以外に、一条は彰子を女としては見ていなかった事が大きい。

「私はここで育った」という彰子のセリフはちょっと悲しくもありました。
父母の元での幼少期から、訳も分からないうちに入内させられて、宮中での体験が今の自分を作り上げたと、彰子は漠然と理解していたのです。

外見上は消極的で奥ゆかしくても、内には確固たる自我が目覚めている事が本人もわかっているのかもしれません。

この時代にしては遅い目覚めだと言えるのでしょうが、彰子はきっと、物事を自分の中に取り込んで自分なりに吟味して噛みしめて、やっと自分の中に答えを見出し、その思考に瞬発力はないものの、理解度は深いはずです。

ずっと大人でございました

一条の「いつの間にか大人になっておったのだな」の返しは見事に、彰子の性格を表していたのではないでしょうか?

決して自分をひけらかすことはないだけに、背伸びすることもなく、いつも等身大だったことが伺えます。
実際に精神的にはとっくに成長していて、周りの人々を冷静な目で見ていたのです。

沢山の女房達に囲まれながらも、「孤独」であったことも想像させる一言でした。


彰子サロンのリアルな映像化

藤壺は、中宮彰子の住まいであり、飛香舎ひぎょうしゃといわれた後宮の建物の一つですが、中庭に藤を植えたことから「藤壺」と呼ばれていました。

シンボルは中庭の「三日月の苔の松藤」。
松に絡みついた藤が三日月型の苔の上に植えられ、この藤は砂ずり●●●の藤と呼ばれ、藤原氏ゆかりの奈良の春日大社でみられる有名な藤で、地面の砂にすれるほど、花房が1m以上にも延びるという見事なものだそうです。
まひろが執筆している部屋からも見えていますので、ぜひ着目してみて下さい。


忠実?な藤壺の様子

2回ほど前でしたか、藤壺の間取りや女房たちの様子がリアルに表現されていて、思わず前のめりで見入ってしまいました。

女房達の日常の生活風景もしっかり描かれていて非常に興味深いものがありました。
彰子の住まい、藤壺の北側にある女房達の部屋。
引物(カーテン)や壁代(幔幕)で仕切られた小部屋が一直線にならび、廊下であるひさし部分は彼女たちの支度部屋のように使われていました。

NHKによると、それらはドーロン撮影されていて、私たちがその様子を俯瞰できたのは画期的なことだったのです

それまで寝殿造りも書院造りもよくわからず、私は実際に京都御所への限定公開にも行かせていただきながら、イマイチわかっていなかった細部の間取りの様子も見事に描かれていました。
何気ないシーンではありますが、非常にリアリティに富んでいたので、正直感動せずにはいられませんでした。

同時に、完全なプライベート空間はないので、あれでは息が詰まるでしょうね。

ドラマ中ではイビキが聞こえましたが、オナラも我慢しないとまる聞こえですね💦


女房の面々

源陟子みなもとのただこー宮の宣旨せんじ(小林きな子)
60代・醍醐天皇の孫・源伊陟みなもとのこれただの娘。
美貌と歌才に優れて、紫式部日記でもその美貌は讃えられている。
なるほど。デブでぽっちゃりしたタイプが美人だったのかと苦笑いしかない。

源廉子みなもとのやすこー大納言の君(真下玲奈)
倫子の姪でのちに↓紹介する源時子の実姉。彰子とは従姉。

藤原豊子ふじわらのとよこ宰相の君さいしょう(瀬戸さおり)
藤原道綱の娘。彰子が産む敦成あつひら親王、敦良あつなが親王の乳母。

源時子みなもとのときこ小少将こしょうしょうの君(福井夏)
倫子の姪。紫式部とは仲が良く、親友となる。姿はとても可愛らしく、奥ゆかしい性格で子供っぽくもあると評している。先↑の源廉子の実妹。

橘隆子たちばなのたかこ左衛門の内侍さえもんのないし(菅野莉央)
初っ端から皮肉を浴びせる嫌な感じ。まひろの事を尊い●●お仕事をされている方と嫌味を言っていた。
紫式部の事を学識を鼻にかけている嫌な人間としてディスる。
最後のまひろと道長のツーショットの後姿をイジワルそうに見ていた。

藤原節子ふじわらのせつこ
馬中将うまのちゅうじょうの君(羽惟)
明子の姪。彰子が土御門殿で出産して御所に帰る時、紫式部と同じ輿に乗り合わせ、その時に嫌な人といっしょになったと言ったらしく、彼女もまた紫式部が嫌い?


いや~すべて名前を見ただけで、日本の代表的な氏族、源平藤橘のつく良家から完全にコネ●●で集められた女君たちだとわかります。
しかも性格もバラバラなのが圧巻!
今後、さぞかし女同士のバトルが描かれるでしょうね。


道長の涙ぐましい努力

親心なのか嫌がらせなのか

道長による彰子懐妊のための様々な施策は大河では美化されていますが、単に「親心」というだけではないでしょう。
最高権力者として世間に公表するための政治的パフォーマンスであったはずです。

道長は世の安寧の存続は、自分の直系の皇子が継ぐことにある事を正当化させる必要がありました。
それに加えて、未だ彰子に見向きもしない一条へ無言のアピールでありプレッシャーも与えていたのです。

おそらく一条の方も鬱陶しいぐらいそれを感じていながら、そのきっかけ●●●●がなかったのでは?
そう考えると、彰子の突然の告白はベストタイミングだったはずです。

さて、晴れて一条天皇と彰子は事実上の夫婦となり皇子を出産するわけですが、そこに到達するまでの道長くんの狂気●●ともいえる努力を挙げてみましょう。

<作戦1>まひろに源氏物語を藤壺で書かせる

初巻の一部を一条が気に入った事がわかると、次はその「源氏物語」をエサに一条に足を運ばせようと、まひろを女房として藤壺へ仕えさせました。

出仕して1週間ほどで里へ下がったまひろですが、すぐまた藤壺へと戻っていましたが、実際には半年以上も実家に引きこもっていたらしいです。
ドラマではまだそれほどの描写はありませんが、かなりのイジメを受けていた可能性もありますね。

