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聖徳太子誕生の地「橘寺」・明日香村に遺されたもの⑤

古墳関係を立て続けに鑑賞し、次は寺院を回ろうとまずは「橘寺たちばなでら」へ立ち寄りました。
写真の順番上は「石舞台」より先に回ったようなのですが、どう考えてもこの寺の方が後だったと記憶しています。

なんせこの日は7月26日。
今から2カ月近くも前の事なので、記憶が曖昧になりつつあります。

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県道・多武峯見瀬とうのみねみせ線(155号)から南へ一直線に約100m、何もない畑の中を走るとすぐ東にあります。

橘寺から県道方向を撮った風景

県道からこの寺を見つけた時、まるで輝く緑の海の中に浮かんでいるようで、寺域のみが別世界のように見えました。
それにしても明日香村は全域を通して緑が美しく眩しい。

「西門」
すぐ前に駐車スペースがあるので便利。
観光チケットの裏にある「境内図」


別格 佛頭山ぶっとうざん 上宮皇院じょうぐうこういん 橘寺

住所は奈良県高市郡明日香村たちばな532番地で、寺名も地名からのようですが、その由来は「日本書紀」によると、第11代垂仁すいにん天皇の命により田道間守たぢまもりが大陸から持ち帰ったミカンの原種である橘の実をこの地に植えたことで、この一帯の地名となったとあります。

寺紋ももちろん「橘」。あらゆるお堂の幔幕に橘紋がありました。

我が家の紋も「橘」ですが、この寺とは関係ないようです。

🍃佛頭山 伝承話

「佛頭山」という山号を持つ寺院はここ「橘寺」と、ここから南西約16キロの御所市にある「法眼院ほうげんいん 極楽寺」の2寺のようです。
これら2つの寺院の間には標高680mの「国見山」がありますが、山号である「仏頭山」という名の山は見当たりません。
どうやら「比叡山」や「成田山」などのように実在する山ではなく、この名にある特別な由来が元のようです。

金剛山の東麓で毎夜光を放つのを遥に望見せられ
<中略>
そこから仏頭(弥陀仏の頭)が発掘されました。仏頭は生身の仏様の様であったと申します。
<中略>
これこそ有縁の地と考え、仏頭山と呼び、発掘の仏頭を本尊として草庵を結び法眼院と名付けられました。

佛頭山極楽寺HP

またまた~本当ですか?
発掘されたものが”弥陀仏の頭”だったなんて、にわかに信じがたいのですが、もちろん実際の骨ではなく、人の頭のような形をした石か何かだったのでしょう。
それを不思議なご縁と取るか、ただの石ころだと見過ごすかは大きな違いであり、運命の別れ道ですね。

橘寺の宗派は天台宗ですが極楽寺は浄土宗であり、山号は同じでも全く違う寺院として今に残ります。

🍃聖徳太子7カ寺の一つ

また、上宮皇院と言うからには天皇家と関りが深いのがわかるのですが、それもそのはず、皇族の一人であった聖徳太子が建立した7カ寺の一つに挙げられています。

創建年は不詳ですが、かつてこの地には29代・欽明天皇の別邸「橘の宮」があり、その第4皇子である後の31代用明天皇を父として572年、ここで生まれたのが聖徳太子でした。

8世紀頃には四天王寺式の伽藍配置で66ものお堂が並ぶ大寺院となり、平安時代頃までは栄えていたそうですが、室町時代の戦乱に巻き込まれて以後は衰退したそうです。
今は江戸期再建の本堂(太子殿)を中心に7堂のみの寺院となっています。

本堂(太子堂)
本堂内は完全に撮影禁止!