<作戦2>曲水の宴を催す

寛弘4年(1007)春、道長の土御門殿で「曲水の宴」が催され、和歌や漢詩を競い合い、公卿たちが親睦を深めました。
これも、ひいては彰子懐妊を願ったイベントであり、おそらく今後、皇子を産むかもしれない事を想定した派閥●●作りだったのでしょう。

ドラマでは、彰子が父・道長の意外な一面を知り、人として見直すという展開でした。

京都御所の縁側の板戸絵「曲水の宴」
2020年8月22日撮影

<作戦3>金峯山きんぷせんへ参詣する

信心のない私には、これは完全にパフォーマンスとしか思えません。
こんな危険を冒してまで、参詣しても効き目があるかどうかはバクチよりも確率は低い。
なのに一世一代の旅に出るなんて、当時の貴族は暇か!とすら思ってしまいました。
この時代に京都・平安京から奈良吉野の金峯山までといえば相当な険しい道のりでした。

おまけに伊周これちか(三浦翔平)からは命を狙われますし、踏んだり蹴ったりなのですが、道長くんはおめでたい事に全く気付いていないという設定でした。
それにしても伊周はどこまでダークサイドへ堕ちるのでしょうか?
弟・隆家(竜星涼)の兄弟愛はまるで届いていません。

出産は世紀の一大イベント

ここから先はドラマではどう描かれるのかまだわかりませんが、残された史実からエピソードをまとめます。

この時代、物の怪の存在が信じられていた上、第三者から呪詛されることを異常に恐れていました。
すでに伊周(三浦翔平)が道長を呪詛し、金峯山きんぷせんでは殺害まで計画していましたね。
ですから、彰子が呪詛されることを恐れて、懐妊を3カ月以上も公表せずに秘密にしていました。

その上、やれ井戸の屋根が倒れた、やれ御在所内で犬が出産したのは縁起が悪い、やれ陰陽道の方位神・大将軍の位置がおかしいなどなど、あらゆることを凶事と捉え、実家と御所との移動日もいちいち変えていたらしい。

頼りにしていた晴明はもう死んでしまったし💦

あまりにも娘の出産に心血を注ぎ過ぎた道長くんは、不眠症にまでなったとか。

ましてや、いよいよ出産という時には、彰子に憑いた物の怪を祓って他者へ移す「イタコ」のような「よりまし」を使って祈祷をします。
「よりまし」役1人、僧侶1人、介添え役の女房の3人という合計5人の1組で良いところを、念には念を入れ過ぎて5組も用意させ、彰子を取り囲むように配置させたそうです。

「紫式部日記」によると、「よりまし」たちが大声を張り上げたり、駆けまわったり、さらに読経が5倍の音響となって部屋に響きわたる中、彰子は男子を出産したと記されています。

現代人から見たら、お腹の子は大丈夫なのか?そもそもお産の時に周りでそんな事をされては、彰子の方が参ったのではないかと心配してしまうほどの異常な光景です。
ひたすら道長くんの小心ともとれる神経の細やかな性格が伺い知れますね。

この様子から、少なくとも道長くんにとっては、彰子が帝の皇子を産むかどうかは、国家的一大プロジェクトだったのです。


バックボーンは一貫して
道長とまひろ

歴史に沿ったストーリー展開であるものの、一貫したバックボーンはやはり「道長とまひろ」です。
表向きは史実を追いながらも、創作とはいえ私たち視聴者が一番気になるところは忘れていない構成です。

忘れたころに出てくるやりとりが、時には鋭いスパイスになったり、甘いエセンスになったりするのが憎らしい脚本効果だと思います。

褒美の檜扇

まひろが道長から褒美としてもらった扇の絵は胸キュンものです。
こんな心憎い事ができるなんて、やはり道長くんはきめ細やかで、女に対してはかなりマメな性格だと思いました。
道長の豪胆と小心とを併せ持つ性格がよくわかる演出がちりばめられて、おもわずニンマリしてしまいます。
毎日クソ忙しい中、こういう心配りができるのを見ると、彼も「光源氏」のモデルの一人なのだと納得させられました。

こんな昔のワンシーンを目の前に持ってこられたら、これはもう参った!

お前は不義の子を産んだのか

道長が「この不義の話はどういう心づもりか」と聞けば、
まひろが「わが身に起きたことは全て物語の種」と言い、

道長は
「恐ろしいことを申すのだな。お前は不義の子●●●●を生んだのか?」

ここで視聴者のツッコミが一斉に聞こえた気がしました。
「そうだよ!お前の子を産んでるんだよ!」

道長は去り際に廊下でハタッと立ち止まるシーンがありましたが、気付いたのか?
このことはまた次回の二人のやり取りへと持ち越された感がありますね。

一度に真相をはっきり伝えないあたりは上手いなと思います。
この大事なバックボーンの決定打を引き延ばすことで、視聴者はさらに期待を膨らませずにはいられない。

正直に言って、主役の紫式部の没年が不明なので、道長とどちらが先に没するかはわかりません、
でも少なくとも、常に「道長とまひろ」の関係がバックボーンにある限り、二人の関係こそが最大のカギであることは間違いありません。

最後に納得のゆく答えが出る事を、私は期待して止みません。



【参考】
PRESIDENTO Online
美術展ナビ
【光る君へ絵巻】ドラマ美術の世界 


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