🍃太子の愛馬・黒駒

本堂に安置されているご本尊は、室町時代に造られた太子が35歳の時のお姿である「聖徳太子座像」であり、国重要文化財です。

ふと見ると本堂前には太子の愛馬「黒駒」の像がありました。

この黒駒は体全体は黒いのですが4本の足のみが白かったそうで、他の馬より身体は大きく、より速く走る身体能力の高い馬で、普段は馬と呼ばれていましたが、空を飛ぶ時だけは「駒」と言われていました。
ここ出生地の「飛鳥」と法隆寺のある「斑鳩いかるが」をこの黒駒に乗って行き来したそうです。


☝アハ体験6
そういえば昨年秋に四天王寺の絵堂特別拝観での解説で太子が空飛ぶ馬で富士山まで行ったというシーンがありました。

黒駒という名と空を飛ぶという伝承は共通しているものの、こちらでは飛鳥から斑鳩という奈良県内の移動ですが、四天王寺では尾ひれ●●●が付いたのか関東の「富士山」となっていました💦
どちらが本当かはわかりませんが、そもそも”空飛ぶ馬”というのがメルヘンでおとぎ話なので、せめてこの地元の往復程度が妥当でしょう。
いくらなんでも富士山は盛りすぎだと思う。


🍃二面石

本堂の北側に善悪2つの顔を持つ「二面石」があります。

高:1m、長:85cm、幅:52cmの花崗岩に、表裏というか左右というか対象の位置にそれぞれ善と悪の顔が彫刻がされています。

左右で人間の善悪を顔に現した石造物といわれていますが、身に起こった出来事は自身の考え方・意識ひとつで、良くも悪くも「心のもち方」であることが書かれています。

ASUKA TAIKEN

飛鳥時代の石造物ではありますが、すでに人々の人生教訓の深さを垣間見れ、当時から1400年以上も経った現在に至るまで、人々が悟る概念は不動なのだと妙に感じ入りました。


写経道場「往生院おうじょういん
圧巻の格天井ごうてんじょう

本堂受付の方に「ぜひ見て行ってね~」と推されるまでまったく知らなかったのですが、境内の北にある「往生院」の格天井の一面に素晴らしい花の絵が描かれているらしい。
「大の字になって寝転んでみたらええから。」
と念まで押されて、俄然、興味津々になりました。

もし言われなかったら、こんな端っこのお堂まで行かなかったかもしれない。

橘寺自体は前述の通り、創建年がわからないぐらい古いのですが、寺内のほとんどの建造物は江戸時代の再建とのことです。
それでもこの「往生院」はどう見ても新しいので、確認してみると平成9年(1997)に、太子の信仰を偲び「念仏写経道場」として建立されたのだそうです。

天井一面に並ぶ花の絵の迫力に目を瞠りました。
その数なんと260点!
ラッキーなことに私たち以外に誰も訪問者はいなかったので、しばらく無意識に上を向いたまま心ゆくまで堪能したため、気付くと首が痛くなっていました。

これらは落慶当時の住職、故・髙内良正りょうしょう氏の発願により、地元の日本画家、烏頭尾精うとおせい氏に依頼し、全国の現代画家の巨匠たちによる寄進が実現したのです。

その画家たちの詳細はわからないのですが、調べてみたところ、京都出身で東京芸大卒、数々の賞を受賞した上田勝也氏をはじめ、神奈川県出身で多摩芸大卒の山下まゆみ氏らによる、まさしく全国レベルの献画が集まりました。

なぜ花の絵かは、太子の制定した「十七条憲法」第一条、
~和をもって貴しとなす~
とあるように、”平和を象徴し華やかな極楽浄土の世界観”を表すために選んだテーマが「花」だったのです。

その狙い通り、華やかすぎるぐらい華やか~✨

直径40センチの正円の麻紙に描き、格天井一枚一枚の鏡板に貼られた艶やかな花たちは、圧巻の世界を見事に作り出しています。

受付の方、よくぞ言ってくれました。
こんなにも素晴らしい美術画を鑑賞できるとは思ってもいなかっただけに、敷地の端っこのお堂まで見に来た甲斐がありました。


「聖徳殿」


【引用】
なら旅ネット
新西国霊場
御所市極楽寺
ASUKA TAIKEN


>>>つづく

=明日香村に遺されたものシリーズ=
①日本史の始まりの地
②高松塚壁画館
③キトラ古墳~「四神の館」
④石舞台古墳


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